選手とファンのスクラムが100回の歴史を作り上げてきた。大学ラグビーの早慶戦。晴れの舞台を2万7609人の大観衆が見守った。早大がルーツ校の慶大に快勝

100回目となる大学ラグビー定期戦の早慶戦。この晴れ舞台を2万7609人が見守った。36年ぶりとなる国立競技場での開催。選手とファンのスクラムが歴史を刻んできた。試合は早大が慶大に43-19で快勝。「早慶」「慶早」といわれるライバル同士の一戦はこれからも大学ラグビーを彩っていくだろう。

11月23日は勤労感謝の日。そして、ラグビー早慶戦。かつて早稲田でマネジャーを務めた中村元一さんがもっとも雨の少ない日を調べたところ、この日に試合が行われるようになった。

第1回は1922年11月23日。ラグビールーツ校の慶応に早稲田が挑戦する形で行われた。試合は14-0で慶応の勝利。早稲田はまったく歯が立たなかった。

雨の少ないとされた11月23日。そして100回目の今年も、晴れやかな空のもとで選手たちが躍動した。

今年は36年ぶりに国立競技場で行われた。この変更は奏功した。秩父宮の収容人数は車いす席を含めて2万4871人。秩父宮だったら、この日の観客2万7609人全員が見ることはできなかっただろう。

試合は開始10分までに早稲田が2トライを挙げリード。前半を28-14で折り返すと、後半に2トライを追加し、43-19で快勝した。

後半3分の早稲田のトライが見ものだった。自陣から早稲田が攻め込む。背番号2の佐藤健次選手がスルスルっと抜けて、大きく前進した。

スクラムの最前列で戦うフッカーの突破。走力よりもスクラムでの力強さが期待されるポジションだ。体重107キロの巨漢が大きくゲインするシーンに、スタンドは沸いた。

佐藤選手は中学までウィングのポジションだった。高校でフォワードのナンバー8となり、大学に入ってからフッカーに転向した。

日本代表をめざす佐藤選手は身長177センチ。ナンバー8のワールドクラスの選手では小さいと判断し、自分のサイズでも世界で戦えるポジションとしてフッカーに転向する決断をしたのだ。

107キロの佐藤選手が40m進み敵陣まで攻め込む。その後ろを1年生ウィングの矢崎由高選手が猛然と追いかけてきた。佐藤選手からパスを受けると、矢崎選手が左サイドを20m駆け抜けてトライを決めた。

将来を見据えて「変身」を遂げた選手と、20歳以下の日本代表に選出された快足ルーキーの連係で生んだトライ。この早慶戦から輝かしい希望が生まれた。

100回目の定期戦。これで早稲田の73勝20敗7引き分けとなった。

選手の躍動。ファンの大歓声。選手とファンのスクラムが歴史を作り上げてきた。これからも名勝負が生まれてほしい。

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