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今日は孤独死について書いてみたいと思う。

「孤独」という言葉から連想される一位は「寂しい」だろう。しかしそれは本当だろうか? 「孤立」は寂しいかもしれないけど、「孤独」はそうではないと私は考える。

「孤独死」を嫌がる人がとても多い。しかし一人暮らしの場合、それはかなり難しいこととなる。死ぬ間際に、最後のメッセージを告げてカクンと亡くなるなんて、ドラマの世界だ。昔は自宅で家族に見守られながら亡くなることはいくらかあった。しかし今は病院で亡くなることの方が多い。

いや、むしろ自宅で亡くならない方が良い。必ず、警察が来て、事件性がないか確認するそうだ。場合によっては、疑われることもあってややこしいと聞く。

ずいぶん前の話だが、女優の大原麗子さんが孤独死された。この時みんなが「かわいそう」と思った。なぜなら死後3日ほど誰にも発見されなかったからだ。私の記憶では、この話から、孤独死について誰もが真剣に考えるようになり、せめてその日のうちに発見されたいと、言うようになったと記憶している。

最近では、毎日一回電話連絡すると決めている親子もいるそうだ。また電気製品がネットに繋がっていて、安否が分かる品もある。監視カメラを付けたという話も聞く。

私は今一人暮らしだ。死後一週間、誰にも発見されなくても別に気にしない。と、本当は軽々しく言ってはいけないかもしれない。なぜなら、死後一週間放置されていた場合、腐敗が進み部屋が使い物にならなくなるそうだ。

私は賃貸物件に住んでいる。その場合、掃除してもすぐには次の入居者を受け入れることができないために、損害を与えたという事で、賠償請求されることがあるらしい。そうなったら後始末をする家族に申し訳ない気持ちはある。とはいえ、自分が死んだ後のことだから、ゴメンと先に言っておこう。だって一人暮らしなんだからしょうがない。

高齢者と話をしていると皆さん「孤独死はイヤだ」と言う。「なぜ?」と尋ねると「だって、人知れず一人で死にたくないもん」と言う。とくに女性は「お風呂で死ぬのは絶対イヤ! だって裸を見られたくないから」とも言う。

乙女心は評価する。だけどこの気持ち、薄情だけど私には理解できない。自分が死んだ後のことなんて、どうだっていいと私は思う。裸を見られても、自分はもう死んでいるんだから、恥ずかしいも何もないはずだ。

「人知れず死ぬのはイヤだ」ということは、「人に見守られながら死にたい」という事になる。おそらく、昔のドラマのように、家族に見守られながらゆっくり息を引き取る。そんなことを夢見ているのだろう。現代の場合、そうなるためには、病気で入院していることになるだろう。

入院先の病院で、危篤状態になったら家族が呼ばれ駆けつける。危篤という事は、意識はないという事だ。家族の側からすると、死に目に間に合うかもしれないけど、意識がなければ「さよなら」は言えない。それでも家族に見守られながら亡くなることには違いない。

ところがよく考えてみてほしい。そうなるということは、すでに病院に入院しているという事だ。それが一年も二年も入院していたとしたらどうだろう? ピンピンコロリと逝きたいと言いながら、これが矛盾する。

ピンピンコロリの場合、体調が急変するという事なのだ。それがいつ起こるかなんて誰にも分からない。大家族で住んでいたとしても、たまたま一人の時にやってくるかもしれない。誰にも気付かれないまま息を引き取ることはあり得るのだ。

とにかくどんな場合でも「さよなら」を告げずに亡くなることは覚悟しておかなければならない。一人暮らしの場合、とくに鉄則だ。ピンピンコロリで逝けるなら条件なんて言ってる場合じゃない。直前まで元気であらなければならないという事だけは確かだ。だから今日も明日も健康でありたいと考える。

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