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ACT.80『出会いの朝と札幌の街』

すすきのから

 すすきのに店を構える『すみれ』(本店は真駒内方面らしいが)を食して自分が地下鉄の最終電車で宿に戻り、宿のリビングで机に置かれた飴をポリポリ食べてのんびりしていると、ガチャっと玄関の扉が開いた。
 自分以外の宿泊客に出会うのはこれがはじめて。会釈をしつつ、
「よろしくお願いします」
と1夜を過ごすにあたっての挨拶をした。
「どちらへ行かれてたんですか?」
帰ってきた男性と束の間の会話。自分も深夜に外出して、同じような立場になっているが相手はもっと遅い時間に帰ってきた。
「すすきのに行ってたんですよ。歩いて帰ってきてね・・・」
「そちらもすすきのでしたか、自分は運良く終電に間に合ったのでそのまま地下鉄で帰れたんですが・・・」
「何しにすすきの行ってたの?」
「ラーメン食べに行ってました。そちらは?」
「少し飲んでたかなぁ・・・、もう歩いて帰ってきちゃった。」
「すすきのから歩いて戻れるんですね・・・」
「そうだね、そんなに離れてないし。」
と、互いに同じ場所に行っていたのが判明。
 そして自分が『すみれ』に行っていたと話すと、
「列すごかった?」
という内容に。やはり全国級の知名度、一目置かれて北海道の話題になるようだ。

※前回にも掲載したが、すすきのに向かって食事に行ったのは北海道名物の味噌ラーメン『すみれ』。道民の味の基礎にもなっているようで、北海道では「すみれより濃い、薄い」と味の基準にもなっているようだ。

 思えば自分達の宿泊する宿は住宅街の奥まった場所にあるが、そんなに大通からも離れていない。考えてみれば、自分達の居場所から繁華街に遊べる場所にそんなに離れていないのは、気兼ねなく遊びの時間を過ごせて気持ちが良い。
 と、こうして話題を咲かせているうちに夜も完全に深まってきた。就寝の時間にしよう。
 北見から石北本線・函館本線に乗車してここまで戻った疲れを横になって癒す事にした。
 仰向けになっての休息の時間である。
 そういえば北海道での滞在時間も、残りは僅かになりやる事も片手間で数えるのみだ。翌日はどうなっていくだろう。

※想像図としてどうぞ。ここまで太っ腹なウェルカムサービスで良いの?と思ってしまうのだった。

モーニングサービス

 宿泊した宿…ゲストハウスのサービスとして、オプションに『モーニングのピザトースト』が付いていた。
 が、宿泊記念での撮影をすっかり失念しており、通常のトーストで代用させていただく。(本当に申し訳ありません)1階リビングの冷蔵庫に宿泊人数分保管されており、起床後に自分のタイミングでトースターに入れて温めるというものであった。
 起床後、冷蔵庫を開けてラップを剥がし、ピザトーストをトースターに入れて温める。具沢山のチーズとケチャップが混ざり合った腹持ちの良いトーストであった。
「ここまでサービスしてくれて、家族の温かい出迎えもあるなんてなんて天国な…」
そう思いつつ、すっかり自分の自宅のように寛いでいるリビングに自分はいた。
 深夜同様にテレビのスイッチを押して朝の番組を視聴する。この日は土曜だったので、各局少々異なった装いの朝であった。
「北海道ってこんななのかぁ…はっへぇ…」
土地の情報網に慣れない感覚を背負いつつ、流れていく時間。
 そうした中で、また続々と宿泊客が起床してきた。
「おはようございます。」
「おはよう。」
トーストを食べつつ、宿泊客同士の会話のキャッチボールが始まる。起床後にリビングで話したのは、道内に住んでいるという中年女性であった。
「どこから来たの?」
「京都です。」
「あらぁ、京都から?また遠いわね…」
「そちらはどこからなんですか?」
「私?私はね、北海道の遠軽町ってわかる?」
「はい、旅の中で通りましたので…」
「そう、遠軽から来たのよ。」
どうやら、更に話を聞いてみると教員関係の仕事をしているらしかった。
「遠軽、自分も通りましたよ。あそこは列車だと大変ですね。座席を回して折り返さなきゃいけないですし。気を遣って3列くらい離した位置に座って移動してましたよ。笑」

※遠軽駅にて方向転換を実施する特急大雪号。旭川から北見・網走方面に向かって移動する際にはどうしても障害となってしまう。この経緯に関しては遥か昔の逸話が関係しているのであった。

