見出し画像

ナショナリストのライトツーリズム

 今回は若きナショナリストへのオススメ旅行スポットを紹介します!

画像2

ナショナリスト向けってどんなん?

 ナショナリストの皆さんなら、グローバリズムが吹き荒れている時代に国民国家の存在意義を強調する姿勢には興味を持ってしまいますよね!

 国民国家が再分配機能の一つである社会保障を行い、その国の民族・宗教・文化・習慣を他国や資本主義から防衛している共通認識の下にご紹介させていただきます。

国際情勢

 世界中で国境を越えた資本の動きが活発化しています。マクドナルドやNIKEビッグ・テックのGAFAなんかは代表的な企業として挙げられます。そういったグローバル企業の動きに対し、アメリカの前大統領トランプはアメリカ国内に対して工場を作るよう促すなど、対策を講じていました。

 移民問題も各国で摩擦の原因になっています。途上発展国からの大量の移民とそれに伴う貧困層の増加と治安悪化、またイスラム系移民や中華系移民と現地民による文化的衝突など、数多くの不和が起きています。

紹介する国の概要

画像1

 今回、私が紹介する組織は基本的に与党ではありません。しかし、近い将来に政権を担う可能性がある組織です。また、日本と必ずしも友好関係におりませんのでご注意ください。

 民族主義団体・一水会世界愛国者会議というインターナショナルの右翼バージョンを2010年に開いています。2019年にも「ロシア自由民主党」を率いるジリノフスキー氏が世界愛国者平和大会を行なっています。

※言語とお金はぶっつけでどうにかしましょう。現地の財団にメールを飛ばす、日本国内の大使館に直接話してみるなど手段はたくさんあります。

一水会は講演会を開いています。講演会に参加するか、直接連絡するかしてみたら詳しいお話が聞けるかもしれません。私は関係者でないので自己判断、自己責任でお願いします。

※一切責任は取りません。自己責任で楽しんでください。

ロシア連邦🇷🇺

画像3

GDPランキング11位・世界軍事費ランキング4位の大国ロシア。世界をアメリカと二つに分割したソビエトの崩壊後、1980年代後半から複数政党制になりました。元来、マルクス主義は「民族主義」や「帝国」の存在も否定的に扱うのですが、ナポレオンを打破したロシア帝国の「祖国戦争」を、第二次世界大戦中にナチス・ドイツとの戦争にナショナリズムを高揚させる為、大祖国戦争と名付けてしまうくらいのシタタカナ国がロシアです。

ロシア自由民主党(1990年設立)

画像4

日本人友好度★★★☆☆

インテリ度★★☆☆☆

組織度★★★★☆

GUにロゴ激似度★★★★★

 ロシア自由民主党はウラジミール・ジリノフスキーにより設立されました。ロシア連邦院で6/170議席、ロシア国家院(下院)で39/450議席、地方議会で236/3928を獲得し、下院では第三位に位置しています。党員数は295,018人を擁します。

スローガンは、自由、愛国心、法。

強面のロシアでもゴリゴリのタカ派です。


1.1 指導者

画像5

 ウラジミール・ジリノフスキーはカザフスタンの旧首都アルマトイで生まれたユダヤ系ロシア人です(父親はイスラエルの右派団体メンバー)。モスクワ大学アジア・アフリカ研究所でトルコ語と文学を専攻し、同時期ソビエト共産党の指導機関マルクス・レーニン主義大学国際関係学部にも在籍。卒業後は、プーチンと同じくKGBに就職し、働きながらモスクワ大学法学部の夜間部で学んでいます。

 余談ですが、モスクワ大4年時にトルコ東部へ留学した際、友人へレーニンバッジをプレゼントした事からトルコ政府に怒られて、帰国させられたというロシアらしいファンキーな武勇伝を持っています。

 一水会とは、かなり友好関係にあるようです。一水会主催の世界愛国者会議やロシア自由民主党主催の世界愛国者平和大会に双方参加しています。

 あの右翼のドンと呼ばれた笹川良一の三男である日本財団会長・笹川陽平は、以下のように評価しているようです。

一見、荒唐無稽(むけい)に聞こえるジリノフスキー氏の発言ですが、その言葉の裏には常に祖国の存亡を考える真摯(しんし)な姿勢もうかがえました。

ユーラシア党国際ユーラシア運動(2002年〜)

