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「優等生」に捧ぐ金言

私はいまパニック障害の治療中なのですが(最近ここに立ち寄ってくださっている方は、詳しくはこのあたりの記事をご覧ください)、こないだの冬頃体調が最悪に優れず、家でじっとしているしかないっていう時期に、気を紛らわしたいのもあって、よくラジオを聴いていました。

毎日のように聴いていたのですが、たまたまTOKYO FM「高橋みなみの『これから、何する?』」を聴いていたら、ゲストにカリスマホストで知られるROLANDさんが出演されていたんですね。

テレビやTwitterなどで目にするROLANDさんのまんまで、ROLAND節さく裂、という感じで。弱っている私にとっては、くすっと笑えるものもあったり、圧倒的にポジティブなところに胸を打たれたりしていたのですが。

その中で一番響いて今でも心に残っている言葉がありました。

「No」を言えないひとの「Yes」に価値はない
「嫌い」を言えないひとの「好き」に価値はない

優等生でいようとして神経すり減らしまくっていた私には、超響いた言葉でした。本当は我が強くて意思ももちろんあるのに、それを人に合わせていたから、何事も上手くいかない。

揉めるのが嫌だったり物事を丸く収めたくて、何か聞かれても「それいいですね」とか「おっしゃる通りだと思います」とか言ってた自分がいたけれど、その「Yes」には、実際は何の価値もない。

「自分はこれが嫌なんだ」「こういう考え方は好きじゃない」「こういうことをする人は嫌いだ」ということをはっきり言えて初めて、そんな自分が心から思える「Yes」とか「好き」という言葉が届くんだなぁとめちゃくちゃ省みることができたのです。

いわゆる優等生ちゃんを演じてた私にはそれはとてもハードルが高いことだったけれど、その言葉を心に留めてからは、違うと思ったら違うと言おう、と決めて、目上の人に初めて歯向かったりしました。それってとても怖いことで。最初は勇気を振り絞って、言いながら涙止まらなかったけれど(笑)、心はものすごくストレッチされた気がしました。

何でもかんでも「そうですね」って、「Yes」で笑顔で受け止めちゃだめなんよ。それを続けてたら、いつの間にか自分の中の本当の「Yes」が消えてなくなっていって、価値がなくなっちゃうから。

と、過去の自分と、いまも優等生を演じて無理している方たちに、届けたかったのでした。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。