「あはは。そこまでしてたの?でもアレは不便よねぇ…」
「えぇ、自分は事前に知ってたから助かりましたけど、初見で乗ったら中々大変でしょうね…」
「ところで北海道は何をしに?」
ここでも、中々本来の目的の解答には至らず、結局
「鉄道での道内旅行」
と解答してしまう。どうも自分という人間の実像ではなく、脳の中は恥ずかしがりのようだ。まだ自己主張が足りないところがある。
「鉄道で回ってるの?全部?大変でしょう?何処行ったの?」
「ん〜、昨日が北見まで行って、小樽からスタートで倶知安・長万部・千歳に入って岩見沢、からの深川とか留萌…あ、留萌はバスで行きましたね。もう留萌本線無くなってましたので。」
「おぉ、結構行ってるじゃないの。凄い凄い。笑」
「いやぁ…若干知ってましたけど、JRは結構かかるものですね。」
 まさか道民の方にも感嘆されるとは。頭上がらずでございます。

※宗谷本線回に登場する、1つの出会いは大きなものだった。アイヌに関する1つの扉を見せてくれた方であった。まさか旅の終盤、札幌でこの出会いが繋がろうとするとは。

 少しづつ、中年女性と話をしていくうちに中年女性が
「アイヌに関する研究やアイヌに関する職業をしている」
と教えてくれたのだった。この時の札幌出張は、確かそうしたアイヌに関する研究の為であると話されていたような。
 その中で、自分が印象に残った話をしたのであった。音威子府から筬島まで乗車した際に旅路を共にした、老人女性との話だ。
「アイヌですか…凄いなぁ…。僕、旅の中で面白い事を聞いたというか、深い事を聞いたんですよ。」
中年女性は頷き、自分は宗谷本線に乗車したあの時間を振り返っていた。
「音威子府の方で会った方からこんな話を聞きました。『北方領土返還には、和人が交渉に向かうのではなくアイヌの人たちがロシアと交渉をすべきなんだ…』と。自分はそうした思いに接した事があまりなかったので驚きましたよ。『そうかぁ…確かになぁ』と…」
「その方凄いね、アイヌをよく解ってる。知ってる方だよ。素晴らしい人…」
「いやもう、自分のような小さい存在が会って良かったのだろうかと暫く自問自答してましたもん。」
「またさ、次はアイヌに関しての旅をしたら?今回は鉄道なんでしょ?」
「そうですね…また色々見たくなりました。ウポポイの近くも行ったので。」
「えぇ…凄い人だな…会ってみたかった…」
「もう自分が恥ずかしかったですもん。本当に自分が出会うべき人間じゃないんですよ。」
未だに鮮明な記憶なので、どうも自分なりの大きさに纏まらない。未だに自分の心を照らしている出会いであった。
「それじゃ、またね!もう行かなきゃ。」
「あ、ではまたいつか!」
中年女性は仕事に向かって宿を出て行った。

宿の字引のような人

 自分は実を話せば、かなりの時間この宿に滞在していた。そうした中で、面白い人に出会ったものであった。そうした後ろ髪を引かれるような体験が、自分の出発時刻を遅らせる理由になっていたりするのだが。
 遠軽からの出張で宿泊していた中年女性以外にも、面白い宿泊客と話を交わした。
「えぇ?!そのまま食べんの!!?」
サービスのピザトーストを、リビング内で集って食している時だ。約1人、冷蔵庫を開けラップ包装されたピザトーストを取り出し、そのまま徐ろに食べ始めた若者がいた。
「あ、僕そのままが好きなんで…」
偶々自分ともう1人、その光景を見ている人が居たのだが2人でその『冷えたままのピザトーストを直で食べる』という光景にビックリしながらリビングで寛いでいた。
 そうして、冷えたままのピザトーストを食した若者はそのまま次の場所に向かうべくチェックアウトして出発したのだが、自分が話し込んだのはそちらではない『もう1人』の方であった。
「何しに北海道来たの?」
「あ〜、鉄道で旅行しに…」
どうにも自分の思いを伝えるのが難しそうな中年男性だったので、これに関しては辿々しく理由を誤魔化して話してしまった。
 中年男性は
「僕はね、よくここに来るんだ。よくここのオーナーさん家族には常連として世話になってるんだよね。」
「そうだったんですね…」
そこで少しだけ、オーナーとしてこの宿を経営している家族の話を聞かせてもらった。
「コロナの前はね、よく外人さんもここに来て国際色豊かだったのよ、でも今は日本人ばっかになっちゃった。」
「昔はもっと賑やかだったんですね…」
家族の思い出が敷き詰められたコルクボードを見ながら、常連として通い慣れた中年男性の話を聞いていた。客層にまで影響していたとは。

