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【夢日記】初めて恋人の家へお邪魔し、彼女の姉の優しさに触れた時、僕の心は・・・。

※なんか、気が付いたら、いつもの夢日記の倍ぐらいの長さになってしまいました。更新時刻が遅めなのはそのためです。たぶん、夢の内容の問題だと思うんですが、書いている内に「もういっそのこと思うこと全部書き綴ってやれ!」と、余談が長くなり、文量の長さに拍車をかけた感があります。調子乗った感は否めません。ごめんなさい。


僕は、恋人の家へ初めてお邪魔することになり、終始、落ち着かず、表面上は、笑みを浮かべたりして取り繕いながらも、どこか顔はこわばった感じが否めない、と自覚出来るぐらいには、緊張しっぱなしだった。

恋仲と思われる彼女の家は、家族と一緒に暮らしている、つまり、実家なわけである。現実世界の僕も、未だに行ったことが無い。「未だに」と書いたのは、お付き合いを初めて、数年の年月は経っているにもかかわらず、だ。

理由は幾つかある。まず距離が遠い。僕は兵庫県在住、彼女は千葉県在住。どこから遠距離恋愛と言うのかは個人差があろうが、簡単に往来出来る距離ではないことは確かだ。

次にコロナ禍だ。ちょうどお付き合いが始まったぐらいから「不要不急の外出は禁止」というワードが世間を賑わせ始めた。「恋愛は付き合う前~付き合い始めが一番楽しい」なんてことを愚痴っぽく言ったりする人の多さからも分かるように、ちょうど、一緒に会ってイチャイチャしたい盛りの頃に、僕たちは「不要不急の逢瀬」を禁じられたわけなのである。

以上の2点から「距離は遠いしそもそも国家から会うなと勧告された」といった状況に陥り、僕達のコミュニケーションツールは、もっぱら「リモート通話」となった。

最初は物足りなさを覚えていたものだが、次第に慣れて行った。「今日は『リモートごはん』と題して一緒に晩御飯を食べよう!」だとか「プライムビデオのウォッチパーティという機能を利用して『リモート映画観賞会』を
催してみよう!」などなど、実際に会わずとも楽しめるやり方を、お互いに見つけ合っていたものだ。

そして、今現在では、アフターコロナと呼ばれるフェーズに入り、不要不急という言葉を見る機会も聞く機会もゼロに等しくなり、外に出てもマスクを着用していない人が大多数といった風に「逢瀬OK」の大義名分を得ることになったのだが、付き合い始め特有の胸の高鳴りが、”良い意味で”無くなっていったことに加え、リモートの楽しみ方までをも極めてしまった僕達には、それこそ「不要不急」に感じてしまうのか、結局、リモート通話で満足している、そんな実情が潜んでいるわけである。

余談

晩御飯の時間となり、僕は、お呼ばれする形で、テーブルにちょこんと座って、やはり落ち着かない様子で、辺りをキョロキョロと見回していた。

現実世界でも「一緒にご飯を食べるのが最難関だよなぁ・・・。」などと、彼女に本音をこぼしたりしていたことを思い出した。そういう、心の奥底にある不安が、夢として表出されたのかもしれない。

僕は、自分の食事のマナーは、色々とツッコミが入る余地があるはずだ、という固定観念がある。なぜ「固定観念」と書いたかというと、彼女は「それは考え過ぎ」だとか「ウチの親はそこまでうるさくないよ」などと、優しくたしなめてくれているからだ。

具体例を一つ挙げれば、僕は「魚の食べ方」に、まるっきり自信が無い。魚自体は大好きなのだ。だけれど、骨を取って身を剥ぐ、この作業が、僕にとって、難行苦行以外の、何物でも無い。

有り体に言えば、面倒臭いわけである。「なぜ自分の腹の減りを満たすためにこんな労力を割かなければならないのか」などと、自分自身、誰にベクトルが向いているのか、良く分からないストレスを抱えてしまう。実際、骨の除去作業に、せっせと取り組んでいると、疲労感からか、食欲が減退してしまい、あんまり美味しくいただけないよ~、といった悲しい話も、これまでに、何度も経験してきた。

