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【体験談】出版社に初めて企画書を持ち込んでわかった3つのこと

突然ですが、小学生の頃の夢は何でしたか?

「プロ野球選手になりたい」「お菓子屋さんになりたい」「(単純に)お金持ちになりたい」など、色々な夢や願望を持っていたと思います。

私は考古学者になりたかった。

でも大人になるにつれ、その難しさに気づき、
「どうせ駄目だから」とチャレンジする前に勝手に諦めてしまう人がいます。

何を隠そう、昔の私がそれです。

「なんでもやってみなはれ。やらなわからしまへんで」と、サントリーの創業者の鳥井信治郎は言いました。

実はこの教えに従い、私はある出版社に企画を持ち込み
その結果、15年続く作家になることができました。

そこで今回は、なぜ私が作家になりたいと思い
その後、どんな風に企画書を出版社に持ち込んだかを
お話ししたいと思います。

「こんなやつでも出来るんだ。ぜひ自分もやってみよう」と
自分の夢に向かって一歩を踏み出す参考にしてもらえれば
とても嬉しいです。


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●そもそも後田(この記事の作者)ってどんな人?


私は現在51歳(2024年)。広告会社で営業をしているサラリーマン。好きなことは読書と映画鑑賞とたまに飲むお酒。いわゆる、どこにでもいるおじさんです。

でも一つだけ他の人と違うところがあります。
それは15年前から作家活動をしていることです。

主な著書は、中国・台湾でも翻訳出版された『<落ちこぼれでも3秒で社内エースに変わる!>ぶっちぎり理論38』、『気配りの正解』(ともにダイヤモンド社)、『失敗を最大のチャンスに変えるリカバリーの技術』(明日香出版社)、『逆境を活かす! 就活面接「エモロジカル理論」』(実務教育出版)、『1秒内定面接術』(インプレス)など多数。

また出版の実績を買われ全国の大学や企業から講演・研修依頼が殺到。
テレビ・新聞・雑誌などのメディア露出は50回以上、リクナビネクストジャーナルなど大手ネットメディアへの寄稿を100本ほど行いました。
そんな劇的な変化は、すべて「出版社への持ち込み」から始まりました。

●そうは言っても優秀だったんでしょ?


私の実績を読むと
「あーっ、、、そもそも優秀だったんでしょ」「特別な人の自慢話ね」と思われる方がいると思います。

でも実は真逆。私は落ちこぼれ中の落ちこぼれ。
世間でいうところの底辺からの這い上がり組みです。

元は母子家庭で生まれ育ち、差別と迫害の幼少期を過ごした自他ともに認める「落ちこぼれ」です。いじめにも遭ったことがあります。

学力は高3秋のテストで430人中420位を記録。
ギリギリ入れた三流大学を卒業後、奇跡的に広告会社に入社しましたが、単純ミスで100万部の誤印刷をするなどのありえない失敗を連発。

よかれと思ったことがすべて裏目に出て、
そのストレスでうつ病になり、半年間社会人をリタイアしたこともあります。

あまりにも毎日が嫌になり、死にたい気持ちにもなりましたが
そんなときこそ不思議なもので、逆に何で私が死ななきゃいけないのか!と人生に逆キレ。

どん底から抜け出すために、行動が裏目に出る理由を解明したくて、色々な本を読みあさり、その冊数は数千冊を越す勢い。

その結果、落ちこぼれだからこそ体得できた逆転方法を
独自のコンテンツとしてまとめることに成功し、ついに自分も作家になったのです。

●最初に作った企画は「就活本」


先ほどお話ししたように私は三流大学の出身です。
現在、調べたら偏差値が42くらいの大学でした。。。

そんな大学に元気よく通っていたのですが、就活においては時代が悪かった。なぜなら私の就活はバブルがはじけた超就職氷河期だったからです。

一流大学出身でも内定を獲るのは至難の業。
そんな中での三流大学ですから、資料請求からして不利でした。

当時は学歴差別なんて当たり前の時代。
そのため一般的な普通の会社は、私が資料請求しても資料すら送ってこない(そもそも受からないのだから経費の無駄と思われていました)。

当然、資料がなければどのように入社試験を受けられるかもわかりません。
もう人生ダメなのかと思いましたが、ここでも逆キレが発動。

どうせ資料が送られてこないのだからと、思い切って発想をチェンジ。
普通の会社ではなく「アイドルと出会える職場に行こう!」と考えたのです。

実は当時の私は、女性と手を握ったこともないチェリーボーイ。

中学生の頃はフォークダンスで女子の手を握るのを楽しみにするような人間で、そのため周囲から「キモイやつ」と毎日のようにバカにされる毎日でした。

そんな周囲を見返すには「アイドルと付き合うしかない」と考え、
どうせ資料が送られてこないなら、マスコミを狙おうと考えたのです。

これがなんと大正解!!

