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X(Twitter)の投稿から感慨深い話の紹介です。

辛うじてセルフレジについて行ける親父殿(74)は、「決して肯定はしないけど、店員にキレる老人の気持ちは理解出来るんだよ」と語る。

尋ねることって恥ずかしいんだよ。自分の無知さや無能さなんか一番直視したくない。ボケが始まってたり、肉体の衰えを痛感してる人はなおさらどうだろう。

押して注文するやつ(タッチパネル)とか、自分でやるレジ(セルフレジ)とか、老人にとっては聞かないとわからないんだよ。

でも周りの若いやつは、説明聞かなくてもピッピッピッてやれるだろう。その中で、一人だけ店員に質問するのは、やっぱり恥なんだよ。

老人はいつも恥と戦ってる。
いつも戦ってる。


例えば、我々も高いレストランで他の客がみんな当たり前にマナーをこなしている中で、逐一店員に、「コレどうやって食べるんですか?」「コレ何に使うんですか?」って聞くの、若者でも気を使ったりするんですね。

老人もそんな感じだと。逐一店員に聞かないと生きて行けない。しかも老人からすれば、昨日まで通用してたルールが急に変わる。そんな感覚で時代を生きている。

そして自分もいずれそうなる。


このメッセージは、衝撃的で考えさせられました。

「知らないことは恥なんだ」と、多くの老人が思っているということです。

初めて就職した時、「一年生は、知らないことを恥だと思わず、どんどん聞いて覚えろ」と、先輩に教わりました。そこまでは良いんですが、その後が怖かったです。「二年目になれば、聞くなよ!」ゾッとしますよね。

何十年も生きてきて、知らないことを人に聞くことが恥だと思うのが普通の大人なんでしょう。しかし、最近のデジタル機器の進化は激しすぎます。知らなくて当たり前です。

「デジタル機器を触るのが怖い」という高齢者が多いです。まずその怖さを払拭する必要があるでしょう。触らないと覚えることもできません。だから恥を忍んで聞くことです。

分からないことを分からないと認め、それを恥と感じない精神を持つ必要があります。


いま私は61歳で、セルフレジもタッチパネルもスマホ決裁も、問題なく操作できます。しかしあと10年、20年先には、どうなっているかまったく見当もつきません。そう考えると、私だって、いつまでも感覚で操作できるとは限りません。

とにかく今から知らないことは知らないとして、人に聞く練習をしておこうと思います。無知や無能をちゃんと受け入れることが大切です。10年後には、店員さんすらいない可能性もありますけどね(笑)


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