そんな、ろくでなしの僕が、彼女の家でご飯をご馳走になる際に、もしも、魚が出てきたら・・・。

嗚呼、考えるだけでも恐ろしい。僕は、まず間違いなく、彼女の両親に魚の食べ方をテストされているのだ、などと感じてしまい、いつもに増して、不格好な食べ方をして、両親を呆れさせ、落胆させてしまうに違いない・・・。

そんな僕の情けない話を、彼女は何とも言えない表情で聞き流しつつ、やはり最後には「ほら、また、考え過ぎだって」と、優しく、たしなめてくれるのである。

うん。分かってる。「お前の余談は良いからさっさと本題を語れよ」という物言いは、僕の心の中でも、けたたましく鳴り響いている。でも、書きたくなったんだ。仕方ないじゃないか。書かせてくれよ。

あぁ、俺、やっぱり、あなたのことが、好きだなぁ、ってことをさ。

恥ずかしいのか、照れくさいのか、直接、声に出して伝えることが、なかなか出来ない、三十路手前のシャイボーイは、話の流れに乗って、勢いに任せて、自身の過疎SNSで、ひっそり、一人、思慕の念を抱くことで、精一杯なのであった・・・。

余談

僕は、辺りをキョロキョロと見回しながら「自分に何か出来ることはないだろうか・・・。」と、一人、思案していた。

こういう時、とりあえず何でも良いから手伝うぞ、と意気込んで、相手に仕事を割り振ってもらうように頼んだりするのは、むしろ、自分が介入したことで、時間も労力も余分に割くハメになった、俗に言う「ありがた迷惑」に働いてしまうことを、僕は、これまでの経験を通して学んでいた。

だからこそ「あっ、そんなところまで気付いて行動してくれただなんて。なんて気が利く人なのかしら!」と思われるようなものは、どこかに転がっていないだろうか、そんな意識で、辺りをキョロキョロと見回していたわけだ。

そこで僕が目に入ったのが「重石用と思われる水入りペットボトル」の存在である。

食卓のテーブルには、あらかじめ、新聞紙が敷かれていた。おそらく、ご飯を食べる際に、何かこぼしたとしても汚れが残らないように、といった対策ではないかと思われる。

しかし、この日は風が強めなのか、窓から入って来る風の力で、新聞紙が、かなりはためいていた。一応、真ん中に、大きなコンロが置かれていたため、風で吹き飛ぶ心配は無さそうだが、これではどう見ても新聞紙が邪魔で食べづらいだろうと、僕は感じたのだ。

そこで前述した「重石用ペットボトル」の出番というわけだ。これをテーブルの四隅に配置すれば、新聞紙がはためくことはない。ちなみにサイズは500ml。それほど邪魔にもならないであろう。それに、今回のような状況の時に、出番が巡って来るアイテムのはずだ。

そう僕は結論付けて、善は急げ、と言わんばかりに、目的地へと歩みを進めた。なお、特に描写していないことからも分かるように、彼女の家族には「新聞紙がはためいていますね」だとか「重石用のペットボトルを置きましょう」などとは口に出さず、言うなれば、自己判断、身勝手な行動を、僕は取ったわけである。

元来、僕には、そんなところがある。

一口に言えば、不言実行タイプ。これは、プラスに働くこともあるが、マイナスに働くこともある。だが、数で言えば、割合であらわすと「2:8」ぐらいには、プラスの数が少なく、マイナスの数が多い。それに基づけば「悪癖」と呼ばれても致し方ない、そんなところがあるのだ。

プラスのパターンは「そんなところまで気付いてやってくれたんだ、ありがとう~」といった感じ。

いえいえ。どういたしまして。そういってもらえると僕も嬉しい。平和な世界。ハッピーエンド。ちゃんちゃん。常にこの世界線だったらいいのに。

マイナスのパターンは「わざわざごめんね~」とか「そこまでしてもらって何だか申し訳ないなぁ」と言った感じ。

これは、一見すると、プラスのパターンと類似しているように思われる方も居るかもしれないが、明確に異なる点がある。それは「ありがとう・ごめん(申し訳ない)」の部分だ。

