見出し画像

道徳的判断力を養う道徳授業の見方・考え方ー「再特殊化」の視点で授業を設計してみようー


0 きっかけ(レビュー者)
 

 道徳科の意義は何でしょうか。私は道徳的価値を通して、自身の考えを広げたり深めたりするものだと考えます。
 道徳の授業は「友だちと仲良くしよう」「命は大事」「いじめはだめ」と当たり前のことを言っているだけに見えるかもしれません。そして、そんなことは授業を受ける前から子どもたちはわかっています。しかし、ここで終わりにしてしまっている授業もあるでしょう。
 この授業、子どもたちは楽しいでしょうか。何か学びになっているでしょうか。また、教師も楽しく授業ができているでしょうか。
 そこで、今回がここからさらに考えを広げたり深めたりできるための授業の視点となる論文を紹介します。

1 はじめに

 文部省視学官であった青木孝頼が提唱する「価値の一般化」は、現在でもなお教科書の手引きで掲載されることが多い。この「価値の一般化」は、教材を通しての価値把握が特定の条件にとどまりやすいことから、価値把握を児童生徒の生活経験に結びつけることを意図している。
 一方で、村上敏治は、この「価値の一般化」について青木と一部では同じ主張をしつつも、異なる主張を唱えている。本論文では、青木と村上の考えを比較しつつ、村上が提唱する学習活動の意義を再評価する。とくに村上が提唱する「再特殊化」と名付けることができる学習活動の意義を明らかにする。

2 青木孝頼の「価値の一般化」と村上敏治の「価値の一般化」

 「価値の一般化」は道徳的な価値判断を「特定条件、特定場面下での価値把握」にとどまらずに行うということである。したがって、授業の展開後段で行うことが多いが、必ず後段で行わなければならないといったものではない。むしろ「価値の一般化」を提唱した青木孝頼は、展開後段だけでなく、導入、展開前段、終末においてもそれを行う工夫を述べている。

 一方、哲学者で道徳教育の研究にも取り組んだ村上敏治は、学校教育における教材は特殊な場面での特定の問題を扱い、特定の考え方を扱っているため、価値の一般化は、場面の拡大や自己との対話として重要だと述べている。ここまでは青木と同様である。
 他方で、「場面の拡大」の射程については青木と異なる主張をしている。両者とも教材で扱う場面を「一般化」することに重きはおいているが、村上はその一般化する際の「問題場面の質的拡充」を重視する。
 これにより、「時処位に応じて対処する力」が養われるというのが村上の主張である。この「時処位に応じて対処する力」は、いわば学習指導要領でいう「道徳的判断力」や、アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で論じる「思慮深さ」と重なるものといえるだろう。
 アリストテレスは、「勇気ある行動」とは何かを見極める際に、その行為がふさわしい対象・相手・方法・時(時処位)などを判断するための「思慮深さ」の重要性を述べている。このため、村上の「価値の一般化」を「再特殊化」と名付ける。

3 所感(レビュー者)


 今回紹介した論文は、青木孝頼の「価値の一般化」の意味や意義を再検討し、青木と同時期に活躍した村上敏治の考えと比較し、村上の提案する「再特殊化」の意義を明らかにするものでした。
 この論文の価値は、これまでの「価値の一般化は展開後段でなければならない」という、道徳授業の当たり前やそもそも展開前段や展開後段はなんのためにするの?と見直すきっかけになります。
 「時処位」とは「時=時間、処→場所、位→状況」です。
 今までは「友達は大切」で終わっていた授業も「『よく遊ぶのが友達』というけれど、引っ越してしまった人は友達かな?もう中々会えない人は友達?」「友達が宿題をやり忘れたといったから見せてあげるのは友情だよね?」「でも、この宿題をやり忘れた友達、実はお母さんが入院していてそのお見舞いをして、家の家事もしていて宿題ができなかったら?それでも見せない?それでも先生に怒られればいいと思っているの?それって友達?」と問うことで、「時処位に応じて対処する力」(道徳的判断力、思慮深さ再特殊化)が養われるのではないでしょうか。
 子どもも先生も楽しく学べる授業の視点としてぜひ生かしたいです。

4 参照


 髙宮正貴(2022)「道徳授業における『価値の一般化』の再検討:展開後段における『再特殊化』の導入」『大阪体育大学教育学研究』 第6巻  pp.51-63
https://ouhs.repo.nii.ac.jp/records/168

 この「再特殊可」の考えを活用して理論化、実際の授業実践が本になりました。こちらです。
https://amzn.asia/d/7Ahcf4Q
(文責:町田 晃大)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?