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初めまして。 〇〇障害になった木こりです。

 初めまして。山で木を切ることを生業にしている木こりです。
早速、タイトルにもある通りとある病に罹りました。
それは、、、双極性障害です。


双極性障害とは、テンションが高く気分が高揚し、何かせずにはいられない気持ちになる躁そう状態と、逆にテンションが低くなり、1日中気分も憂うつで何にも興味・関心を持てなくなるうつ状態という両極端な状態を繰り返す病気のことです。
 うつ状態になって初めて「気分が落ち込んでつらく苦しい」「おっくうで何もできない」と受診をされるので、当初は「うつ病」と診断されることも少なくありません。  うつ状態が長く続き、数か月から数年を経ないと躁・軽躁の状態が現れないこともまれではないため、専門医であっても長期にわたる経過観察が必要になります。

 


では、何故それをここに書く必要があったのか。
noteは正直今まで見てこなかったプラットフォーム。
なぜなら、、見るのも書くのも時間がかかるイメージがあったから。

でも、始めようと思った理由は
①躁状態の時にアウトプットすることで様々な衝動を抑えるため
②同じ悩みを持つ人と共有したり、共感したい。
③おかしな状態にある自分を客観的に見てもらって、嘲笑う、意見を持つ、心配する。なんでもいいから何か思ってもらったら、この苦しみが無駄にならない。
④オフライン上や仕事で、無理して元気に演じて生きたくないので、公開したい。

なので、このnoteは精神と思考を整理する治療と思って初めて見た…と言うのが本音。
今回は、自己紹介とこれまでの症状を断片的に書いてみた。

自己紹介

改めまして、自己紹介。
年齢:29歳
職業:木こり 取締役
業種:空間デザイン / 林業 / 製造業  
性格:真面目、理性的、ひょうきん                     5年前から個人事業で林業を行い、昨年から代表と2人でスタートアップの事業を立ち上げ経営している。その傍ら、個人的にTBS SASUKEに挑戦中。



会社員(理学療法士)時代

さて、ことの始まりは、6年前。
 新人の私は、より仕事に専念するため、多趣味であったのにも関わらず全ての趣味や既存の日常を絶っていた。
そんな日々を数ヶ月続けているうちに、「あれ?自分とは何者なんだっけ?」「なんのために生きてるのだっけ?」「まぁいい。仕事だ。」

さらに数ヶ月。
患者さんの病室で仕事中に無意識に涙が止まらない。トイレから出られない。
同僚には、何気ない顔で接する。
家へ帰ると立ち上がれなくなり、食欲が湧かない。
「自分は何も成せないクセに、食べるし、排便する。人間なのか?」
「まるで、食べ物(生物)を汚物に変換するだけの無機質な”ただの筒”」としか思えない。
そんなの地球に要らない。迷惑だ。早く処理しなきゃ。。。
まず、やることはそれだ!殺そう!

死のう ではなく、 殺そう だった。
自我ではなく、達観して在ってはいけないものと思えていたのだろう。

それでも、殺せなかった。
理由は一つ。まだ、何処かに怖さと寂しさがあった。
死に方はいくつもシュミレートする。でもできない。
本当に中途半端な人間で腹が立っていた。
自殺のニュースを聞くと、どこか尊敬していた。

今考えると母に似て、寂しがりやで臆病な自分に育っていて良かったのかもしれない。

療養させてもらった老父婦が所有する山小屋。


現在まで

約2年前から、明らかに症状は出ていた。
もちろん元理学療法士の自分ではわかっていたが、事情があって認めるわけにはいかなかった。

本人は受診を拒む。 ~抱えるジレンマ~

受診しなかった理由はシンプルに4つ

  1. また精神疾患になったことを認めたくなかった

  2. 当時、周りに心配をかけたくなかった

  3. 仕事の言い訳にしたくなかった

  4. 取材や講演など公的に「森に入ってうつ病が治った」と言うストーリーを話していた

周りのためはいらない。

「周りのため」は誰のためにもならない。 必ず「周りと自分のため」が良い。

1と2は、自分や相手を信頼し、大事にできていないと陥る。特に当時、コミュニティを運営し、山村地域へ後輩や仲間たちへ声をかけ移住や就労に関して手伝っていた。当時の自分は声をかけ仕事を作っていく責任がある以上、泣き言なんて口が裂けても言えなかった。
 恐らく、もっと信頼して伝えていたら、相手も自分もこんなに苦しい数年ではなかっただろうと思う。
  意地は大切だけど、意地を張ることが目的になってはいけない。

そして、私の中でも4が大きかった。当時の個人事業の価値は、木こりとしてのキャラクターやクリーンなストーリーなのだと自覚していた。          
だからこそ、” 見られ方 ” が重要だった。
ここを保たないと、自分が自分ではなくなる気がした。

もし、素直になってしまえば、辛いことも =楽しい と誤魔化していた自分から、全て弱音が溢れ出そうだった。

今考えれば、自分がキャラクターになろうとしてたから、周囲はそれを良いと評価していただけだ。
実際、正直に話してみると、人間性を見て、仕事をしてくれてる企業や人がほとんどだった。

自分がどう生きようとするか。
を、汲み取って周りは、その人をそうだと理解している。
結局、周りのためでなく、自分の為の生き方を考えなきゃいけない。
造られた story は、周囲の中でも、結局ただ一つの scene だったくらいの扱いで終わる。気づいたら少しは story になってるくらいがいいのかも知れない。

没頭して作った森林作業道

暴走と自殺企図

だが、昨年の秋頃、仕事や過去の付き合いなどからトラブルが起き、また症状が顕在化してきた。
同僚や周囲に迷惑や負担をかける度合いが大きくなったこのことで、ついに受診をした。

秋から現在までの症状は主に

躁から鬱に切り替わった時の自殺企図
・冬の道路にしばらく寝転がる
・自殺方法を検討する思考が巡る
・車で突っ込む衝動に駆られる

破壊的な衝動
・自ら手指の骨を折る
・仕事に必要な物であるにも関わらず、全て売ってしまう
 (倍の値段で買い戻した…)

躁状態の時の癇癪
・普段、怒るような事でもないのに、人格乖離が起きなような怒り方をする
・仕事など休まずできるために、周囲にプレッシャーを与える
・思考が巡り、多弁になり、他者を追い込んでしまう

鬱状態
・自身が空っぽな虚無感に追われる
・感情が感じれなくなる
・あらゆることへの興味が無くなる
・眠剤なしでは眠れなくなる



おわりに

今も、リチウムを服薬し双極性障害と向き合いながら、日々仕事をして生きています。
決して、双極性障害がどうだから仕事がどう。という軸ではなく、うまく付き合って事業は普通にやっていきます。
それを可能にしてくれる同僚の存在や仲間の存在があります。

この半年間「普通に生まれたかった」と言う想いが脳裏から離れなかった。
でも今は、普通じゃない自分でも受け入れてくれる周りのためにも、自分らしく生きることをしてみようと試行錯誤する。

このnoteが、誰かにとって有益であれば嬉しい。
でも、それ以上に躁状態の時に衝動が来てしまった時の自分への布石として書こうと思う。

今後は、どう乗り越えてきているかなど含めて書けるといいかなと思います。

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