僕の経験則に基づいた持論になるのだけど、シンプルに、ありがたいなぁ~、と感じた時は、自然と「ありがとう!」という言葉を発しやすい一方で、ありがたいんだけど、うーん・・・、という、モヤモヤも感じた時は、ありがとう、という言葉よりも、ごめんね、とか、申し訳ないです、という言葉を発しやすいのではないかと、僕は思っている。

あるいは、同じ「ありがとう」でも、語尾に「!」が付くのではなく、「あぁ、ありがとう(苦笑)」といった感じで、第三者から見ると、どう考えてもありがたがってへんやん、そんなツッコミが入りそうな、たどたどしい、弱弱しい、ありがとう、だったりするものだ。

僕は、そういった「ごめん/申し訳ない/ありがとう(苦笑)」という返答を受けると、ルパン三世の五右衛門ばりに「またつまらぬ善意の愚行を働いてしまった・・・。」と、後悔の念を抱く始末なのである。

ちなみに、もっとも良くないのは「いや、そんなこと、別に頼んでないんだけど・・・。」という、ありがた迷惑を通り越して、ただただ、はた迷惑、といった感じのヤツ。

これは、うーん、何と言おうか、感情がギュワンギュワンして、とでも言うのかしら、とにかく、その瞬間は、僕自身「アハハ・・・」と、懸命な苦笑いで、難局を乗り切ろうとするのだけれど、後々になって、ボディブローのように効いてきたりもする。

一つ、具体例になるかどうか、微妙なところだが、今、思い出したのは、知り合いの誕生日当日にお祝いメールを送るために待機して、0時になったタイミングで送信すると、返って来たのが、

「えっ、誕生日、アンタに言った覚え、無いんだけど・・・。」
「ねぇ、何で知ってるの、誰から聞いたの・・・。」

と、文字媒体でもストレートに伝わってくるレベルでの、あからさまなドン引き、をさせてしまったことが、僕にはある。

僕は「テメーが話の流れで俺に言ったんだよ!」と、怒気を孕んだメールを送り返してやろうか、という気持ちを、必死に抑えながら、

「びっくりさせてごめんね^^;(苦笑いの絵文字)」
「0時ちょうどに送るなんてどうかしてるよね^^;(苦笑いの絵文字)」

そんなことを返した覚えはある。

ちなみに、言わずもがなではあるが、来年以降、その人の誕生日がおとずれても、僕は、お祝いメールを送らないよう、心掛けた。

余談

しかし、ココで、トラブル発生。

※「ココ」と言っても、余談が謎に長くなり過ぎてしまい、何のことか良く分からん、となりそうなので、補足しておくと、重石用のペットボトル付近でトラブルが起きた、ということを指している。

ペットボトルをサッと取り出そうと手を伸ばすと、一つだけ簡単に取り出すことが出来ないような状態になっていることに気付いたのだ。

説明するのであれば、うまいこと、段々になって積み重なっているような感じ、ジェンガで遊んでいて、いつ崩壊してもおかしくないような状態、と言った方が、イメージしやすいであろうか。

僕は、このペットボトルを動かせば、他のものも「ドタバタ、ガッシャーン!」となってしまうのではないか、と思い、サッと取ることが出来ず、その場で、しばし、身悶えしていた。

だが、もじもじしているだけでは何にもならない、それもまた、過去の苦い記憶とともに、経験を通して学んでいる。今の僕はあの時とは違う。数々の失敗を経ての今なのだ。今の僕であれば、上手いことリスクヘッジした上で、ミッションを完遂出来る。僕が僕を信じられなくて、誰が僕のことを信じられるっていうのさ!

