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ギフト

今年のクリスマスは、プレゼントを贈ることも、もらうこともしなかった。

よくよく考えると、これまでの人生でそんな時ってあんまりなかった。

家族や恋人にプレゼントをもらったり贈ったり、友人数人でクリパと称して集まったり。クリスマスというイベントを、ふつうに楽しんでいた気がする。

今年は、ほとんどクリスマスを感じることなく、街とかでクリスマスっぽい飾り付けを見て「あぁ、クリスマスかぁ」と思うことがあってもそれ以上の感情は全く生まれなくて。「パーティーしたいなぁ」とか「あー、彼氏とデートしたい!」とかも思わなかった。

「自分へのプレゼントでも買おうかな」とかも一瞬よぎったけど、いつの間にかクリスマスも終わるのだから、多分それほど欲しくもなかったんだと思う。


要は、今の私は、ものすごく幸せだってことだ。


キラキラしたレストランでご飯を食べなくても、イルミネーションを見なくても、プレゼントをサプライズでもらえなくても。そんな日々を過ごしていた時よりも、ずっとずっと、幸せだと感じる。

わからないけれど、恋人に完璧なデートをプレゼントしてもらっても、なんだかイマイチ心が満たされなかった瞬間って、実はたくさんあった気がする。その時は、そのキラキラに身を任せて考えることから逃げていたから、何も感じなかったことにしていたけれど。

今は、クリスマスのことよりも明日のこと、明後日のこと、来年のこと、再来年のこと。たくさん考えることがあって、たくさんやることもあって、たくさん楽しみなことも楽しみたいこともある。私にとって今は、そういう時期なのかもしれない。

振り返れば、去年の今頃はなかなかに大変だった。

パニック障害の症状が本格化したタイミングで、ちゃんとした治療にもまだ出会えてなくて、どうしたらいいのか本当にわからなくて途方に暮れて。年末っぽいことなんて何一つ出来なかった。1日1日を送るのが精一杯。

発作が怖くてろくな外出もできず(行って、近所のスーパーくらい)、私が家で一人になるのは不安だからと、母はパートを長期で休むことになって。私もたくさんの相談のうえ、会社を休むことになって。

たくさんの予定をキャンセルして、年末年始の親戚との予定も参加できず、母と家で二人っきりでお留守番。思えば、M-1すら、途中で体調が悪くなってしまい、笑って観られなかったんだ。(あとで録画でちゃんと観た)


そう思うと、コツコツと時を重ねて、今こうして街を眺めて「クリスマスだなぁ」と感じられることも、友人とふつうに遊べることも、旅行に行けることも、何もかもが奇跡で、感謝しかない。たくさんの人や環境への感謝が、絶え間なく溢れてくる。

だから、こうしてPCに向かって自分から生まれる言葉を打つことや、今夜はどの本を読もうかなと考えることや、新年の予定を友人と相談することや、明日を楽しみにしながらベッドに入れることが、もうすでに何ものにも代えがたい、プレゼントだなぁと思う。

なんだか思い出したらしんみりと泣けてきてしまったけれど(笑)、これは超最高級の嬉し涙。


人生は、計画通りには進まない。
だから、いつ何が起きるかわからない。こんな風に書いていても、いつ私が、もしくは大切な人たちが、もしくはどこかの誰かが、倒れるか、いなくなるかも、わからない。だから、今日1日を「幸せ〜」と思えるかどうかが、一番大事だと思う。

その貴重さを知ることのできたこの1年を私は宝物のように思うし、とてつもなく大きいギフトを受け取った気がしている。

去年からの1年間を乗り越えてきた日々。それが、私にとっての、今年のクリスマスプレゼントかな。

素敵な夜をお過ごしください。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。