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そもそも“メンタル”って鍛えられないよね、って話

筋肉のアナロジーで心を語ることはできない

『メンタルダウンで地獄を見た元エリート幹部自衛官が語る この世を生き抜く最強の技術』という本に、こんな記述があった。

私が自衛隊で見てきた「メンタルが強い」と言われる人たちには三つの共通点がありました。それは、①仕事に依存しすぎていない、②コントロールできないことには執着しない、③信じるものがある、の3つです。

ここで述べられている三つのポイントを眺めてみると、メンタルの強さを補強する状態の確保、物事の見方に整理されていることに気づく。

トレーニングによって筋肉は強化・肥大化させることが可能なのに対し、心をトレーニングすることは難しい。まして、この著者がもともと身を置いていたのは、自衛隊という組織である。

エリート自衛官街道を突っ走っていたのに、パワハラ上司に当たり、メンタルを完膚なきまでに壊してしまった。ぼくの場合、パワハラのような明確なきっかけがあったわけでもなくメンタル不調に悩まされた。その詳しい症状や経緯は、下記のnoteに詳しい。

世界はあまりにも急速に反転した。兆候らしい兆候もなく。いま考えてみても、怖いものだなあと思う。たとえるなら、目に見えないし、感覚もない交通事故にあったようなものだ。まあでも、インフルエンザにしてもコロナにしても、ガンにしても見えるものではないし、身体が異常を検知したときには、すでに罹患りかんしているのが普通だろう。

鬱だって一緒だ。花粉症なんかは、体内に蓄積された花粉が一定量の閾値いきちに達すると発症するなんて言われるけれど、いずれにしても格ゲーのライフゲージのように、ぼくらが目に見えるゲージはない。ヤツらは日常に絶えず潜んでいるにしても、ぼくらが認識できる時点では、「突然やってきた」と感じるだけなのだろう。

だから、仮にこの文章を読んでくれている人がいたとしたら、言っておきたい。「鬱はだれの元にもやってくる可能性がある。もちろんあなたにも」ーー。ぼくだって、まさか自分が「鬱」になるなんて、これっぽちも思いもしなかった。

まあ、なんというか「おれに限って」「わたしに限って」と思っているうちは、いくら経験者が声高に警鐘を鳴らしたところで響くものはないのかもしれない。けれどまあ、何事にせよ、予防措置をとっておくこと、知っておくことは大事なのではないかと思う。

「嫌われる勇気」をいきなり持つことはできないから

じゃあ、なにが鬱に近づかないための予防措置、日常習慣なんだっけでいうと、しっかり睡眠をとったり、適度な運動をしたり、栄養のある食事をしたり、陽を浴びたり、ストレスを溜めすぎないこと、に尽きるわけで。

まあ、「健康的な生活」と言われてパッと思いつく各項目はたしかにどれも大切だ。じゃあ最後に挙げた「ストレスを溜めすぎないこと」のためにできることはなにか。ストレスは大体において、仕事や人間関係に起因する。

冒頭で紹介した本でも、自分の軸をぶらさないこと、他人に自分のマインドをコントロールされないための心構えや具体的なテクニックがいくつも説明されている。この手の本で、もっとも有名なのは言うまでもなく『嫌われる勇気』だろう。

じゃあ誰もが、この本を通読しただけで人間関係の悩みからパッと解放されるのかというと、それはそれで難しいだろう。ぼくの個人的な感覚としては、HOWを叙述した文章によって行動変容を試みるより、具体的な体験談や物語を通じて、自分の人生や生活を相対化する営みだ。

人はそれぞれが地獄を内に抱えながら暮らしている。その主因になっているのが、比べるための複数の人生を生きることを許されていないことにあるのではないか、と思っている。過度に自分の人生を悲観的に評価して絶望してしまいやすい。

