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「ぼく」という娘を救った言葉

むすめは、6歳。気づけば保育園も3年目。年長さんになっていた。
保育園に務めていた私からすると、年長さんってほんとにお兄さんお姉さんに見えたものだ。
3歳児の頃が懐かしい。娘を迎えに行くと、まだコロコロと、ひよこのように笑い転げ合っている、小さな子達がいっぱいいたものだ。

手も足もひょろりと長くなった娘が、自転車の後ろの座席に座り、電動であるはずなのに、ずっしりとした重みが、漕ぐ事に感じられる。そんな今、娘が急に、話しだした。

それは、小さくて純粋だった(と、母が思っていた)3歳児さんのころの話だった。

「娘ちゃんさー、前に、自分のことぼくって言ってたじゃない?」

そうだったなぁ。大好きな男の子にあこがれて、一人称が「ぼく」になっていた時代があったっけ。
 (『ぼくという女の子』https://note.com/sango522/n/n34edcc734922 参照)

その自由さに羨ましくもあり、戸惑いもあり、面白さも合ったあの頃。

娘は、話を続ける。
「ぼくっていうの変だよって、言われて女の子達に仲間はずれにされたことがあるんだ」

なんと、まぁ、数年越しの爆弾発言。
3歳児なんて思ったことストレートに言うし、
「ぼく」 なんて変だよって言う子もいるだろうなとも思ってたが、娘がぼくを貫いていたので、結構受け入れられているのかなと思っていた。
でも、、そんな悲しい出来事があったんだなあ。

と、思いきや、更に続ける娘。

「その時にね、まいちゃん(仮名)が来てね」

まいちゃんとは、娘と仲良しの女の子。良く遊び、良く喧嘩し、すぐ仲直りする間柄のよう。甘えん坊で優しい、かわいらしい子。

「マイちゃんが『一緒に遊ぼう』って、言ってくれたんだ。
『私も自分のことマイマイって、言ってた時に、変だよって言われたから、気持ちがわかるんだ』って。」


あの子がそんな事を言ってくれていたのか。なんという優しさ!!

3歳児にして、自分の経験を、他人への優しさに変換できるって、すごくないか?!コロコロと純粋な子達の心のなかで、もうそんな常識との葛藤や、優しさや、思いやりのやり取りがあるなんて。
本当に子どもって、ちゃんと一人の人間だ。

そして、まいちゃんがいてくれたおかげで、娘の思い出は、悲しい思い出ではなくて、優しさに救われた思い出になったんだな。
数年ごしに母に語るのは、仲間はずれにされた話じゃなくて、救われた話なんだな。

まいちゃん、ありがとう。母は嬉しくて、こっそりまいちゃんママにも伝えてしまったよ。

5歳児。まだまだこれから人間関係にまつわるいいことも悪いことも沢山経験していくだろうけど、「ありがとう」の気持ちを沢山積み重ねていってほしいな。


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