見出し画像

『グレート・ギャツビー』(スコット・フィッツジェラルド)

ほぼ毎日、何かしら本を読んでいるので、その記録を付けることにしました。

ということで、記念すべき一回目はグレート・ギャツビー。言わずと知れたフィッツジェラルドの代表作。

この作品を最初に読んだのは、恐らく中学生か高校生のときなので、およそ30年以上前。そのときにもいくつかの翻訳があったけど、私が読んだのは野崎孝訳の「華麗なるギャッツビー」でした。

当時、サリンジャーを始めとしたアメリカ文学が大好きで、翻訳者つながりでフィッツジェラルドも読んでみたものの、正直「え、微妙……」という感想をもったのを覚えています。

読んでみても、書いてある事が頭に入ってこないというか、その時代のアメリカ文化や風俗にピンとこない。残念ながら、チンチクリンな坊やには、1920年代の狂騒とも言われるアメリカのバブル時代を想像する力が無かった。

だって、しょうがない。豪華な食事で思い出すのは手巻き寿司で、ナイスな車で思い出すのは日産セドリック。気の利いた服装で思い出すのは長ラン&ボンタンにエナメルのベルトにエナメルの靴、裏ボタンは上からB・O・φ・W・Yで、裏地は赤で右側には「阿」、左側には「吽」の刺繍。あ、いや、僕は標準服でした。

まぁ、ともかく、葱畑に囲まれて育った埼玉の高校生に、ギャツビーの生活はピンとこなかった。

そして時は流れ、44歳のおっさんになった私は、某読書マラソンのリストに「グレード・ギャツビー」と書かれているのを見つけることに。

挫折してから30年もの年月を経て、私は身も心も成長している。

贅沢な食事で思い出すのは結婚式で出るフルコースだし、豪華な車で思い出すのは結婚式で新郎新婦が乗るロールスロイスだ(乗ったことはない)。豪華な服装で思い出すのは結婚式のときに着た指揮者みたいな服だし。パーティーでスタッフを雇うときの人件費や仕出し代だって想像がつくようになった。今だったら、ギャッツビーの放蕩三昧や、大人たちの破廉恥話が理解出来るかもしれない。

よし、読もう。読むぞ。

で、読むにあたってですね、現在この作品を楽しむ為には、まずは誰の翻訳にするかを選ぶ必要があります。この作品は何人かに訳されていて、沢山のバージョンが存在する。

かつては大貫訳と野崎孝訳が有名だったのだけど、2006年に村上春樹が満を持して翻訳し話題になり、その3年後には小川高義が翻訳した。

私が手にしたのは村上春樹訳。なぜなら私は村上春樹が割と好きで、かつ健忘症ぎみなので、いつか読もうと購入した村上春樹版「グレート・ギャツビー」が家に2冊あったのだ。なので、これから読むことにした。

村上春樹のグレート・ギャツビーですよ、オールド・スポート。読めましたよ、とてもおもしろく読めましたよ。凄いよ村上春樹。

昔読んだ他の翻訳に比べると、随分と読みやすくて、途中で突っかかるところも一切なく一気に読める。流石だ。

だけどね、だけど、なんだけど、ところがどうして、隠しきれない村上春樹エキスが随所に溢れ出ていて、登場する人物の節回しなどが、微妙に村上春樹調なのが気になるといえば気になる。

読んでいるとですね、ジェイも、ニックもトムも、皆、醤油顔で脳内に現れてくるのです。

うっかりすると、すぐに山中湖の湖畔で若い頃の加山雄三が笑顔を振りまきながら「やぁ、水上飛行機を買ったから一緒に乗らないか心の友よ」と始めてしまう。

そのたびに頑張ってデカプリオ(映画でのギャツビー役)に補正しながら読むから、頭の中が濃い顔の中年男性だらけになって大変だった。ちなみに、ニックは高倉健で、トムは若山富三郎だ。

村上訳において、加山雄三の次に特徴的なのは「オールド・スポート」という言い回しだ。これが2万回位出てくる。原作では "Old Sport" で、ギャツビーの会話の癖として出てくる言葉なんだけど、ニックとの会話で「やぁ、げんきだったかいオールド・スポート」「ただ立っているんだよ、オールド・スポート」なんて使われかたをする。

オールド・スポートって何?

妙に気になって、他の訳だとどうなんだと調べてみたら、
大貫訳では「ねぇ君」、
野崎訳では「親友」、
小川訳では無視。
という感じで、皆、それぞれ日本人に向けた自然さを出している。

これらをみるに、「オールド・スポート」の意味というか、コミュニケーション上のニュアンスは、ジャイアンでいうところの「心の友よ」だな(少しちがう)。

村上訳の「オールド・スポート」は慣れてくると、これはこれで、無垢でありながら如何わしく、ヨーロッパの貴族社会へのあこがれが強く背伸びしがちなんだけど、とても繊細でナイーブ。そんなギャツビーの虚飾的な雰囲気を出すのに成功している気がして、すごく良いと感じた。

他の翻訳も素晴らしいよ

今回、せっかくなので村上訳の後に、大貫訳を読み、野崎訳を読み、小川訳も読んだ。結構大変だったけど、それぞれ個性があって、それぞれが面白くて素晴らしい小説でした。

小説として読みやすいのは村上訳で間違い無いのだけど、そのうえで、個人的には野崎役が一番原作の雰囲気を正しく醸し出している気がして好みに感じましたね。翻訳が古く少し読みにくいのが難点だけど、海外文学読み慣れている人だったら全く問題無い。

大貫訳は、やっぱり翻訳が古いのだけど、リズムというか、テンポの良い読書感が心地よい。でも、読書慣れというか、翻訳慣れしている人じゃないと読みにくいのかもしれない。(個人の感想です)

読みやすさだけで考えるなら、完全に日本向けに手をいれた小川訳が(随分と雰囲気が変わっているけど)一番読みやすいかな。とてもさっぱりした翻訳になっている。ただ、あまりにもスッキリしていて、読んでいても味わいが無い。薄味。出汁だけの味付けで出されちゃって、どうぞ素材をお楽しみくださいとか言われても味無いしって感じ。もう少し醤油が欲しい。

そんなわけで、もしこれから読むなら断然村上訳ですよ。とても読みやすいし、あとがきも含め、作品への愛がとても深い。完成度も高く、読んでいると、世界にグイグイと引き込まれる。

ということで村上訳がおすすめだけど、他の訳も素晴らしいし、良い作品なので是非読んでみて。

通勤本には向かないので、お気に入りの喫茶店でのんびりと。


この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

「それって有意義だねぇ」と言われるような事につかいます。