【終】武装甲女は解を求める 《エピローグ》第二話
前回
丘陵にある旧領主館の中庭。
その片隅に建てられた二つの墓石の前に、リアンは静かに佇んでいた。
「――お前か」
ジゼルの気配に気づき、リアンは墓を向いたまま呟く。
リアンの隣まで歩み寄りつつ、ジゼルは途中で手に入れた花を供えて手を合わせた。
「……エリック様とクロト様のお墓ですね」
「貴族の墓所に、居場所など用意されるはずもない。そしてあんな奴らと同じ場所に眠らせたくもない。だから二人が築き上げた、この街を眺められる場所に埋葬した」
リアンは微かな哀愁を乗せて、そこから望むファーブリカの景色を一望した。
「貴方にお聞きしたいことがあるのですが、お時間のほどは構いませんか?」
同じ風景を眺めながら、ジゼルはリアンに問う。
そこに返される響きは普段通り、抑揚のない無機質口調。
「知りたくないことは聞かないことが鉄則だ。それでも興味本位に駆られるなら、猫をも殺す結果になっても俺は関与しない」
「秘密を知った者は死ぬ、ですか? やめてください。リアン殿がそのようなことをする方でないことは、もう分かっていますから」
「お前が俺の何を知っている?」
「ええ、何も知りません。だからこれからお訊ねするのですよ」
ジゼルはリアンに向き直り、その無表情に最初の疑念を切り出した。
「貴方は今回の事件に関与しないと言っておきながら、いろいろと私に手助けをしてくださいました。それが貴方なりのお節介だとしても、妙に気にかかる部分があります。それは私たちがこの街に来た最初の晩。リアン殿が私の部下に捕まったときのことです」
「そのことを話すつもりはない。そう言わなかったか?」
「話さなくても構いません。けれど私なりに推察してみた結果、貴方は独自にケイリス卿を――もとい、テオフィルス様の身辺を探っていたのではありませんか? だからあの日、ちょうど近くにいたところを捕まってしまった」
「……」
ジゼルはリアンの沈黙を、一つの解答と受け取って次に進む。
「貴方は惨影の正体に気付いていた。毒を飲んだ侍女を気にかけ、ミラのことも救ってくださったのも、そこに終始するのなら納得ができます」
「残念だが、その推理は外れだ。俺は昨日、あの場でテオフィルスに会うまで、あいつが惨影であることを信じていなかった」
「それについては私も同感です。先ほどケイリス卿と会話をする機会がありましたが、彼もそのことに動揺していました。そして一つだけ心当たりを私に語ってくださいました」
「……それは?」
「はい。母親が若くして亡くなり、テオフィルス様は愛情に恵まれなかった。それなのに父親らしいことは何もしてやれず、自分の醜い側面を知られてしまった。歳を重ねるごとに、かつての栄光を忘れて権力にすがっていき、実の弟すら疎んじる気質になった。その醜い一面がテオフィルス様の人格を形成し、惨影へと至る結果を招いたと――そうおっしゃっていました」
「後悔先に立たずか。フレデリックらしい末路だ」
まるで無関心を装うように、リアンは中庭を歩き出す。
ジゼルはそのあとを着いて行きながら、核心に迫っていった。
「リアン殿。貴方がこの一件に関わりたくなかったのは、自らに復讐心を宿らせたくなかったからではありませんか?」
「なぜ、そう思う。俺の中から、そのような感情はとっくに喪失している」
「たしかにそうかもしれません。けれど人間である以上、それは捨てきれないもの。現に三年前に犯行を犯した惨魔は、復讐という妄念に取り憑かれていました」
「それがどうした。惨魔は不落の騎士によって討ち果たされた。そんな話を持ち出されても、俺には何の関係もない」
ゆったりとした歩調で、リアンとジゼルは花壇に沿って回る。
だがジゼルが発した次の台詞によって、リアンはその足を止める運びとなった。
「不落の騎士は貴方とルエラさんの幼馴染でした。もし彼が惨魔の正体を知っていたとするなら――。惨魔が不落の騎士にとって、斬ることのできない相手だとしたら――。そして、不落の騎士が惨魔を見逃したまま事実を押し隠し、周囲に敵を討ち取ったという虚言を吹聴したのなら――」
「……」
「公国の英雄が語った言葉に、疑念を抱く者など一人もいません」
「……知るか」
立ち止まったリアンはジゼルを振り返る。
互いに視線を交差しながら、しばらくの静寂。
丘陵に吹く冷たい風が、二人の髪をなびかせた。
「……そうですね。全ては私の妄想です」
ジゼルは踏み込んだ足を引いた。
あとはもう、過去の出来事。ジゼルが引っ張り出したところで、その事実は覆らない。
「惨魔の正体が誰であろうと、もうこの世にはいない存在です。今の貴方を見れば、それは十分に理解できますから」