※宿付近の地下を走行している札幌市営地下鉄東西線。現在は平成10年代に製造された8000形が主力のゴムタイヤ地下鉄だ。

「僕はね、北海道…札幌泊まるってなったらいつもここ。しょっちゅう来てんのよ?」
「本当に常連ですね…」
「札幌はね、この近くとかもなんだけどスキージャンプの名所があったりとかするからね。よく冬も来てるよ?」
「スキーやるんですね。冬は楽しそうな…」
そういえば、地下鉄の沿線に札幌五輪・日の丸飛行隊で有名になった大倉山のジャンプ台にも聖地巡礼で行けるのを思い出した。
 オリンピックの為の建設…とはいえ、地下鉄の沿線にはウインタースポーツに関した場所へのアクセスが良いイメージがある。
 流石は札幌五輪と共に歴史を開始しただけの地下鉄だと感じさせられた。
 ちなみに大倉山ジャンプ競技場は、ドラマ『バッケンレコードを越えて』や『ウィンドガールズ』など映像作品の舞台にもなっている。
 話した中年男性とは、今日の札幌観光の日程などを話し合い、少しだけリビングでテレビを視聴しながら束の間の時間を過ごしたのであった。
 リビングでテレビを視聴していると、タレントとしても活躍している鈴井貴之氏が映った。この出演が、自分にとっては観光の予定を話すのにちょうど良かったのだ。
「あ、この人ですこの人。水曜どうでしょうっている番組に出演されている方なんですよ。」
「そうなんだ、全然知らなかったなぁ…」
「ま、マニアックな場所なんでね笑」
ちなみに放送局はNHK札幌の番組だった。オーディション番組か何かだったかと思う。
「あ、僕そろそろ出ますね。」
「そう?気をつけてね!あ、僕。〇〇っていいます!よろしく!」
「はい!〇〇です!(〇〇に入るのは本名)またいつかこの場所で再会しましょう!」
そうして、互いの北海道ライフが再び始まった。

図鑑に再会するまで

 宿泊した宿…ゲストハウスを出発だ。円山公園の駅…西18丁目からのアクセスも近い、『つむり庵』というゲストハウスである。
 改めてだが、かつてはインバウンド観光客も札幌観光の折に来訪し、賑やかな宿泊の場所になっていた。
 温かみのあるゲストハウスは本当に居心地が良く、特に1階のリビングは寛いで何時間でも過ごせる我が家のようなスペースだった。
 とにかくこの宿のリビングでは、机に置かれた飴をポリポリと齧ってるるぶのガイドブックで北海道を学び…と定番な時間を過ごしていた。それにしても怠惰ではあったのだが。
 さて、ここからは札幌といえば…で達成したかった目的に向かう事にしよう。先ほどの言葉・『水曜どうでしょう』とも関連している。

 再び、札幌の街中に出た。深夜のラーメンを求めてのすすきの行き以来、実に数時間ぶりの話になる。
 東西線の駅に移動中、何か三重交通のバスのような高速バスを発見したので母にLINEで送信した。久しぶりに家族と会話をしたような思い出がある。

 そのまま大通に移動し、南北線に乗換える。
 北海道中心都市交通の結節点としての場所も、既にこの旅で何度目の訪問だろうか。サインのレトロな表記などを見ていると、安心感を感じてしまったのか
「もう少し滞在したいもんだなぁ」
などと欲望にまみれた気持ちが解放されてきた。実際、この後とんでもない話になるのだが。
 大通駅で撮影した掲示板の写真である。フォントが実に時代のタイムカプセルのような姿で、本当に心地が良い。というかSDの残数も補充分を購入して余裕があったのでまだまだ撮影しておけば良かった後悔が今では募ってくる。
 さて、ここから複雑なジャンクションを歩いて南北線に移動だ。南北線では、札幌の地下鉄ならではの装備たちを一同に観察できるのである。