画像6

日本人友好度★☆☆☆☆

インテリ度★★★★★

組織度★★☆☆☆

加速度★★★★★

 ユーラシア党とは、アレクサンドル・ドゥーギン率いる政治集団です。ロシア自由民主党のような議会進出による政権獲得を狙っている政党ではなく、むしろアレクサンドル・ドゥーギンの結社に近いかもしれません。2005年には、国際ユーラシア運動の青年部としてユーラシア青年団(ECM)が設立されました。組織規模やサイトの更新頻度から鑑みても青年団の方が活発です。その青年団はヴァレリ・コロヴィンを指導者に、「帝国への栄光を!ロシア人、目覚めよ!」をスローガンに掲げて、ウクライナ・ロシア国内・旧ソビエト圏各地に35の支部を設置したそうです。ちなみにイギリス(地下化)、トルコにも支部はあるそうです❗️

 彼らを一躍有名にしたのは、2007年にウクライナでの指導者アレクサンドル・ドューギンや事務局長の5年間に渡る入国禁止処置が取られたことでしょう。さらにECMの支部も設置許可も取り消されてしまいます。これらの処置は、ウクライナのホヴェールラ山にあるウクライナ建国の象徴である石碑を破壊した事が原因でした...。

指導者

画像7

 アレクサンドル・ドゥーギン(1962年~)は、ロシア連邦軍参謀本部情報総局で働く軍人の父と医師の母の間に生まれます。父と同じように軍人を志しますが、モスクワ航空大学2年生時に学業不振とイデオロギー的違いにより追放されてしまいました。ソビエトでロックや退廃芸術を愛する若者は、当然、反体制派として活動するようになります。ロシア正教会系のファシズム団体パミアット(記憶)に参加(すぐに除名)。1992年にゲンナジー・ジュガーノフから起用され、民族主義者や愛国主義者を糾合させたロシア共産党の再建に関与します。1997年に「地政学の基礎」を出版。これが相当バズり、現在でもロシアの士官学校で教材として使われています。ある程度、ロシアの政変が落ち着いた後に国家ボリシェヴィキ党に参加(名前とは裏腹に、笑えないくらいの党員数です)。あの名作「1984」から着想を得たとされる民族主義とユーラシア主義の結合したネオ・ユーラシア主義を標榜し始めます。イデオロギーは作り上げたものの、すぐに党内対立で離反してしまいました。

 離党後は、ロシア共産党議員で下院国会会議議長のゲンナジー・セレズニョフの顧問になります。そして、あれよあれよと、プーチンに接近し、モスクワ大学の教員になりました。

 余談ですが、彼の曾祖母は古儀式派で、彼も古儀式派です。この古儀式派は果てしない間、ロシアの様々な政府から弾圧されてきた宗派であり、追われていたボリシェビキにも地下ネットワークを利用されるほど、裏世界に根付いた集団でした。

 アレクサンドル・ドューギンの根底には、西側諸国と自由主義への憎悪、そして、かつてのソビエトのような強大な国家への憧れが、書籍や発言から読み取れます。

 正直、存命のインテリ・ナショナリストだと他を圧倒しています。まさに、ラス・プーチン。なおかつ、ロシアのイデオローグなので、とりあえず調べるのをオススメします。

ネオ・ユーラシア主義

画像8

 「ユーラシア主義って汎スラブ民族主義と何が違うの?」と考えたナショナリストの皆さん、素晴らしい洞察力です。

 アメリカの国際政治学者サミュエル・P・ハンティントンはロシアを東方正教会文明に属します(フランスの統計学者エマニュエル・トッドはめちゃくちゃ批判してる分類ですけど)。このサミュエル・P・ハンティントンの予測では、西欧文明、中華文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、日本文明、東方正教会文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明の8つの文明が徹底的に争うと考えられてます。この説を知れば、アレキサンドル・ドゥーギンのネオ・ユーラシア主義にも、なるほどなと納得いくかもしれません。

