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「孤独」という言葉が阻害されがちですが、本当にそんなに怖いものなのでしょうか? 人はいつだって孤独だという考え方もあるようです。

たとえば先日、私は人との待ち合わせの時間を間違え、1時間ほど早く喫茶店に着いてしまったことがありました。当然ながら、あと1時間待たないと相手はやって来ません。その間、ずっと一人で過ごすことになりますから、この状態は、孤独であることにほかなりません。

しかし孤独ではあるものの、このとき私は「孤独感」を抱くことはありませんでした。

この例からしますと、私たちが孤独状態に陥ることは日常的にあると言えます。「孤独」という漢字を見れば、「一人ぼっちで淋しい印象」を受けます。

ところがどうでしょう。

先程の例のように、喫茶店で一時間待つ間、資料を読んだり、書き物をしたり、やることがあれば孤独を感じることなく、むしろありがたい一時間だと考えることもできます。


一家団欒でも孤独を感じることがある


では次の例はどうでしょう?

一家団欒の場で、お父さんが家族とテレビを観ていたとしましょう。妻と子供たちは、アイドルが歌って踊る歌番組に夢中です。

でも、お父さんはまったくついていけない……。最近のアイドルなんて知らないし興味もないから、テレビを観ているのが退屈を通り越して苦痛でしょうがない。

しまいには、「俺はこの家族の中で、孤立した存在なんだな……」なんて感じるわけです。

これが紛れもない「孤独感」です。家族と同じ空間にいるにも関わらず、孤独を感じるなんて、ある意味不幸せなことです。

孤独というのは、一人だから淋しいというのは固定観念であって、一家団欒の中でも孤独感を感じるという現実が存在しています。

つまり、物理的に人と人との距離が隔てられた「孤独な状態であること」と、心に「孤独感を抱いている状態」は、根本的に違うのです。


孤独の正体を知れば、何も怖くない


「孤独は嫌だ」「孤独になりたくない」と思っている人が世の中にはたくさんいます。嫌なもの、怖いもの、恐れるようなものに関しては、その本質が見えれば、怖くなくなることがとても多いです。正体を知ってしまえば、襲ってきても対処できるというものです。

そのために必要なのは、想像することが大事ではないかと私は思います。ひとりになった時を想像して対処を考えておくこと。ひとりになった時に困らないように、準備しておくこと。たったそれだけのことで、孤独との向き合い方が楽になる、あるいは気楽になるかもしれませんよ。

今日はPRESIDENT Onlineの記事を基に書きました。

65歳からの孤独を楽しむ練習: いつもハツラツな人


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