歴史をたどるー小国の宿命(86)

第96代の後醍醐天皇は、鎌倉幕府の滅亡を決定的なものにした。

1333年に鎌倉時代が終わるまで、後醍醐天皇の即位から15年がかかったが、それだけ倒幕は簡単なことではなかった。

後醍醐天皇は、二度、倒幕を企てたのだが、いずれもすんなりとはいかず、特に二度目は、天皇自身が隠岐に島流しにされた。(1332年)

結果的には、幕府が滅亡したことによって、隠岐から戻ってきて、有名な「建武の新政」を行なったのだが、これがまた失敗に終わった。

建武の新政は5年しか続かず、これによって、室町時代がスタートするのだが、その翌年に後醍醐天皇は50才で亡くなった。

しかし、後醍醐天皇が属していた大覚寺統と、花園天皇が属していた持明院統が、鎌倉時代が終わっても引き続き独立して存続することになり、前者は南朝、後者は北朝としてそれぞれ代々天皇が擁立されたのである。

この混乱の原因をつくったのも後醍醐天皇であるが、室町幕府の初代征夷大将軍である足利尊氏が、後醍醐天皇と対立する形で北朝の天皇を擁立したのも事実である。

最終的には、3代将軍の足利義満のときに、南北朝が合一するのだが、これが実に1392年のことであり、60年近くも南北朝時代が続いたのである。

鎌倉幕府が鎌倉にあったのに対して、室町幕府は京都に樹立された。同じ場所に北朝の天皇がいて、今の奈良県の吉野や大阪府の摂津に南朝の天皇がいた。

ここまでの概要をしっかりおさえた上で、今週は、後醍醐天皇の時代から室町時代へと移っていこう。

この移行期も、なかなかおもしろいものである。






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