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変遷

 この国の者はみな、どうにも好きらしい、新しいということが。
 真っ黒な船に乗った真っ白な肌、政治権力を捨てた丁髷とだだっ広い部屋のお辞儀が江戸の名を東京に変える、金釦の解れた糸。冬が朽ちるとともに徳川は散った。桜が咲くように文明は開花、江戸の面影はブーツの下に、閃く刀は時代遅れの勲章に。訪れた黒船にぺるりに、怯えた民族だったのが、いざ明治が訪れれば流行を身に纏うように粋がった顔をする。
 緩やかな小川の流れに浸っていたのが突然懸河にさらわれたような心持を引き摺って、草鞋の底を擦り減らす。もう人々は裃に頭を下げなくてもよく、基督に頭を垂れてもよい。異人が横切る大名行列は二度とお目にかかれない。
 どうしてこうも変わってしまったのか、寸分の濁りも無い美しい清水に毒々しい色水がぽたりぽたりと滴って、元の水にはもう還らず。それが如何に哀しい物語か、跳ねた髭、浮かれた散切り頭は覚らない。
時代が腐ってきたなあ。縁側の呟きを、庭の松だけが聞いている。隣に生える名前のわからぬ木の葉がさらりとあおられて、松のとげに触る、落ちる。綺麗な足下を死骸が汚す。先刻から東京の空は白い雪を降らせていて、熱い茶を嚥下した後の一息に色がつく。同じ冬が来ている。明日の朝になれば庭は美しい白に飾られて、茶色く朽ちた葉は雪の下、一歩目の足裏は楽しい。松は青々と生きていて、周りの木は輪廻転生しながら生を繋ぐ。同じ冬。何も変わらぬ冬。
 季節のように時代が繰り返せば、こんな哀しさも要らないだろう。
 二百年の泰平に夢見た江戸はもう二度とない。
 
 目が覚めた。暖かい布団の中とは対照的に、顔はひんやりとした部屋の空気に冷やされている。枕元のスマートフォンを手に取って、頭ごと幸せの海へ潜り込む。友達からのメッセージとゲームの通知、それからニュースアプリの速報が舞い込んでいた。
 新元号発表。文言に続けて二文字の漢字。
 天皇が生前退位するのは二百年ぶりらしい。十年後、今ある半分くらいの仕事は機械に代わるらしい。夏に霰が降るらしい。猫型ロボットの誕生日が近づいているらしい。子供は少なくなるらしい。
 わかりやすい時代の変化が来たとぼんやり思った。何もかもがどんどん進化する。テクノロジーから、人間の中にある意識まで、様々なものが古い殻を脱ぎ捨てて、見たこともない姿に変態する。便利で、革新的で、知能的。私たちはわからないことを教えてもらって、やりたくないことをやってもらう。情報の世界には一生かかっても網羅できないほどのコンテンツがあり、不可能は存在しなくなる。素晴らしい進化、素晴らしい世の中。
 あまりにも寒いから、暖房をつける。ベッドからぎりぎり手の届きそうな位置にあるリモコンを取ろうとした時、ちらりと見えた。白い。のそりと這い出てカーテンを開けると、風景は珍しく雪に覆われていた。
 うわぁと思わず上げた歓声に窓が曇る。パジャマの袖でそれを拭えば、向かいのマンションの一部屋、ベランダに飾られた松の盆栽の緑を美しい白が飾っていた。
 ああ。来年の冬を迎える頃には、世界はどれだけ変わっているだろうか。自然だけがそのままだと常識に知っていた世の中ですら、もう枝にしがみつく冬の木の葉。
 進化は素晴らしい、素晴らしいのに、なぜこんなにもの悲しくなるのだろう。古色蒼然の排除、新進気鋭の侵略。
 時代がひとつ終わる。このあとにはもう、確かなものは何もない。

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