僕は、心の中で自らを鼓舞して、それこそ、ジェンガの終盤戦さながらの緊張感をもって、ペットボトルを4つ、取り出すことに成功した。

「ふぅ~・・・。」

僕は、安堵のため息とともに、両手に500mlペットボトルを4つ持っているという、何とも滑稽な姿でいたところ、突然、彼女の母から、

「ねぇ、いったいなにをしているの?(笑)」

と、声を掛けられた。トーン的にも、ニュアンス的にも、負の感情は、まとっていなかった。形容するのであれば、面白おかしく、といった感じで、そう、僕に尋ねて来たのだ。

「いえ、あの、重石、必要かなぁ、と思いましてね、ちょっと・・・。」

僕は、絵に描いたような狼狽っぷりを見せて、そう返した。さながら、イタズラしているのをお母さんに見つけられた子ども、のようであった。

ちなみに、僕が経験した具体例で言えば、自慰行為に耽っているところ、部屋のドアがトントンとノックされて、寿命が縮まる思いを感じながらも必死に取り繕う、と例えた方が、より適当ではあるのだが、さすがに下品やなぁ、と思い、全年齢対応の表現に切り替えたまでである。

ちなみのちなみに、「結局書いたら一緒やんけ!」といったツッコミは、既に僕が、脳内セルフツッコミを入れているため、受け付けていない。悪しからず。

余談

「あら~、そうなの。気になって聞いてみただけ~(笑)」

彼女の母は「ありがとう」とも「ごめん」とも発していなかったが、それでもやはり、負の感情は、僕には感じられなかった。言葉通り、気になって聞いてみただけ、というのが真相らしいことが、伝わって来た。そういう意味では、僕は、ホッとすることが出来た。

「気にさせていたら、ありがた迷惑みたいなもんですよね・・・。」

ホッとした一方で、気になって、と述べた部分に、どうにも引っ掛かりを覚えてしまった僕は、自ら「ありがた迷惑」というワードを用いて、非礼を詫びることにした。

これは、割と共感を得られやすいのではないかと、勝手に思っているのだけど、自ら「言い訳させてもらうと~」などと言うことで、相手から「言い訳すんなよ~」と言われるのを封じ込める作戦に打って出よう、とした経験がある人は、少なからず居るのではないだろうか。

今回の「ありがた迷惑」も「言い訳」と同じようなもので、相手から、直接言われるのを封じ込めたい、という欲求に駆られて発したものだと推測されよう。

つまり、一見、へりくだったような表現にも思われる言い回しなのだが、フタを開けてみれば、単なる自己防衛、単なる自己保身、自分のことしか考えられていない証拠だ、と言われたら、何も言い返すことが出来ないのが、我ながら、頭が痛い話だなぁ、とも思う次第である。

余談

そんな会話を二人で交わしていると、彼女の姉が、

「分かる分かる。最初って何かと緊張しちゃうんだよね~」

軽い調子で、そんな声を僕に掛けてくれた。その軽さが、とてもとても、僕には心地が良かった。フッと、体の力が抜ける気がして、随分とラクになったものだ。

これも経験したことがある人は割と居ると思うのだけど、「体の力を抜いてください」と言われるよりも、今回のように「私も体がこわばった経験があるんです」と言われた方が、同志が目の前に居た、というような心持ちになれて、ラクになれたりするものだ。

多分、これは、どんなことにも言えると思う。

例えば「切り替えろよ!」と言われても「人に言われてパッと切り替えられるなら自分で既に切り替えてるよ」とボヤきたくもなるが、肩をポンポンとされながら「次、絶対、やり返そうな」と言われた方が、自然と、過去から未来に焦点が切り替わり、気付いていれば、メンタル面も切り替えられていたりするものだ。

僕は、声を掛けられる側で、両方の体験をしてきたが、自然と体の力を抜くことが出来た、自然と切り替えることが出来た、といった体験は、割合でいえば「1:9」の「1」ぐらいには少なかったように思われる。

だからこそ、僕は、声を掛ける側に回った時は、無意識的な反射によって声を発していると思われる「9」に属するのではなく、意識的な努力によって声を発していると思われる「1」に属する人間でありたいと、密かに、けれども、かたく、心に誓っている。

余談

僕は、彼女の姉の優しさに触れ、心の中で感激しつつ、

「そうなんです。なんか、聞くタイミングも、分からなくなって・・・。」

と、正直な想いが、ポロッとこぼれたら、彼女の母が、

「あはは。ごめんごめん。気を遣わせちゃったねぇ」

と、謝らせてしまったことに、僕自身、居た堪れなくなって、

「あっ、いや、そういうわけじゃ・・・。えっと、はい、すいません」

などと、いったい、何に対して「いや、そういうわけじゃ」と訂正しようとしたのか、何に対して「はい」と首肯したのか、何に対して「すいません」と謝ったのか、話している僕にも、良く分からない言動を取ってしまったのである。

