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薔薇がこぼれた原稿用紙

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以前公開していたエッセイの再掲。
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エッセイ【読めなかった本の話】

エッセイ【読めなかった本の話】

住んでいる場所の区役所に用事があった時に、区役所併設の図書館を覗きます。
何か面白そうな本はないだろうかと、特に目的はなくふらふらと本棚の間を彷徨う。区役所に行った時の、私の暇つぶし。
私は国内の作家さんの本を読まないので(何故か読むのが苦手、海外の翻訳文学や古典ばかり読みます)いつも海外の翻訳された小説のあたりをうろうろします。
その日、いつもは見ないくせに、海外のエッセイの棚を見ていました。エ

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エッセイ【白の階調】

エッセイ【白の階調】

眼球の、白目の部分の描写をするのが好きです。
そこばかりを詳しく書く機会は無いのですが、物語の展開上で目の描写をする時、白目の表現が楽しい。
絵師さんが目に光を入れるときの感覚と似ているのだろうか。絵が描けないので全く同じかどうかは私には言えないけれども、目の描写は、身体のどの部分を書くときよりも命を吹き込む作業に感じます。
白目の白が、どんな白なのか。
目の話を続けると、登場人物一人一人の虹彩の

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エッセイ【心に薔薇を植える】

エッセイ【心に薔薇を植える】

以前、私がよく行く場所の近くにあるケーキ屋さんに併設されたカフェで、学友の文豪とお茶をしていたとき、ランチセットで選べたお茶の名前を、私はきっとずっと覚えていると思うのです。

「南仏のお花畑」

そういう名前のハーブティーでした。
私と学友は、
「私たちの頭の中みたいな名前だね」
といって、笑って南仏のお花畑を召喚したわけです。

頭の中が、お花畑。
私の頭の中は、薔薇庭園でしたし、今も薔薇庭園

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エッセイ【心が減るという表現】

エッセイ【心が減るという表現】

以前、掌編を書いていたときに、

『心が減る』

という表現をしたことがありました。確か、小説投稿サイトに連載している掌編オムニバスに収録されているどれかの話に書いたのです。

「心が減る」感覚は、きっとたくさんの方が経験したことがある気持ちだと思って、書いたのを覚えています。勿論、その言葉が表現として出てきた以上、私もその感情を抱いたことがあったのでしょう。この気持ちをもっと掘り下げて、伝えられ

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エッセイ【紅茶なのにブラックティー】

エッセイ【紅茶なのにブラックティー】

紅茶のことを日本語では「赤いお茶」と書くけれども、英語では「ブラックティー」と、黒いお茶と表す。

これを知ったのは確か、大嫌いな英語の授業だった。私は表し方の違いに酷い興味と趣を感じて、その時間を終えていました。他に何を習ったのかは、覚えていません。ただただ、紅茶をブラックと表すことを面白いとだけ思っていました。

そんな、趣にだけ動かされていた高校生だった私。

逆に英語圏の方がブラックティー

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エッセイ【小説家志望と名乗ることをやめた理由】

エッセイ【小説家志望と名乗ることをやめた理由】

Twitterのプロフィールに、結構長い期間『小説家志望』という自己紹介を書いていた。

それが『耽美主義の創作家』になって『耽美主義の文筆家』となり、執筆現在(2019・10・5時点)は『耽美主義小説家』という身分を書いている。

私は、「小説家志望」と名乗ることをやめました。

理由は、結論から言ってしまうと、

『志望』とか言っていたら絶対にそうはなれないと思ったからです。

元々、私はワナ

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エッセイ【喉元を過ぎても炎の熱さは覚えていたい】

エッセイ【喉元を過ぎても炎の熱さは覚えていたい】

私が書くことにおいて、耽美という永遠の主題の他に、書こうと思っていることがいくつかあります。

その一つが、

『私が泣いていた頃に欲しかった言葉を、昔の私が歩いていた道を今歩いてくるひとに渡せるような物語を書くこと』

これが、もう一つの主題です。この主題にいかに美を落とし込んでいくかを、今は試行錯誤しています。

私が苦しんでいたことと同じことに苦しんでいるひとは、何処かに必ずいると思っていま

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エッセイ『繰り返される一冊目』

エッセイ『繰り返される一冊目』

『物語は、読み終わったら、終わる』
このことを話すと、笑われることがよくある。
私は、何が面白いのか分からないし、面白いことを言っているつもりはないのに。

物語は、読み終わったら終わります。
私はこの発想を同じく持つ方に、出会ったことがありません。
読んだらいつか、終わってしまうから、読み始めることができないくらい惜しい。

私はとても自閉的です。
年齢的に大人とされるまで生きたおかげでなんとか

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エッセイ『空の青みを知る井の中の蛙』

エッセイ『空の青みを知る井の中の蛙』

「井の中の蛙」という言葉に、私はずっと違和感を感じていた。

世間知らず、と暗に揶揄するような響きが、世間知らずな私には好ましく思えなかったのかも知れない。でも私は、知らなくていい世間なんてたくさんありすぎると思っている。

誰もに情報を許容できる限界があると私は思っている。その許容量が、私はきっと、他の人達より著しく少ない。
だからネットの情報に長く触れていられない。多すぎる情報は疲れるし、余計

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エッセイ『フォローボタンを押すだろうか』

エッセイ『フォローボタンを押すだろうか』

私が他人の目からどう見えて、どう映っているのか。

客観的に見るようにと、様々な局面で言われたり思ったりしますが、自分ができる自分への客観視には、限界があると思います。

私は、どう見えているのかな。珈琲と紅茶、耽美と薔薇と原稿のひとだろうか。私が美しく生きているように映っていたら、嬉しいです。

残念なことに私の容姿は美しくはありません。それでも美しく生きるために、美しい『剣城かえで』という存在

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