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心臓音に想いを馳せて

2018年の春、瀬戸内海の豊島に行った。

美術館マップを開いて一瞬で「ここは行こう」と決めたのがクリスチャン・ボルタンスキーの「心臓の音アーカイブ美術館」。世界中の人々が記録した心臓音を聴くことができ、また自分の心臓音を録音できる場所。

美術館は、島はずれの茂み道を抜けた海辺に小さく構えていた。受付は1人だけ、右手にボルタンスキーの書籍、個室の録音ブース。左手にはPCブース。ここで時系列・録音場所別の心臓音一覧が聴けた。左手奥には、真っ暗な部屋の中で、一つだけ吊るされた大きな電灯がランダムな心臓音のリズムに合わせて点いたり消えたりしていた。ドクンドクンという爆音が部屋の奥のスピーカーからも流れてくる。壁にはサイズ違いの鏡が貼ってあり、光が反射して断続的に部屋が明るくなる。人間の体内にいるような不思議な感覚、ずっといたら頭がおかしくなってしまいそうな、宗教性と神秘性が混ざった魅力的な空間だった。

もちろん僕も自分の心臓の音を録音した。心臓音は、世界中のアーカイブ地から検索すれば誰でも聴けるようになった。(有料でCDにして購入もできた)

今もこの世界のどこかで、誰かが僕の心臓の音を聴いているかもしれない。その可能性がゼロでないだけで、小気味よい居心地の悪さがある。誰かに、自分の魂を覗かれているような感覚に陥る。その逆も然り。誰かの魂を覗き見しているような感覚になる。大好きなエドワード・ホッパーの作品性を評するときに使われていた窃見症・覗き見趣味(voyeurisme)という言葉を思い出す。庭園美術館の学芸員、田中雅子氏は、アニミタスの展示に寄せて「心臓音は人間がこの世に生を受けて初めて母胎の闇の中で聴く音」と述べている。死ぬときに聴く音はみなバラバラだけれど、生を受けたときに聴く音は万人同じというのも面白い。

心臓音は、高い匿名性を持ちながら、背後にいる個人を彷彿させる。生そのものを象徴する音色だからだろうか。

昨年2019年に国立新美術館で開催されたボルタンスキーの展示も素晴らしかった。魂の行き来、命や死といったテーマ性を帯びる作品たちが、日本のお盆の時期に開かれていたのも時節に合っていた。

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