せっかくの機会なので、このシーンを、時間にすれば数秒の僕のセリフを、整理して考えてみたい。

「あっ」に関しては、僕が、想定外の事態に物事が進展してしまっているぞ、と感じた際に、良く口をつく癖、世間一般では「ドモり癖」などと言われたりすると、僕は理解している。これは、彼女の母に謝らせたかったわけじゃないのに、という心情の表れであろう。

「いや、そういうわけじゃ」に関しては、意味合いとしては「あっ」と同じではなかろうか。直前に自身が発した「聞くタイミングも分からなくなって」と述べたことへの後悔、みたいなものも感ぜられる。そう受け取られるのは本意ではなかったのに、といったところか。

「えっと」に関しては、僕はこう思っている、というのを伝えた方が良いのか、それとも、話の流れに身を任せた方が得策なのか、といった逡巡、且つ、沈黙を避けるために発せられた言葉だと考えるのが適切であろう。これも、日頃、無意識的に、僕の口から、たびたび、発せられている気がする。

「はい」に関しては、気を遣わせちゃったね、に対する返答だと思われるが、その返事に至るまでの心の葛藤が、「あっ、いや、そういうわけじゃ・・・。えっと、」に込められているんだろうと、僕は解釈した。

心の葛藤を、敢えて言語化するのであれば、本意ではないけど自分が気を遣っていること自体は事実だ、というニュアンスでの「はい」とも受け取れるし、気の遣い方が他の人と比べてズレてるところがあるんです、というニュアンスでの「はい」とも受け取れる。あるいは、収拾がつかない事態に発展するのを恐れて、とりあえず返事しておこう、というニュアンスでの「はい」とも思えなくはない。

おそらく、どれが正しくてどれが間違い、というわけではなく、上記に挙げた3つとも、この「はい」に内在されているんだろうな、というのが、僕の結論である。

最後に、取って付けたような「すいません」に関しては、そんな僕のモヤモヤを、咄嗟に言語化するのは不可能だ、というのを暗に悟り、この会話は自ら打ち切ろう、そんな意味合いが強いように思われる。こう言うと語弊があるかもしれないが、謝罪の意、というよりも、話の流れ、で出た言葉のような気がする。

僕は、話の流れから発せられる「ごめん・すいません・申し訳ないです」は、あまり好いていない。聞く側の立場からすると、「一日に何度も謝罪の言葉を使っていたら『いざという時』に効力を失って相手に想いがキチンと届かないよ」と感じるフシがあるからだ。

であるにもかかわらず、この有り様だ。人のふり見て我がふり直せ、の観念を働かせながらも、やはり、自分だって使っているのだ。これは、僕の修行不足なのか、あるいは、よほど注意しなければ容易く使ってしまいがちなのか。おそらく、両方なのであろう。

余談

僕が、会話を打ち切るような一文を発したことで、彼女の母と彼女の姉は、また持ち場へと戻って行った。

僕もまた、どうにかこうにか手に取ることが出来た、500mlのペットボトル4本を、テーブルの四隅に置いて、晩御飯をいつでも食べられるようにスタンバイした。

再び、辺りをキョロキョロと見回してみて、もうそろそろ仕度が終わりそうだな、という気配を感じ取ることが出来た。僕は御役御免。そもそも、役に立ったかどうかは置いておくとして、僕の役目が、もうどこにも無さそうなのは、確からしかった。

そんなわけで、いくばくかの自由時間が与えられることになった。その、何をするでもなく、ボーッと、辺りを眺めている感じが、僕には、とても心地良く感じられた。

「(なぜ心地良さを覚えることが出来ているんだろう?)」

不意に、僕は、自分がリラックスモードに入っていることが気になって、自問自答してみた。

「(そうだ。彼女のお姉さんのおかげだ)」
「(あの一言によって、心を解きほぐしてもらえたんだ)」

そんな想いを胸に抱きつつ、彼女の姉を見やると、これまでとは明らかに違った見え方をした。身体的な反応で言えば、心がズキズキする感覚があった。それを自覚すると、ハッとなって、思わず目を逸らした。

