せりもも

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せりもも

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マガジン

  • ナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征

    ナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征に関するエッセイです。ドゼ将軍やダヴー准将、また、名もない将校らの証言を丹念に集めました。 小説を書く為に集めた資料のお焚き上げとなっております。ブログに掲載した記事をよりマイルドにリライトしております

  • カール大公の恋

    マリー・アントワネットの娘がどうなったか、ご存知ですか? ナポレオンの好敵手、後に友人となったカール大公の、生涯に亙る恋愛を小説にしました。

  • 石川五右衛門3世……但し直系ではない

    俺の名前は、五右衛門3世。かの有名な大泥棒・石川五右衛門の、弟の子孫だ。3世を襲名するからには、当然、義賊である。 謎解き連作短篇集です。

記事一覧

パワハラ上官ナポレオン⑤付:セクハラ編

副官ではないのですが、そしてこれはセクハラでいいのかわかりませんが、部下に対する何らかのハラスメントであることは明らかなので、ご紹介しておきます。 フーレ中尉Je…

せりもも
4か月前
13

パワハラ上官ナポレオン④:ミュイロン

ミュイロンは、エジプト遠征には参加していません。彼は、アルコレで、ナポレオンを庇って亡くなりました。 ミュイロンJean-Baptiste Muiron 1774.1.10 - 1796.11.15 出…

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4か月前
6

パワハラ上官ナポレオン③:スルコウスキ―

ナポレオンの副官への無茶ぶりも、③まで来ました。 スルコウスキ―Józef Sułkowski 1773 - 1798 ポーランド貴族の息子です。スルコウスキ―家は、Sulima という紋章を…

せりもも
5か月前
4

行ってきちゃいました、リドリー・スコット監督『ナポレオン』
2時間半の間、そこしか見てない。
猫に小判。
(画像 猫:くまみね氏 受話器:PICaboo!)

せりもも
5か月前
4

パワハラ上官ナポレオン②:ジュリアン

副官を題材に、ボナパルトのパワハラ上官ぶりを示す例を続けます。 ジュリアンThomas Prosper Jullien 1773.12.21 - 1798 ボナパルトとは、トゥーロン攻防戦の時に知…

せりもも
5か月前
10

パワハラ上官ナポレオン①:クロワジエ

ここでは若き日のナポレオン(本来ならまだボナパルトと呼ぶべきですが)がどのような無茶ぶりを、特に副官達に強いたか、エジプト遠征を題材に追っていきます。 クロワジ…

せりもも
5か月前
8

親友との出会い③友情の始まり

エジプトへの憧れ プロイセンが早々に戦線を離脱し、オーストリアとドイツ諸邦を打ち負かした今(1797年)、フランスの当座の敵は、海の向こうのイギリスです。 総裁政…

せりもも
5か月前
3

親友との出会い②ファーストインプレッション

二人の共通点 ドゼとボナパルト。 共通点の多い二人です。 ・貧しい地方貴族の息子(長男でない) ・王立士官学校の地方校で学ぶ(ボナパルトはブーリエンヌ、ドゼはエ…

せりもも
5か月前
2

親友との出会い①イタリア軍とドイツ方面軍

ドゼの旅心 1792年、フランス革命政府の宣戦布告から始まった革命戦争は、97年春、一応の終結をみました。ボナパルト将軍率いるイタリア軍の活躍によって。 → フランス…

せりもも
5か月前
3

ナポレオンの親友 ドゼ将軍の素顔

ナポレオンの「親友」、ドゼ将軍とは、どんな人だったのでしょう。同時代のアーティストの証言(作品)をご紹介致します。 ゲランJean Urbain Guérin (1760-1836) スト…

せりもも
7か月前
5

ナポレオンの親友

1797年夏、ライン河畔から一人の将軍 général がイタリアへ、ボナパルトに会いに来ます。 ボナパルトのイタリア軍はロンバルディアを制し、6年間続いた革命戦争に一応…

せりもも
8か月前
6

ボナパルトのエジプト遠征

ボナパルトのエジプト・シリア遠征に関する小説を書きました。既に完結し、セルフ校閲及び大規模改稿も終わりましたので、宣伝に参りました。 「汝、救える者を救え『逃げ…

せりもも
8か月前
6

石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋⑥

 「でも、五右衛門。それ、いいかもしれない」  あばら家に降臨した弥勒菩薩と生意気なクソガキが帰ると、独歩がひょいと顔を出した。  今まで、どこかに隠れていたも…

せりもも
10か月前
3

石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋⑤

 調べが行き詰まっているという噂は、俺の耳にも入ってきた。  そもそも、俺は(独歩もだが)、下手人の疑いを掛けられた身だ。  人格が高潔なので、疑いは一瞬で晴れた…