言うまでもなく、世界に目を向ければ、自分より何十倍も不遇な環境で生きることを強いられている人が無数に存在している。もしくは、同じような辛さを抱えていたとしても、未来への希望を捨てていないことで、まったく違う視点からポジティブに状況を捉えられているかもしれない。

ようするに、「想像力」がいつだって突破口になるわけで、他者の経験や物語は、この想像力を育んでくれる強力な触媒になり得る

旅とエッセイが映し出す、何気ないだれかの日常

その「想像力」は、いつも言ってるように新しい「人・旅・本」との出会いを通じて培われる。

去年末、長期的な休暇を利用して、ケニアとソマリアの国境近くにある世界遺産のラム島を訪れた。

その道すがら、何気なく読んだのが韓国でベストセラーになったというハ・ワンさんによるエッセイ本『あやうく一生懸命生きるところだった』

まるで、まとまったnoteの記事を読んでるかのような読後感。あまりにも、綴られている葛藤や焦燥が、日本社会で人々が抱えるものと同相で驚かされる。肩の力を抜いたり、人生に一息つきたいときに、響く考え方と言葉たちが並べられている。

エッセイには、だれかの何気ない日常がいくつも詰め込まれている。ぼくたちは普段、自分の日常に強く縛り付けられているから、だれかの日常を覗きみたり、感じたりする機会がない。映画や小説で主題になるのも壮大なテーマが普通で、日常そのものがメインの物語として描かれることは少ない。

けれど、旅をすると、路上には自分の日常とはかけ離れた日常に奔走する人々の暮らしがある。角田光代さんの旅エッセイ『いつも旅のなか』やNetflixのドキュメンタリー・シリーズ『ストリート・グルメを求めて』なんかをみていると、世界のあちらこちらの街角で、今日も丁寧に生活を紡ぐ人々のリアルな生活と表情を知ることができる。

もちろん、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』のようなエクストリームな代物もエンタメとしては大好きだ。けれど、共感の余地があって、自分の狭い想像力と地続きになる「あり得たかもしれない自分」の姿を思い起こさせてくれる何気なさにこそ胸が震えることがある。

鬱からの復活や、鬱の手なづけ方について、いくつかの本をご紹介

最後に、鬱からの復活が書かれた本をいくつか紹介したい。どれも、最近読んだばかりの本だ。

この本は、スモールビジネスにおける問題解決のQ&A集的にも情報価値の高い本なのだけれど、その序章にこそぼくは心を動かされた。本のA面は著者の佐川さんが鬱から回復していく物語。B面は無数の小さな改善を愚直に実行していくTips集で、すべてのスモールビジネスに通じるヒントが詰まってる。東大を出て、外資系企業で心を壊してしまってから、農家の右腕として再生するまでのプロセスに感動する。

もう一冊は躁鬱と戦いながら、苫野さんが哲学者になるまでの半生を綴った『子どもの頃から哲学者』。章ごとにコンパクトにまとめられた偉人たちの哲学が平易でかつ本質的。高校生とか大学生が読むと、受け取れるインスピレーションが多そう。世の中に転がる難しいとされる事柄のほとんどは「知らぬが仏」ではあるんだけど、それでも深く考えることでしか得られない発想の境地があるよね、と背中を押してくれる。

坂口恭平さんほど重度ではないけれど、僕も躁鬱的な気質があるので、坂口さんが語るその実相のどれもが痛いほど分かる。この本で指し示される処方箋は、多くの人を救うと思う。詰まるところ、生きるとは、物事の「解釈」に過ぎないから、平衡感覚を自分で司ることが生きる術になる。

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アフリカはケニアで、ポーカーと読書をしながら暮らす元・編集者/ライターの日記です。世界を相対化する技術の核心は、「人・本・旅」を通じ、まだ知らぬ新しい世界の扉を開くこと。ケニアでの生活、読んだ本から考えたこと、ポーカーの戦略やリアルな収支などについて発信します。最低4回配信。読者からの購読料はすべて本の購入に充てさせていただきます。ぜひご愛読ください。

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