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2024.2.27 西洋人が驚く皇室と為政者の深い関係

2月23日に、天皇陛下の64歳の誕生日を祝う祝賀の儀が行われましたが、今回は日本の上一人である天皇陛下と皇室について、西洋諸国と比較して書き綴っていこうと思います。

戦国の世を統一した豊臣秀吉とフランスの皇帝となったナポレオン。
貴方はこの2人の違いが分かるでしょうか?

国は違えど、日本を制した豊臣秀吉。
ヨーロッパを制したナポレオン。
しかい、彼らは武将として決定的な違いがありました。
その違いとは、日本でいう天皇、西洋でいう皇帝もしくは現在でいう国王のような存在に対する考え方。
ナポレオンは既存の王朝を無くし、皇帝になったのに対し、豊臣秀吉は皇室を倒し、新しい王朝を作ろうとはしませんでした。
天下統一を目指すほどの男ならば、自分自身で天皇のような存在になりたいと思ってもおかしくないはずです…。

更に、この時代の天皇は、即位の儀式すら行えないほど困窮していたため、秀吉が天皇を倒そうと思えば、倒せる状況にありました。
にもかかわらず、なぜ秀吉は皇室を残し、新しい王朝を作ろうとはしなかったのでしょうか?

この謎をひもとくと、西洋にはない日本人独自の価値観が浮かび上がってきました。

➀天下統一を成し得て皇室を敬愛する豊臣秀吉と皇帝となった最強将軍ナポレオン

圧倒的な力を武器に皇帝となったナポレオン。
彼は皇帝として戴冠するだけでなく、『ナポレオン法典』と呼ばれるものを普及させました。

これは、世界各国に影響を与え、その力をヨーロッパの大陸に浸透させていました。

一方、豊臣秀吉は、最強武将でありながら天皇にはなりませんでした。

それどころか、彼は天皇に領地を献上したり、御所の修築を行ったりと、皇室に尽くしていました。
また、常に皇室のために何か貢献できないかと思い、自身が建てた聚楽第じゅらくだいに行幸を仰ぐほどでした。

ただ、ここで不思議な点があります。
秀吉のように圧倒的な力を手にすれば、ナポレオンのように、既存の王朝を無くしたり、『ナポレオン法典』のようなものを普及させたりしてもおかしくないはずです。

しかし、秀吉は皇室に対して領地を献上したり、行幸を仰ぐなど、皇室を大切にしていたのです。

同じ武将でも、なぜ天皇や皇帝に対する考えがここまで違うのでしょうか?
実は、こうした話は江戸時代にも続いていました…。

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