せりもも
10か月前
3

石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋④

 「これ、独歩。独歩や。親分さんがお呼びです」  如信尼に呼ばれ、川端独歩が現れた。  ちなみに「川端」というのは、彼を保護した町人がつけた姓だ。名前も同じ人物…

せりもも
10か月前
3

石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋③

 「恐らく、首を切られてから、川に投げ込まれたのだろう」 もったいぶって、天寿庵が結論した。 「川の中で、首を切り裂かれたのではない」  それはまあ、そうだろうと…

せりもも
10か月前
3
パワハラ上官ナポレオン⑤付:セクハラ編

パワハラ上官ナポレオン⑤付:セクハラ編

副官ではないのですが、そしてこれはセクハラでいいのかわかりませんが、部下に対する何らかのハラスメントであることは明らかなので、ご紹介しておきます。

フーレ中尉Jean-Noel Fourès

新婚の中尉

新婚のフーレ中尉(彼は騎兵だったようです)は、妻と別れがたく、新妻はこっそりと猟騎兵の格好をして、エジプトについてきました。

アレクサンドリアからカイロからの過酷な行軍に耐えたフーレ夫妻

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パワハラ上官ナポレオン④:ミュイロン

パワハラ上官ナポレオン④:ミュイロン

ミュイロンは、エジプト遠征には参加していません。彼は、アルコレで、ナポレオンを庇って亡くなりました。

ミュイロンJean-Baptiste Muiron
1774.1.10 - 1796.11.15

出会い

パリの徴税人の家に生まれます。トゥーロン攻防戦に砲兵大尉として参加し、そこでボナパルトと出会いました。

彼は、ボナパルトがバラスの副官を務めたヴァンデミエールの蜂起弾圧にも、砲兵将校と

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パワハラ上官ナポレオン③:スルコウスキ―

パワハラ上官ナポレオン③:スルコウスキ―

ナポレオンの副官への無茶ぶりも、③まで来ました。

スルコウスキ―Józef Sułkowski
1773 - 1798

ポーランド貴族の息子です。スルコウスキ―家は、Sulima という紋章を持つことを許された、由緒ある家柄でした。

イタリアでの活躍

92年のポーランド・ロシア戦で活躍しますが、再びポーランドは分割されてしまいます(第二次ポーランド分割)。スルコウスキ―はフランスへ渡り、革

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行ってきちゃいました、リドリー・スコット監督『ナポレオン』
2時間半の間、そこしか見てない。
猫に小判。
(画像 猫:くまみね氏 受話器:PICaboo!)

パワハラ上官ナポレオン②:ジュリアン

パワハラ上官ナポレオン②:ジュリアン



副官を題材に、ボナパルトのパワハラ上官ぶりを示す例を続けます。

ジュリアンThomas Prosper Jullien
1773.12.21 - 1798

ボナパルトとは、トゥーロン攻防戦の時に知り合いました。イタリア遠征の時に、参謀に取り立てられています。

ジュリアンはボナパルトに気に入られていました。

ボナパルトのブラックぶりは、むしろ海軍提督ブリュイに対して発動されたといってい

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パワハラ上官ナポレオン①:クロワジエ

パワハラ上官ナポレオン①:クロワジエ

ここでは若き日のナポレオン(本来ならまだボナパルトと呼ぶべきですが)がどのような無茶ぶりを、特に副官達に強いたか、エジプト遠征を題材に追っていきます。

クロワジエFrançois Croizier
1773.10.27 - 1799.6.4

最初に挙げる犠牲者は、この方。ボナパルトのイタリア遠征で頭角を現し、ボナパルトの副官として、エジプトにやってきました。

ダマンフールにて

エジプトに

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親友との出会い③友情の始まり

親友との出会い③友情の始まり



エジプトへの憧れ
プロイセンが早々に戦線を離脱し、オーストリアとドイツ諸邦を打ち負かした今(1797年)、フランスの当座の敵は、海の向こうのイギリスです。

総裁政府は、イタリアの勝者ボナパルトに、ブリテン島遠征を期待しました。

しかし、イギリス海軍に対し、フランス海軍は勝ち目がない。だったらエジプトへ向かい、そこからイギリスを牽制した方がずっといい。

ボナパルトはそう考えました。
エジプ

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親友との出会い②ファーストインプレッション

親友との出会い②ファーストインプレッション



二人の共通点
ドゼとボナパルト。
共通点の多い二人です。

・貧しい地方貴族の息子(長男でない)
・王立士官学校の地方校で学ぶ(ボナパルトはブーリエンヌ、ドゼはエフィア)
・ほぼ隣接した地域で、王の将校として軍務についた
・貴族でありながら革命軍として国に残った