当時には珍しく、マスコミ業界は学歴差別がまったくない!
三流大学の私にも資料が送られてきたのです。

そこで東京・大阪・名古屋のマスコミでアイドルと出会えそうなテレビ局や映画会社・広告代理店の入社試験だけを受け、奇跡的にある広告会社の内定に成功。

その時に作り上げた就活方法が
最初の企画になった「三流大学のための就活テクニック」だったのです。

●三流大学のための就活テクニックとは?


「マスコミは学歴差別がない」と話しましたが、学生側には学歴差別はありました。

事実、あるテレビ局の集団面接で一緒になった早稲田大学の人に
「〇〇大学(私の母校)なのに面接会場に何しにきたの?せっかくだから記念撮影してやるよ」と言われ、屈辱的な写真を撮らされたこともありました。(その後、次の試験でそいつはおらず、「ざまーみろ」と思いましたが(笑))。

そんな人がいるくらい、面接は一流大学が当たり前。
三流大学の私がいるのは、空にUFOがいるくらいおかしな風景だったのです。

そんな宇宙人状態の私ですから、一流大学の学生と同じことを話してもすぐにボロが出ます。なぜなら基本スペックや経験してきたキャリアがぜんぜん違うから。

そこで私は誰も言わないポイントを突くことにしました。
それは「馬鹿だけど頑張ります!」というポイントです。

一流の学生は「自分はできます」「英語も話せます」「実績もあります」と、出来るアピールばかりしています。

でも面接官の立場で考えてみてください。
「そんなに出来るなら自分で会社を作れば?」とか「そんなに優秀なヤツだと自分の立場が危ういな」と思う人も出てくると思いませんか?

そこで私は「今の私は馬鹿だけど、一生懸命仕事を覚えてみなさんの役に立つように頑張ります」と訴えたのです。

するとこれが大うけ。

「ちょっとおバカさんだけとランチに一緒に行くにはちょうど良い後輩」というポジションを獲得でき、面接で落ちることがなくなりました。

50歳を過ぎた今だからわかりますが
新入社員には「できる!」以外に「可愛げがある」というポジションがあります。そしてこの可愛げは一流大学の人は苦手です。

私のやり方がすべてではないですが、
学歴やコネがない三流大学でも戦い方を変えれば、十分に一流大学と勝負することができたのです。

●なぜ本を書きたいと思ったのか?


2008年9月15日。世界を揺るがす大事件が起きました。
投資銀行リーマン・ブラザーズ・ホールディングスの経営破綻、のちに言うリーマンショックです。

これ以降、世界経済は急激に冷え込み
それに影響を受け就活もバブル崩壊後に続く氷河期に突入しました。

そんなタイミングで私は名古屋から東京に転勤。
せっかく東京に住むのだから、東京でしかできないことをしたいと考えました。

そこで思いついたのが出版です。

東京の人からすると出版社が東京にあるのは当たり前。
でも地方では当たり前ではまったくない。ど田舎ならそもそも本屋がない地域もあるくらい文化的な施設や会社はありません。

当然、地方に住んでいるというだけで作家になるチャンスは激減。
でも東京なら違う。

しかも世の中はリーマンショックによる就職氷河期になり、私が使っていた就活ノウハウが「使える・新しい・世の中に求められている」と思ったのです。

●国語の成績は「2」。「コネもない・実績もない」私のとった行動とは?


出版社に家から1時間以内に行けるというだけで、本が出せるなら誰も苦労はしません。

しかも私は学生時代の国語の成績は「2」。
出版社へのコネもなく、もちろん実績もありません。

でも、やる気だけはありました。
そこで私がとった行動は「まず手を動かすこと」でした。

・編集者に本を出すと言っても企画を見せてと言われるだろう。
 ⇒まず、企画書を作ろう!
・そもそもあんた誰?と言われるよね。。。
 ⇒まず、プロフィールを作ろう!
・どこの出版社に持ち込もう??
 ⇒まず、出版社を調べよう!