 大通から南北線に乗車。再び、高加速な地下鉄の動きに身を慣らしていく。本当にゴムタイヤのお陰で、車両のスタートダッシュは異次元レベルに早い。これも偏に、独特な機構のもたらすところなのだろう。
 乗車した列車は、大通を抜けてそのまま地下を疾駆する。車両は行き先表示・車内LCDなどの更新を受けている5000形だ。南北線のエースとして平成の時代と令和を駆け抜けたが、後継車両の製造が決定された。もしかするとこの南北線の乗車は、5000形車両に立ち会う最初で最後のチャンスなのかもしれない。
 と、更新されたフルカラーLCDの車内表示。関西人なので、この表示を見ると一瞬だけ大阪を錯覚する。決して前駅が渡辺橋という訳ではないのだが。

※札幌市営地下鉄にしなかいチューブ区間。こうした防雪対策を営業線上で実施している鉄道は、世界的に見ても札幌が唯一の事例ではないだろうか。平岸〜真駒内ではこうした光を受けて走行する。

 列車は平岸にやってきた。ここからが札幌市営地下鉄の本番というか、面白さの詰まる場面である。
 平岸を出発すると、列車は徐々に加速しそのまま坂を駆け上がっていった。そして、明るい地上に出たのである。その地上は、チューブ状の特殊なトンネルに覆われ外の景色は微々たるものしか見えない。ガラスの少し燻んだ感じも眺めながら、列車はチューブの中を走行していく。
「ホンマに札幌の地下鉄って地上走行時にこんな場所走るんだな…」
自分の旅の面白さはここに詰まっていると思う。東京に行こうと大阪に行こうと、図鑑や幼少期に出会ったモノとの出会いが1番嬉しいのだ。

 地上の明るい光を受けて、乗車し到着した先は『南平岸駅』である。
 南平岸といえば…。そう、あの場所に向かう。旅バラエティとして。そしてあの俳優を全国区に押し上げたあの場所に今から向かうのだ。

旅人として

 やはり、旅が趣味の人としてこの場所は一回でも行っておきたい…そして、北海道に大人になってからは最低でも1回は行っておきたい、そうした場所に向かう。そうした目的で、この南平岸にて下車した。
 南平岸の駅を見てみよう。
 チューブ状のトンネルのジョイントのように佇む駅。札幌市営地下鉄のチューブ状の地上トンネルは、外からだと異世界的な高速鉄道が街の中に聳えているかのように圧倒的な存在感を示してくる。
 というか。駅のフォントも昭和っぽいとは。
 完全に札幌市営地下鉄は時代の波に敢えて乗らないようにしているのではないかと錯覚するくらいにはレトロが放置されているような感覚にさえなる。

 南平岸の駅を少し離れた場所で見てみよう。この方が、街の中での存在感の大きさが伝わるだろうか。
 ST…のロゴに始まる札幌市営地下鉄の昭和らしさ、そして平成を凝縮したような佇まいには本当に感動させられる。旅の中にて、もっと車両が映らない写真として試行錯誤した記録たちをもっと残せば良かったと今になって思うのだが、それはもう過ぎ去った事になってしまう。
 ところで、この札幌市営地下鉄。
「どうして地上を走行し、、どうしてチューブに覆われているのか」
をご存知だろうか。その中には、札幌躍進に向けた大きな秘密があるのだ。
 札幌市営地下鉄・南北線が真駒内〜北24条で開通したのは昭和46年の12月の事だ。その中でも、特に衝撃的だったのが真駒内〜平岸のチューブが覆う地上区間であった。
 まず、地上を走行している理由に関して。コレは札幌市営地下鉄の開業前後の出来事が関係している。
 何度も記しているように、札幌市営地下鉄は昭和47年の札幌五輪に合わせての開業を目指していた。そうしたミッションを掲げて建設となると、どうしても『工期』に関しては命題と挙がるものである。
 丁度その時。真駒内付近に大きな出来事が発生した。

※真駒内〜平岸までの区間はかつて東札幌まで延びていた定山渓鉄道の廃線跡を買収してそのまま用地に充てたのであった。札幌市営地下鉄にとって、地上区間は来る国際行事に控えた突貫工事の証だったのである。
(注*車両は想像図です。定山渓鉄道の車両ではありません)