”彼女の姉”

ともすれば、背徳的な響きとも取れる、このワード。そんな思考がフッと頭によぎったのがいけなかったのか、途端に、邪(よこしま)な妄想が駆け巡り、僕の股間は、ムクムクッと大きくなってしまった。

僕は、周りに悟られないように、なんとかポジションを整えて、M-1の笑い飯風に言えば「チンポジ」を整えて、勃起状態でも目立ちにくい場所へと移動させることに苦心した。

これでなんとかバレないだろうか、と一安心したのもつかの間、僕は反射的に、彼女の姉に視線を向けていた。それも、料理の支度をするために後ろ髪を束ねて、うなじが丸見えになっていたのを良いことに、後方から、じいっと、うなじを眺めていた、もとい、凝視していた。

悶々とした想いを、一層募らせながら、僕は、目を覚ました。


【P.S.】

「この話、書いたは良いけど、まかり間違って、僕の恋人と近しい人が読んだら、どうなるんやろうか・・・。」と思って、しばし、(実際に片手で)頭を抱えたんですが、最終的に「まぁそもそも俺が出来た人間じゃないし別にええやろ!」と思ったので、このまま見切り発車しようとしているんですけど、この判断は、いかがなものでしょうか・・・?

そんなこと聞かれても、普段のお前知らねえから何とも言えねえよ、としか言えませんよね。すいません・・・。

なんとなく、なんとなくですけど、もし何かあっても、笑って許してくれるんじゃなかろうか、という絵が、漠然とイメージ出来たので、このまま、UPさせていただきます。

とはいえ「親しき中にも礼儀あり」の精神は、人としてかくあるべき、だとも思っています。なので、彼女の姉に欲情した夢の話を書いてしまう僕のことは、是非とも、反面教師にしてやってください・・・。


【追記】

「書けば書くほどなんか長くなってるやん」というのは、僕が物書きの趣味を始め出した頃から今に至るまで、ずうっと抱え続けている悪癖なのですが、今回は思いっきり露呈した形です。

こうなると、当たり前ですけど、他のことに時間や労力を割けなくなる、といった事態に陥り、最終的には頓挫し、更新自体を一切合切やめてしまう、そんなことを、noteという媒体一つとっても、同じ過ちを、何度も何度も、繰り返していたりもします。

そんな僕も、さすがにそろそろ、失敗から学ぶことが出来つつあります。

というわけで、今後、今日の夢日記は長くなりそうやな、と感じたら「前編・後編」とか「前編・中編・後編」といった風に、分けてUPして、続きモノは、冒頭に記事リンクを貼る、といった措置で対応しようかな、と書いた後、思いました。

これも、内容や僕のコンディションによりけりなんですけど、ここまで書いて来た感じだと「10分500文字」ぐらいのペースで、僕は、書き進めるが出来るみたいです。それが早いのか遅いのかは、良く分かりませんが。

僕の生活スタイル的に、長期的に継続するのを前提にすれば、大体1日1時間が限度かなぁ、と結論が出たので、字数で言えば「3000字」が目安になりそうです。

多少越えるぐらい、4000字以内にはまとまりそうだ、と思ったら、1話完結モノにしますが、それ以上行きそうだぞ、と思ったら、続きモノになると思われます。

以上、よろしくお願い致します。

最後に一つ。

「長々とご丁寧に説明してるけど、お前の夢日記に付いてるスキなんて、多くても片手で数えられるぐらいだぞ(笑)」

という嘲笑は、既に僕自身、セルフ嘲笑を済ませておりますし、そもそも、スキが1でもあれば、いや、閲覧数が1でもあれば、僕は、その1に対して、自分の出来る範囲で、誠心誠意努める、それが、為すべきこと、だと思っておりますゆえ、そういった類いの難癖は受け付けておりません。悪しからず。

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