「引っかかる物言いだが、もはや俺にはどうでもいいことだ」
リアンは短く首を横に振った。
しかし今度は、逆にジゼルへとある問いを促した。
「俺からも仮定の話をするが、惨魔がこの世に生きているとして、お前はそいつに罪を償わせたいと思うのか?」
「はい。殺人を犯した者は等しく裁かれるべきです。その想いはこの先も変わりません」
真っ直ぐに、リアンの目を見据えてジゼルは告げた。
ジゼルが彼の瞳に見るものは、底知れない空虚ではなく、深淵に隠された悲壮。
きっと復讐という無価値に気づき、ずっと後悔を抱いて生き方をしてきたのだろう。
周囲が罰を与えずとも、贖罪すら敵わない罪という十字架が胸を焦がしているはずだ。
ゆえにジゼルは、そこに贖いではなく違うものを求める。
「しかし惨魔はもう死んだのです。だからリアン殿。貴方が過去を引きずって生きる必要はありません。そこにいる、正義に目覚めた貴方こそ、本当の姿なのですから」
「誰も正義になど目覚めてはいない」
リアンはそう吐き捨てつつも、軽い嘆息を交えながらジゼルに伝える。
「……だが、本当に騎士は真面目で面倒な生き物だ。結局、ルエラもあの馬鹿も、そしてお前も、俺に正道を歩めと強要する。それを一種の驕りだとは思わないのか?」
「そのようなつもりはありませんし、貴方にそれを拒否する資格もありません。ですが、私は自分の信じるものを貫きたいだけです。それは騎士としての正義であり、そして――」
向ける思いは純真に、生じる表情は自然体。
おそらく二度と作れないだろうその笑みを、ジゼルはリアンに送った。
「もし正義が貴方を敵に回しても、私は貴方の心を信じていますからね」
「……っ」
そのとき、微かにリアンの口端に変化があった。
決して無表情を崩さない彼が、今このときジゼルの言葉に反応を示したのだ。
そこに浮かんだ顔は、僅かばかりの失笑。
それにどのような意味が込められていたのか、ジゼルは知る由もない。
しかし感情を失くしたリアンでも笑うことができる。
そんな事実に、ジゼルの胸は温まっていく。
「……ジゼル。あそこにいるお前の連れだが、俺を睨んでいる理由は何だ?」
「えっ? 今リアン殿、私のこと初めて名前で――って、ミラ!」
いつの間にか、表門からこちらを覗くミラの姿があった。
「むむむ……どこに行ったかとあとを着ければ、ジゼル様が殿方と変な雰囲気に……」
まるで鬼のような形相で、彼女はリアンを睨んでいる。
ミラの背中から胸を貫いた傷は重症だ。てっきり、まだ屋敷で休養しているものと思っていたのだが、そこに存在する事実にジゼルは血相を変える。
「動いて平気なのですか!」
心配の声をかけると、ミラはずんずんと歩いて来る。そしてジゼルとリアンの間で、さながら壁を作るように立ちはだかった。
ミラはその小さな身体を精一杯に使い、大きく胸を張る。
「リアン様。命を救ってもらったことには感謝していますよ。でもジゼル様のことは別ですからね。そう簡単に、ジゼル様とお付き合いできると思ったら大間違いです」
「こ、こらミラ、何を馬鹿なことを言っているのですか」
誤解され兼ねないことを口走るミラに、ジゼルは辟易とした。
構わずミラは、今度はジゼルに思いの丈をぶつける。
「ジゼル様もあんな優しい表情向けちゃダメですよ。いつもの凛々しいお顔はどうしたのですか? 私の大好きなジゼル様に戻ってくださ――あいたっ、背中が焼けます!」
「ちょ、ミラ! しっかりしてください!」
「……人の家であまり騒ぐな」
呆れた果てた口調で、リアンは愚痴を零した。
朝日の登っていく丘陵の屋敷で、三人はしばらく雑談に興じていく。
そしてそんな無駄話をできるのも、彼女たちが今を生きている証だった。
正義はときとして、力の及ばないことがある。
そのとき現れるのは神か悪魔か、それとも驕り高ぶった人間か――。
人を裁くためには法が必要だ。これを一挙に飛び越えて、身勝手な断罪を行う者は等しく罰せられる存在である。しかしそうしなければ、枕を高くして眠る悪人が数多く存在するのだ。
全てを非とは言い切れないが、是として許容することは騎士の誓いから反する道。
「惨魔の在り方を許すことはできません。ですが……私の正義は、貴方を認めてしまいました」
「……ジゼル様? 何か言いましたか?」
「いいえ――何でもありません」
踏み外した先に待ち受けるは、正道か邪道かは分からない。
それでも彼女は歩き続けるのだ。
この街で得た結末を、次に活かしていくために――
武装甲女は解を求める。
【完】
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