見出し画像

愛が終わる、恋が眠る


  

    雨が降り続くから、怠そうな猫。
どんな夢を見るのだろう。幸せな夢だといい。好きなものに囲まれて、幸せな陽気の中まったりと過ごすような、優しくて幸せな夢。

  夢を見た朝は夢占いの本を開く。
起きた時良い夢だと思ったか、悪い夢だと思ったか、そこが夢占いには重要らしい。
わたしは先日、2日連続で指輪の夢を見た。良い夢だと書かれた本を眺め、なんとなく安堵する。その先が当たっているかは分からないけれど。


画像1


    愛が終わる、恋が眠る。
愛を愛のまま受け取ることができないのは、何故だろう。そこにどんな理由が、過去が、心理があるのだろう。
羨ましいと思う恋も、焼けるほどの愛も、手から溢れていってしまう気がしていた。だから何度も確かめるのだけど、どうしてもなくなってしまう。
恋を頑張る人の原動力は、淋しさであってはいけない気がする。けれど明確になにが駄目なのかは分からない。それくらい、淋しさは心を蝕んで、ひりひりと静かに痛む。
その痛みをよく知っているから、否定ができない。きっと、否定するつもりもないのだろう。

  淋しさが、夜を明かしていく。
夜を終わりにして欲しくないのは、見ないフリができなくなるから。自分のことも、誰かのことも。なにも見ずに揺蕩う時間を奪われたくないから。
何でもいいのだろう。本当は。
具体的に欲しいものを欲のまま言葉にすることはとても簡単で。でもそれを良しとしてしまえば、気が抜けて倒れてしまいそう。
だから何度もオブラートに包んで、何度も何度も確認してから、言葉にしなくちゃ安心できなくなってしまった。
要するに、自分のことに関しては隠すことを覚えてしまったということ。見られても、何ひとつ恥ずかしいことなどありはしないはずなのに。


    「淋しいから抱かれるの。」
そう言ったあの人は今どこにいるのだろう。
愛情をセックスでしか受け取れないことを知りながら、ただ愛を探す人。どうか淋しくないといい、独りじゃないといい。そんなことをぼんやりと願う。
愛情とセックスは密接なものだから、どちらかが欠けていると足りなくなる。求めても求められない関係は、どんな淋しさがあるのだろうか。
同じものを見て美しいと感じなくても、お互いの感性を否定しないような、そんな関係。優しくて幸せな関係が、いつの間にか当たり前になってしまったのだろうか。
性欲が強いとか、弱いとか。セックスが下手とか上手いとか。その小さなズレで何もかもなくなってしまうのは、どれほど淋しいのだろうか。

人の心を学ぶたび、覗くたびに、自分の心に満ちる疑問たち。
時々、溺れてしまいたくなるけれど、上手く溺れることができない。
何故、どうして、なぜ。湧き上がる疑問に答えを見出しても、完璧に分かり合うことができないジレンマ。
向き合うこと、見つめ合うこと、触れ合うこと。大切なものはたくさんあるのに、上手く処理できない夜がある。そんな夜も、あるよ。


画像2

  

  一途は毒だ、と何度も思った。
他でもない自分自身に、その毒は容赦なく牙を剥く。一途は報われないらしい、そんな否定的な言葉が心を軋ませる。
それでも恋愛のスタンスは変わらないし、変えられない。
不特定多数に向ける〝好き〟と、唯一の存在に向ける〝愛〟の境界線がぼやけたら、きっとわたしはわたしではなくなってしまう。それがきっと一番怖い。
素直に言うなら、一途は報われてほしい。
それはわたしではなくても、誰でもいい。ただ愛し続けた先がバッドエンドでないように、わたしはずっと祈っている。きっと、ずっと。

淋しさを分け合う気も、共有するつもりもない。
時々、誰かに全て預けてしまえたらいいと思うけれど、それができない自分は3周ほどひねくれて、逆に素直なんじゃないかと謎の自信。
それでも常に、分け合える〝誰か〟を求めるのは、人間としての性と抱える淋しさの重さだろうか。

淋しさに押し潰されそうな夜に、隣に居てくれる誰かが、あなたにいるといい。
怖くないように、淋しくないように、泣かないように、優しさと温かさを分けてくれる誰か。
誰もが泣かない夜は一生来ないかもしれないけれど、頑張って生きたぶん優しさをたくさん貰えるように。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?