 ネオ・ユーラシア主義は民族主義や文明論と一味違います。彼はなによりも空間に重きを置きます。地政学的に海と陸の対立は不可避であり、それが歴史的に繰り返されてきた。つまり、西洋諸国は海洋国家(新カルタゴ)であり、旧ソビエトは大陸国家(新ローマ帝国)となり、必ず対決することになるというものです。また、現実的な方針としてはNATOが海洋国家の具現化した組織であり、大陸国家牽制のためにリムランド(地政学的重要拠点)を確保しようとするので、何としても阻止するか奪い返すってのを提起しています。そして、添える様にして、歴史的にロシアは地域小国でやっていくのは無理と衝突不可避な事を強調しています。

 またまた余談ですが、ドイツ、日本、イランとは手が組めるそうです笑

 ここらへんはめちゃくちゃザックリなので、以下の参考資料を読んでください。書評 アレクサンドル・ドゥーギン「地政学の基礎 ロシアの地政学的未来/空間をもって思考する」黒岩 幸子

画像9

 正直、ユーラシア党関連はまとめるのに膨大な資料を漁らないといけないので、留学を目指す方や興味のある方は自力で頑張ってください。

ロシア留学のススメ

画像10

モスクワ大学(モスクワ)

ロシアの東大。OBにソ連最後の指導者ゴルバチョフと格闘家のアルバート・トゥメノフがいます。

プーシキン記念ロシア語大学(モスクワ)

アレクサンドル・プーシキンの名を冠する外国人向けの語学大学。

サンクトペテルブルク国立大学(サンクトペテルブルク)

ロシア最古の大学。モスクワ大と双璧をなしています。ソビエトの偉大なる指導者レーニンと現指導者プーチンをOBに持つ格式ある大学。

極東連邦大学(ウラジオストク)

ロシア極東の最大規模の大学。函館に分校がある。

奨学金

 ロシア政府国費留学生の募集があり、上記の大学も数多くの日本国内の大学と交換留学協定を結んでいる為、行こうと思えば留学可能だと考えられます。私のかつての同志らも複数名がロシア留学に行ってました(内一名は失恋して帰ってきました)。

フランス共和国🇫🇷

画像11

GDPランキング7位・世界軍事費ランキング6位の哲学とファッションが有名な国。1958年以降は、シャルル・ド・ゴールにより第五共和政になりました。幾度となく革命が起きては、国の在り方が変わっていく世界の思想的最先端の場と言っていい国でしょう。ここ数年でも、緊縮政策に憤った労働者による黄色いベスト運動、イスラム過激派により襲撃されたシャルー・エブド事件があり、資本主義とリベラリズムの狭間で揺れ動く世界の先駆け的事態を起こしてます。

国民連合(1972年〜)

画像12

 元老院(上院)で1/348議席、国民議会(下院)で7/577議席、欧州議会で23/79議席、州議会で292/1,758、県議会で46/4,108議席を獲得しています。2017年の大統領選挙では2位になり、21.7%も得票し世界から注目される国家主義政党になりました。

日本人友好度★★★★★

インテリ度★★★★☆

組織度★★★★☆

安全性★★★★★

 国民連合は、名称変更や指導者の代替わりを経てる為、第1期と第2期に分けて説明させていただきます!

第1期国民戦線(1972年〜2011年)

画像14

 1972年にジャン=マリー・ル・ペン(現当主の父なのでパパ・ルペンと呼ばれたりします)が創設しました。パパ・ルペンの学歴だけを見るとパリ大出身のエリートですが、彼は14歳で孤児になったり、王党派組織アクション・フランセーズ(社会党・元首相ミッテランも所属していたという噂があります)の機関紙を地道に路上で売ったり、パリ大法学部で自治会長をやったり、在学中に外国人部隊に入り第一次インドシナ戦争に参加したりと、目まぐるしい青春を過ごします。第四共和政時に勃興したポピュリスト・ピエール・プジャードによるプジャード運動へ26歳で参加。才能を認められ、プジャード運動の若手として27歳で国会議員になりました。議員落選後も、反共・反ド・ゴール派の政治家を支援するなど、彼の政治的姿勢は常に王党派とポピュリストとしての一貫性を垣間見る事ができます。国民戦線を設立後、南フランス東部のマルセイユでかなりの人気を博していきました(孫の若手議員は、同地域で当選)。