 昭和44年。定山渓鉄道の廃止である。
 定山渓鉄道は大正7年に開業し、定山渓から豊平・真駒内を通って東札幌から国鉄と繋がる鉄道であった。国鉄からの列車乗入れもあり、定山渓鉄道は大層な賑わいをかつて見せたのである。
 かつては蒸気機関車・ディーゼル機関車・ディーゼル車・電気機関車・電車と走行し様々な車両が走行していた事から、『鉄道のデパート』とファンに呼ばれた事もある。
 そんな定山渓鉄道が廃止になった時。進行していたのが札幌市営地下鉄・南北線の建設だったのだ。ここで、札幌市営地下鉄はある策に出る。
 五輪までに開業させる事…としてのミッションを掲げた地下鉄の用地買収を短縮。なおかつ、地上区間として真駒内から平岸までの区間を開業させて工期の短縮を狙ったのである。
 こうして開業したのが、札幌市営地下鉄・南北線の真駒内〜平岸までの地上線なのであった。
 昭和44年の廃止から昭和47年の開業まで、実にその期間は3年近く。突貫工事として、そして跡地を有効活用した様が現れているのであった。
 この話に関しては後に再び記していこう。

坂を上った先の地

 南平岸の駅から、坂を少し上っていく。
 昼下がりの温か…いや、暑い上りの道だった。しかし、そうした中でも『ぽかぽか』という表現が似合ってくるのは、やはり時間帯の大きな影響だろうか。来る光景を思うと、少しだけ足取りも軽くなり笑みが少しだけ浮かんでくる。
 自分として、この場所は行っておきたかったのだ。札幌にはじめて訪問した時、必ず自分はこの場所に寄ると決めていたのだから。
 少しだけ坂を上っても、まだ駅の存在感は大きい。そして感じさせる近未来感は色褪せないのだと思い知らされる。

 小高い丘のような場所に。そして何の変哲も内容な住宅地の真ん中に、いきなり碑文を発見した。
「これだこれだ!!」
言わずと知れた名・旅バラエティ番組。そして、あの江別市出身の名俳優を全国区に押し上げ今なお根強い人気を持ち、各地で再放送がなされる名番組、『水曜どうでしょう』。その番組の碑文を発見した。
「はははっ…遂に来たんだっ…!」
感動が止まらない。全国を飛び回り、旅を趣味にした1人の人として、この場所には訪問しておきたかったのだ。

 石碑を振り返ると、あの既視感しかないような丘が広がっている。
「これじゃないか…ははははっ…」
笑いが止まらない。そして、この景色が当たり前のようにして存在していた事に爆笑を禁じ得ない。
 この時は周辺での工事があったため、写真後方にはクレーン車のアームが映り込んでいるが、間違いなくこの場所はあの『旅バラエティ』の開幕を告げる場所だ。

1人の旅人として

 遂にこの場所に到着した。何度この文字を記しているのだろうか、本当に。
 小高い丘。そして生え揃った木の情景は、こうして近付くと間違いなくあの場所なのである。
 『水曜どうでしょう』、前枠・後枠の場所として全国区に有名となった『平岸高台公園』。映し方に芸がない…のは本当に仕方ないとして、その光景を目の前に映すとあの定番と化したセリフ
「こんばんは、水曜どうでしょうです…」
が脳内再生。そしてカメラを回しているにも関わらず笑いを堪え切れず素の状態が出てしまう藤村忠寿ディレクターの声もしっかり再生されてくるのだから人間の脳の素晴らしい記憶力には感動と感嘆しか起きない。

 自分も友人たちの中で、友人にはあだ名で『大泉洋』としてイジられた経緯がある。そして、その相手に関しては対義的に『藤村D』としてイジって現在でも交友が継続している仲だ。ちなみに『嬉野D』もいる
 そうまでして、番組を楽しみその仲を現在まで継続している1人としては、本当にこの景色には感動しか起きないものである。
「あの木が茂ってる感じって本物だったんだ…」
だったり、
「あんなキャラに大泉さん扮してたな…」
だったり。笑いと感動の織り混ざった場所として、多くの写真を撮り続けた。
 夏の燦々とした日差しを受ける、平岸高台公園。
 この場所は、自分の中で特別な場所として刻まれている。

 少し丘を上って、見下ろすよう場所に行ってみた。
 この場所では、札幌の街の景色が一望できるのだという。撮影に熱中していた時に完全にそうした事を忘れ、熱中して写真の記録に励んでいる状態であった。
 というか、この天気であればあまり景色の一望には向いていないだろうか…。
 そうした事も考えていると、麗かな昼の時間は興奮と一緒に切なく流れていくのだった。
 この場所が上り切ったらこんな場所になっていたなんて。画面の中でしか知らない場所は、実際に見に行ってみると大きな新しい発見や感動で満ちてくるものだ。

