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孤独を忘れるために群れることに何の意味があるのか?


生きていると孤独感を感じる瞬間はたくさんあります。

僕が本当に孤独を感じ、寂しいと思ったのは、東京に引越し、
一人暮らしを始めた時が最初です。
それ以来、一人の時間とどう付き合っていくか、自分なりに考えてきました。

これからまた変わっていくかもしれませんが、今現在、僕の、一人の時間の使い方は、徹底的に自分と向き合うことです。

孤独については、
孤独な水曜日の夜に、乾杯。〜全ては必ず将来に生きる〜
孤独を愛して、金曜日の夜は家で過ごすこと。

で、何度か書きましたが、僕はいつも孤独というものが頭から離れないのです。
だからまた今回も孤独について書いています。

人間は基本的に孤独だと思っています。
だから孤独感は、自分の中に常に存在するのです。

僕は何度も孤独に負けそうになりました。
会う人もいない、やることがない、お金がないから何もできない、話しを聞いてくれる異性もいない、孤独はいつでもすぐそばにいます。
でもその孤独な時間、誰にも邪魔されない一人の時間は自分にとって、
とても大事な時間なのだと、今なら思うことができます。

現在僕はオーストラリアのメルボルンという街に住んでいて、1日に平均約2~4時間くらい観光業をやり、それ以外の時間は、動画編集、note執筆、筋トレ、ランニング、読書、散歩、勉強などをしています。

観光業で毎日違う人達と会うので、一日中人と会わない日というのはありませんが、基本的にはメルボルンのどこかに行って、一人で過ごしています。  
なので、「休みの日は何してるんですか?」「普段は何してるんですか?」
と聞かれると決まって、「一人でいます」と答えています。

ありがたいことに、ご飯の誘いや、何かのイベントやパーティーに誘って頂く機会もあるのですが、僕は自分が本当に行きたいと思うものにしか行かないし、
会いたいと思う人にしか会わないようにしています。
なのでお断りすることもあるのですが、その時にいつも自分の中で葛藤を起こしているのが、孤独感です。

当然、人と会わないことになると、一人の時間がやってきます。
「あのパーティー行ったほうが良かったかな。」
「断らなかったら寂しい思いをしなくてすんだかも。」
と思うこともあります。

でもその対極に僕がいつも思うことは、
本当に行きたいと思わないのに行ってどうなるの?
本当に会いたいと思わないのに会ってどうなるの?
 
ということです。

孤独感と向き合うことを放棄して、その穴埋めをするために誰かと会って泥酔したり、行きたくもない集まりに行っている人も存在します。
僕はこれが悪いことだとは思いませんが、僕の考え方から言うと、無駄です。

それより自分と真正面から向き合って、現在の自分をしっかり受け止め、
その上で自分を磨き、人生の質を上げる為に時間使いたいと思っています。

本当に会いたい人と会う時間は素晴らしい時間だし、自分の人生の質を上げる、
いわゆる自分を成長させてくれます。
限られた人生の中で、そんな時間をできるだけ沢山過ごしたいなと常に思っています。

今を楽しむという言葉には、2つの意味があり、
人生には、楽しさが2種類ある。それは刹那的な楽しさ。と、本当の楽しさ。
でも書きましたが、楽しさは、刹那的な楽しさ本当の楽しさに別れます。
行きたくない集まりに行く、会いたいと思ってないけど孤独感に負けて会う人と過ごす時間は、僕からすると刹那的な楽しさです。
その瞬間は色んなことを忘れることができて、楽しく感じるかもしれませんが、
その時間が終わると次にやってくるものは孤独です。
そしてその孤独を忘れる為に、また刹那的な楽しさに走る。
これだと本当の自分と向き合うことができずに人生を終えてしまいます。
考えるだけでゾッとしてしまいます。

一人の時間を自分と徹底的に向き合う時間にあてるのは、その先に待っている本当の楽しさを手に入れるためです。
夢が叶う。
目標を達成させる。
成長を感じる。
尊敬している方と会うことができる。
豊かになる。
知識がつく。 
人に影響を与えることができる。
など、
これらは全て、僕が言う本当の楽しさです。

本当の楽しさを味わった瞬間を想像してみてください。
その瞬間は心が震えると思いませんか?

僕は震えます。
そんな瞬間をこの人生でたくさん味わうために、これからも孤独な一人の時間と上手く付き合っていきたいと思います。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

Ryoma 

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