 あくまでも、この頃の国民戦線は、日本で言えば「NHKをぶっ壊す」と叫んでる政党やアジテーションが超絶上手い元俳優の新撰組と同じような、全体から見たら「異端」のポジションでしかありませんでした。

画像15

 世界愛国者会議にもパパ・ルペンは参加してます。会議後に靖国神社を参拝するほど親日家です。

第2期国民連合(2011年〜)

画像13

 いまや、パパ・ルペンが率いた古参のカトリック保守主義者達は党内から去ったか、もしくは若者たちに席を奪われ端っこで固まっているのではないでしょうか?

 父から類稀なる指導力と評されたルペンは、反ユダヤ主義も歴史修正主義といった極右の思想から、左翼のこぼした労働者階級の支持を中心にソフトな大衆政党へと国民戦線を変えていきました。

 ルペンは父と同じパリ大出身ですが、政治家の娘として育っている点から、叩き上げの父と毛色はかなり違います。具体的には頑固で足で稼ぐタイプの父よりかは、柔軟性のあるインテリかつポピュリストです。

 彼女の思想は、二次ソースになってしまいますが以下の様なものです。

 マリーヌ・ルペンは、演説の中で、神話的な過去というアイデンティティー をふんだんに利用することによって、国民を再建し、新しい偉大な共同体を形成すると言う。「われわれは国民を信じている。狂っている、と私は言いたいのだが、その狂っているシステムにいる人たちには、忘れられ、誤解され、見えないのであるが、国民 nation はあなた方のためにそこにあるのだ。国民は あなた方を見捨てない。それは大きな家族である。その武装した権力、すなわち国家はあなた方を見捨てたりはしない。そうだ、われわれは国民を信じる。 だから国境があるのだ。われわれはわれわれを保護する国境を信じる。国境は、国民と世界の他の者たちとの間にある正常な境界であり、経済、財政、移住、衛生、環境のフィルターとなっている。国民とは羅針盤である。それなしには, 方向も戦略も決まらない」(マリーヌ・ルペンの演説、FN 夏季大学:於ラ・ボール La Baule,2012年9月)(Perrineau 2014,219-21;土倉 2019a,120)。

 2013年9月14日から15日にかけてマルセイユで行なわれた FN の夏季大学で、マリーヌ・ルペンは次のような言葉で経済戦略について話した。「私が望むのは、フランスが荒々しいグローバル化に対してその地位にふさわしく振る 舞うということである。フランスの決め手に価するものを作りだし、フランスの利益を守るために、フランスの力を取り戻すことである。われわれの国境に保護主義を配置するのは大きな戦いである。保護主義なしの再工業化を進めてはならない。私は引き下がらない。もちろん、EU の官僚たちの自由主義的な 厳命に服することはありえないことである。経済的愛国主義はEUを気に入らない。われわれはEU なしで過ごすであろう」(Perrineau 2014,113-4;土倉 2019a,101)。

 現在も一水会とは交流しています。フランスに行く前に、一水会の事務所を訪ねた方がいいかもしれませんね。

画像16

 余談ですが、ブルーノ・ゴルニッシュはパパ・ルペンの代から引き続き、党のNo2を務めるリヨン大学の教授ブルーノ・ゴルニッシュは京都大学に留学し、日本人の妻を持つというゴリゴリの日本通です。

フランス留学のススメ

ここの記載必要か?と思っちゃうくらいフランス留学はメジャーです。

「フランス 留学」で検索したら、腐るほどヒットします。

ワーホリも同様です!


では、皆さん頑張ってください❗️


 


 

 


 







数年前にトルコに渡航していました。現在はオルタナティブ系スペースを運営しています。夢はお腹いっぱいになることです。