 公園内にはこんな看板も。
 番組の視聴者、『藩士』という名で愛称が定着しているファンにとってこの場所は大きな聖地としての意味合いを持っているが、この場所にはこうした街中の環境に配慮した公園としての地域に貢献する存在にもなっているようだ。
 というか、『単なる公園』としての場所が。地域の憩いの場が、番組の影響に端を発して全国区の場所になったんだっけか。
「この地域の人にすれば、普通の生活のど真ん中に広がる普通の野原なんだろうなぁ…」
とか。そうした事を考えて、この場所に立ってしまう。

 番組内の前枠・後枠で有名な景色といえばこちらもだろうか。
 自分が記憶している一部の範囲になるが、この場所から冬の雪の時期にソリに誰か(大泉さんだったか安田さんだったか)を載せて、この高い場所から転がす前枠か後枠があったのを思い出す。
 というかこうして脳が瞬時な反応で返せるあたり、やはりこの番組って場所をフル活用して撮影に臨んでいたのですね。
 純粋にこの場所から見ても思うのだが、ソリに乗って転げ落ちるのって純粋に楽しそう。・

 おまけ。
 自分と同じようにして、公園内で番組カットのような写真を記録しているような方を発見したので声を掛けてみる。
「すいません、写真撮ってもらっていいですか?」
「あ、っ…、はい、大丈夫ですよ。(笑)」
と、2〜3枚撮影して貰った写真がこの1枚である。
 旅の記念に。そして、『大泉洋』のあだ名で呼ばれた過去を思ってみると、幸せな記録が残せたように思う。
 来て良かった。番組で笑い泣きして良かった。
 感動の一瞬を噛み締めて、自分はこの写真を見返したのであった。
 ちなみに。写真を撮影してくださった方に質問をすると
「番組のファンっぽい感じでしたから…ちなみにどちらからココに?」
「私たち神奈川からなんです(汗」
「神奈川…_?」
「どこからですか?」
「京都からですね…」
「京都!?」
あまりにもこの旅では他府県からの人と多く出逢う。そして記念写真の撮影に理解のある人で助かった。

もう1つの聖地

 この場所には、もう1つの聖地が存在している。
 番組・『水曜どうでしょう』を世に送り出したHTB北海道テレビの元・テレビ局跡である。
 この場所…南平岸で開局以来番組を制作・放送し、北海道の生活に添い続けて来たが開局50周年のリニューアルを契機にして札幌市中央区の『さっぽろ創世スクエア』に移転したのであった。
 と、しばらくは本社もこの場所に『旧社屋』として残置していたのであったが、順次解体が進行。そうして、この場所は『HTB跡地』としてその姿を語り伝える事になる。
 そんな場所だったのだが、跡地には『セイコーマート』が建設された。新たな道民のライフラインとして、心機一転機能しているのである。

 そんな『HTB』の跡地の証拠…豊平区から羽ばたいた証として、この場所にはHTBの看板キャラクターである『on ちゃん』の石像が建立された。
 この場所…セイコーマートの駐車場の一角で、北海道放送の歴史と『水曜どうでしょう』の生みの場所として現在もその功績語っているのである。
 中央区に放送局・本社が移転してもこの像が今でも、番組のファンや地元の生活住民を出迎えているのであった。

 カメラを少し引き、像を撮影していると車の音が聞こえる。
 いつもの札幌の日常生活が後方では広がり、静かにその功績は宿っているのだと考えさせられた。
 かつての旧社屋としてのHTBには出会えなかったが、こうして番組の制作拠点として発展した場所を見る事が出来たのは何とも深い気持ちになるものであった。

 このセイコーマートでは、『HTBの旧社屋のあった場所』としての功績の語り継ぎなのか、それとも『水曜どうでしょう』の聖地巡礼客の訪問を見越してなのか、HTBの看板キャラクターである『onちゃん』のグッズを専用販売しているコーナーが存在する。
 ここでグッズを買い、大学時代の友人に『北海道土産』としてプレゼントした。
 自分の若者としての刺激になっただろうこの訪問。どうでしょう…の勢いを身体に感じ、自分の北海道旅のクライマックスとして相応しい幕引きが出来ると内心思ったものだった。
 続いて、地下鉄に乗車してあの場所に向かう。

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