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直感だけで行った、はじめての「文学フリマ」

大事なことが、いくつかある。


忘れることのできない夕焼けとか
触れただけで心が震える手の温もりとか
永遠に思えるほど消えない過去の過ちとか
遠ざけてしまった誰かの優しさとか

大事なことは、いくつかある。


日々そういうものにとらわれてしまい
カラダとココロががんじがらめになってしまうと
あっという間に動けない棒人間の完成で。

僕はずっと、動けなかった。
僕はずっと、生きることにしがみつくことしか
できなかった。


ずっとこのまま変わらない。
変えられないのかもしれない。
そういうことが幾度も頭をよぎったけれど
最後にたどり着くのはいつも、あの日の、あの人の言葉。


「諦められないなら、信じ続けて。きっと、大丈夫よ」


僕はその言葉をずうっと、誰にも聞こえない場所で
声を押し殺しながら、抱きしめて、泣いているんだろうか。


「行動することが、すべて」

いろんな人から、それを学んできた。
実感もあったし、事実そうだと思う。

でも自分の中で、動くことができなかった数か月、数年。

僕は信じられないくらいにビビりだし
石橋は割るまで叩いて渡れないような人間だ。

そんな人間が動き出すまでには
途方もない時間をかけるか、諦めるかの、2択だった。

そして僕は、諦めきれなかった。


始めたのは、行動を起こすことじゃなく
ランニングだった。

歩くことから始めて、ジョギングに変わり
いま2か月半経ったけれど、数キロならランニングできるようになった。
走行距離は、2か月半で434キロ。
心を病んであれだけ太った身体は、8キロ体重が落ちた。

何もできないのではなくて、何かが積み重なったような気がして
それでも意味はあるのかわからなかったけれど
「運動は運を動かすんだよ」という誰かの言葉を思い出しては、続けた。


でも、それ以外は何もできなかった。
「あとは息をすればいい」それくらいのレベルだったのかもしれない。

生きている意味を探した。

あれだけ夢中になって仕事をしていた自分はどこへ行ったのかと
いまの自分に隠せなかった苛立ちは数え切れない。

それでも「生きていれば」

そんな言葉だけが、僕の手のひらに残っていた。
恥ずかしい話だけれど、それがリアルだった。


ランニングしながら、僕は好きだった写真を撮り始めた。
風景を撮っては、SNSにアップして、自分で見返すために続けて。
そのうちやっぱり、言葉にこだわりたくなって、写真と一緒に短歌を載せた。
やっぱり誰に届くでもなく、誰のためでもなく、自分のしたいように。

そうして続けていた、あれは3日前だった。


いいねをつけてくれた投稿者の中に、文学フリマに参加する方の名前があった。

文学フリマ

いつだったか、後輩が話していたイベント。
いろんな人が自分の表現を発表する場。
そのイベント名を聞いた時、なぜか、心が大きく動いた。

久しぶりのワクワク感。
ずっとなかったこの感覚。
不安も同時に湧いてきたけど、思った。

「コレだ」と。

事前情報も、何も持たずに
時間と場所だけを調べて、行くことを決めた。

その日は一粒万倍日で、何かが動き出す日。
そしてその日は、僕の友人の誕生日だった。
何かが、起こるような気がした。

何も起こらないかもしれない。
突然思い立って行ったところで
何も起こらないかもしれない。

けれど、動くことで、ゼロがイチに変わる瞬間がある。

それは動かなければ、永遠にゼロのまま。
たとえ何も感じられなかったとしても、この行動はきっとイチになる。

「自分の直感を大切にしよう」


大事にしていた言葉を、思い出した。


僕は行った。
文学フリマ東京へ。
いま戻ってきて、海の見える喫茶店で
ほんとうに久しぶりに、こうして文章を書いている。

感じたことが、たくさんあった。
作り手の熱を感じる場面が、たくさんあった。
すごいなと思う瞬間がいくつもあって
クリエイターとユーザー、どちらの熱量もすごいものがあった。

出版業界にいた頃、出店側としてイベントに参加したのを思い出す。
今日は始めて一人の買い手としてイベントに参加したけれど
あんなにじっくり本を見たのは久しぶりだった。

お客さんの人数も凄まじい数がいて
時間をかけてゆっくり見ることは難しかったけれど
自分の中に刺さるモノは、ちゃんと拾ったと思う。

自分が買わせて頂いた作品は
じっくり目を通して、久しぶりに本気で感想を書いてみようと思う。

それが書くキッカケになって
自分の表現するキッカケにもなったら
最高なのかなと思うし

やっぱり思ったのは
「いつか自分が表現する側になる」という想い。

「そんなの無理だよ」って、ずっと思っていた。
いろんな人から「書いた方がいい」「表現した方がいい」
そう言われたこともあった。

けれど踏み出せないままでいた。

でも、そんな想いを吹き飛ばすかのように
今日、文学フリマで見た作品たちは、僕に声をかける。

「やればいいじゃん」
「やった方がいいよ」
「一緒にやろうよ」

聞こえた気がした、そんな声、言葉。

表現の自由。
表現しなければ「どうしようもない」という気持ち。
内側から湧き出でる感情。

その一端に触れられただけでも
今日、文学フリマに行ったことは
僕にとって大きな意味があったと思う。

もちろん、ちゃんと意味を見出すのは
だいぶ先かもしれないし
もう目の前かもしれないけれど
「書きたい」「表現したい」という自分の想いに
正直になれるように、なれたらいいな。

今日の出来事を忘れずに
また進めるように、自分らしく生きよう。

僕の文学を、探して。

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