上記のような感じで、今の自分で出来ることから始めました。
その結果、数か月かけて企画書とプロフィールが完成。

でも肝心の出版社への企画の持ち込み方がわかりません、、、。

夜も眠れず悩んだところ、子供の頃の先生の教えを思い出しました。
それは「わからないことがあれば、質問しましょう」というヤツです。

そこで早速、好きな出版社のホームページを検索。
会社概要のページに書いてある代表番号(03-××××‐1111みたいなやつ)に勇気を出して電話をかけ、「出版したい企画があるのですが、どうすればよいですか?」と素直に質問したのです。

●30社に電話した私の結果


結論から言うと、どこの会社も大歓迎でした。

「出版の企画ですか?それであれば〇〇に郵送(メール)してください」
「編集の人間に代わりますね」
など、飛び込み電話の新人にも関わらず、みなさん超丁寧に応対してくれたのです。

ドキドキしながら電話して、途中でガチャリと切って深呼吸。
あと5分したらもう一度電話しようなどど、何日も優柔不断で臆病な毎日を過ごしていた私の行動は、まったく無駄だったのです。。。

自分なんてダメだろうと考えていたのは私の妄想でした。

そして30社にアプローチして1週間後、
なんと3社から会いたいというお返事が来ました!

その中の1社から私の初めての本が出ることになったのです。

おかげさまで4年連続で出版されました

●出版社に初めて企画書を持ち込んでわかった3つのこと


これが、私が初めて出版社に企画書を持ち込んだ話です。

この企画の持ち込み体験を通じて私は3つのことを発見しました。

・発見①できないと思っているのは自分だけ
企画の中身が気に入るかは横に置いておいて、30社の出版社はみな、私の持ち込み企画を大歓迎してくれました。でも持ち込む前の私は「新人の企画なんて見向きもされないだろう」「自分なんて作家になれるわけがない」と勝手に決めつけていました。まさに自分の敵は自分。自分が一番自分を信じないといけないのに、最もできないと思っていたのは私だったのです。

・発見②プロフィールと企画書は必須
本当に当たり前ですが、出版とは活字を本にする行為です。だからこそ「面白い企画がある」ということを口で上手に説明のではなく、文字できちんと人に伝える必要があります。そのためには「自分は何者なのかを表すプロフィール」と「どんな本の内容なのかという企画書」を持っていることが最低条件となります。作家志望の人がよく言う「頭の中で構想はばっちり出来ている」はNGです。きちんと文字で面白く表現できていなければ、それは妄想でしかありません。

・発見③出版は相性で決まる
同じ企画にも関わらず、Aさんは面白いと言い、Bさんはつまらないと言う。これって相性以外の何物でもないと私は思いました。事実、30社にコンタクトを取り、会いたいと言ってくれたのは3社。会った3社の中でも私の企画に対しての温度差はまちまちでした。まさにパートナーとの出会いと同じ。何度か会って、会話して。少しずつ相手との相性や距離を確かめる。こればかりは会わない限り進展しません。だからこそ、自分で自分にブレーキを踏まずに、勇気を出して一歩を踏み出すのが大事だと気付きました。

●最後にこそっとお話しする“とんでもないこと”


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。ちょっと長かったですよね。本当にあなたの律儀さには頭が下がります。

でもだからこそ、こそっと“とんでもないこと”をお話ししますね。



一生懸命作った企画書とプロフィールですが
実はまったく採用されません!!!



がーーーーん、、、。

数か月もかけて、あんなに徹夜して作ったのにと思いますよね。
バカ野郎と思いますよね。

はい、私も思いました。当然です!憤慨しました!!

でもよくよく考えれば当たり前。私もあなたも最初は素人です。

そんな素人の企画がいきなり本になるなんてうまい話がある訳がない。
でもだからこそ、プロの編集者がいるのです。

企画書を出版社に持ち込んだあなたには担当編集者が付きます。
そしてその編集者と一緒に世の中に役立つ企画を作っていけば
必ず本が世に出ます。

ひとつの企画に固執しない柔軟な頭も、長く作家をやる人には必要です。

ぜひあなたの作品を世に送り出してください。
落ちこぼれの私ができるのですから、あなたなら2,000%出来ます!

出版の暁には、ぜひ私に教えてください。
アマゾンで購入させていただきます!!!


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