雑記:清洲から岐阜

清洲城は尾張守護の斯波氏によって築城され、その後守護代織田大和守家の居城となり、織田信長が守護代・織田信友(広信、彦五郎)を追って城主となった。

現在、城跡はJR東海道本線と東海道新幹線によって分断されてしまい、遺構はほとんど残っていないが、織田信長時代の城をイメージして犬山城をモデルに造られた模擬天守が建っている(清州城は資料がなく、どのような天守閣を備えていたかが不明)。

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JRによって分断されてしまった跡地のうち、模擬天守の反対側は公園となっており、園内には若き日の織田信長の銅像(桶狭間の戦いに出陣する歳の姿をモチーフとしたと言う)があり、後に信長夫人の濃姫の銅像も建てられた。

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信長は美濃攻めの過程で清州城から小牧山城に居城を移し、美濃攻略の後は岐阜城を本拠とした。

岐阜城は斎藤氏の居城であったかつての稲葉山城であり、険峻な山城であるが、現在の天守閣は戦後に建造された模擬天守である。

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岐阜城にほど近い常在寺には、斎藤道三・斎藤義龍父子の肖像画が所蔵されているが、現在原本は岐阜市歴史博物館に寄託され、本堂には模写が展示してある(模写は博物館の常設展で展示されることもある)。

原本は毎年四月の道三まつりの際にのみ展示される。

また常在寺は斎藤氏の菩提寺であり、境内には江戸時代に建てられた斎藤道三の供養塔(下の写真二枚目)もある。

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岐阜市歴史博物館は岐阜城の建つ金華山の麓の岐阜公園内にあり、館内では斎藤氏や織田氏統治時代の展示も充実しており、織田信長の楽市楽座の制札の復元や、岐阜城下の様子を復元したコーナーもある。

なお、岐阜公園は織田信長の平時の館跡であり、発掘された石垣が整備・公開されている通称「千畳敷御殿」もある。

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楽市楽座の制札は、岐阜市神田町の円徳寺が所蔵しているが、円徳寺の境内には織田信秀が斎藤道三を攻めて大打撃を受けた加納城の戦いの際の戦死者を供養する「織田塚」(下の写真一枚目)がある。

また、織田塚の隣には、織田秀信の髪切塚と呼ばれる宝篋印塔(下の写真二枚目)があり、これは岐阜城主の織田秀信(織田信長の孫)が関ヶ原の戦いの際にここで出家した故事にちなむものである。

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