実は、ボナパルトとの会見前、ドゼは、イタリア軍はライン・モーゼル軍の資産(兵士や馬など)を、軒並み奪うつもりではないかと危惧してい

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親友との出会い①イタリア軍とドイツ方面軍

親友との出会い①イタリア軍とドイツ方面軍



ドゼの旅心
1792年、フランス革命政府の宣戦布告から始まった革命戦争は、97年春、一応の終結をみました。ボナパルト将軍率いるイタリア軍の活躍によって。
→ フランス革命戦争(ブログ)

革命戦争初期からずっとドイツ方面で戦い続けてきたドゼは、この泥沼の戦いを終結に導いた若き将軍(ボナパルトは彼より1歳年下でした)に、是非、会ってみたいと思いました。

ドゼは、知らない土地を歩き、人と会うこと

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ナポレオンの親友 ドゼ将軍の素顔

ナポレオンの親友 ドゼ将軍の素顔

ナポレオンの「親友」、ドゼ将軍とは、どんな人だったのでしょう。同時代のアーティストの証言(作品)をご紹介致します。

ゲランJean Urbain Guérin
(1760-1836)

ストラスブール生まれの画家ゲランは、クレベールの幼馴染でした。ライン方面軍将校の肖像画としては、クレベールはもちろん、サン=シル、レイニエのものもあります。
国民衛兵となったゲランは裏切りを疑われ、ドゼの下に匿

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ナポレオンの親友

ナポレオンの親友


1797年夏、ライン河畔から一人の将軍 général がイタリアへ、ボナパルトに会いに来ます。
ボナパルトのイタリア軍はロンバルディアを制し、6年間続いた革命戦争に一応の終止符を打ったところでした。

革命戦争についてはこちらに

ライン・モーゼル軍から来た将軍の表向きの任務は、総司令官モローの使いでした。けれど彼の狙いは別のところにありました。旅が好きで知らない人に会うことを好むこの将軍は、

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ボナパルトのエジプト遠征

ボナパルトのエジプト遠征

ボナパルトのエジプト・シリア遠征に関する小説を書きました。既に完結し、セルフ校閲及び大規模改稿も終わりましたので、宣伝に参りました。

「汝、救える者を救え『逃げろーーーっ!』」

日本語タイトルは、ペンギンちゃんのご本に入りきらなかったので、フランス語で入れてみました。

"Sauve qui peut!" というのは、船が沈みそうになった時に船長が部下たちに言う言葉で、逃げられる奴は自分の裁量

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石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋⑥

石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋⑥

 「でも、五右衛門。それ、いいかもしれない」

 あばら家に降臨した弥勒菩薩と生意気なクソガキが帰ると、独歩がひょいと顔を出した。
 今まで、どこかに隠れていたものと見える。

 彼は、俺の前に置かれた役者絵の束を見つめていた。

「絵姿が出回れば、愛之助も、隠れていられなくなるはずだから」

 川原で草取りをしたうち、愛之助だけが、所在が分からないのだ。
 そして独歩は、お藤を殺したのは、愛之助

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石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋⑤

石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋⑤

 調べが行き詰まっているという噂は、俺の耳にも入ってきた。
 そもそも、俺は(独歩もだが)、下手人の疑いを掛けられた身だ。
 人格が高潔なので、疑いは一瞬で晴れたのだが。

「入会地の草刈りをした人のところに、調べが入ったんだ。でも、犯人はいなかった」
 俺の家に、遊びに来た独歩が言った。
 どこからか聞き及んできたらしい。

「へえ! 全員の所を訪ねたわけかい?」
寝転がったまま、俺は尋ねた。

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石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋④

石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋④

 「これ、独歩。独歩や。親分さんがお呼びです」

 如信尼に呼ばれ、川端独歩が現れた。

 ちなみに「川端」というのは、彼を保護した町人がつけた姓だ。名前も同じ人物がつけた。
 川のそばを独りで歩いていたから。
 単純明快だ。

 「……」

 本堂に現れた独歩は、素直に、如信尼の前に坐した。
 憧れの籠った眼差しで、如信尼を見つめ、同じ目のまま、本尊を拝んだ。

 つられて自分も本尊を見上げよう

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石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋③

石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋③

 「恐らく、首を切られてから、川に投げ込まれたのだろう」
もったいぶって、天寿庵が結論した。
「川の中で、首を切り裂かれたのではない」

 それはまあ、そうだろうと、長治は思った。川の中で相手の首を切りつけるのは、難しい。

「では、致命傷は、首の傷ですね?」
「まあ、そうともいえる」
「水に落ちた時には絶命していた、と。お藤という女は、死んでから、川に捨てられたわけですね?」
「どうかな」
「ど

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