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薄々気がついていると思うけどnoteの「スキ」って旧Facebookの「どうでもいいね!」に似てるよね

こんにちは、しちゃうおじさん(以下「しちゃおじ」)です。

「しちゃおじ」のnoteを読まれているクリエイターさんであれば皆さん薄々気がついていると思うのですが、noteの「スキ」って旧Facebook(現Meta)で言うところの「どうでもいいね!」に似ていますよね?

時間と労力を目一杯かけた渾身の記事にあんまり「スキ」がつかないのに、イマイチ納得のできていないような取り急ぎの記事にたくさん「スキ」がついたりします。

noteサーフィンをしていても、(基本的に)知的水準が高過ぎるクリエイターさんが投稿する記事にはあんまり「スキ」がついていません。

これは単純に、哲学書を読んでもほとんどの方が内容を理解できないように、一般的なnoteユーザーの読解力ではそもそも何を言っているのか意味不明だからです。

また、いわゆる不都合な真実を記事にしてみたところで、そんなものを見聞きして現実と直面したい方はいませんので、耳障りのいい嘘を記事にした方が「スキ」がつきます。

例えば、つい先日に投稿した{クリエイターなら自己満の痛いエッセイを毎日投稿して勘違いするのではなく価値の種を投稿しよう}の記事にて「恋と愛の違いと恋愛や結婚のこと」を過去ブログから転載しているのですが、(予想した通り)見事に反応が悪いです。

巷で人気の自己啓発系やスピリチュアル系のほとんどは耳障りのいい嘘になっていて、(”ほとんど” と書きましたが)それで収入を得ている場合は無名であろうが有名であろうがほぼ100%が嘘なのですが、こんな単純な事実に気がつけない大人が多くて霹靂します。

人生経験の浅い未熟な方というのは物事の真実がどうかよりも、いい加減で信用に値しない自らが抱いた感情をなぜか盲目的に優先する傾向にありますが、人間の感情というものはいくらでも、どうにでも、外部から簡単にコントロールできてしまうものなのですよ。

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「スキの数 = 記事の価値」ではない

「しちゃおじ」がnoteを開始して4ヶ月目に、とある先輩noterさんから個人的なコンサルティングを希望されたことがきっかけで、noteユーザーさんを限定した “クローズドコンサル” が誕生しているのですが、当初は「しちゃおじ」よりも1年程度note経験が長いこの先輩noterさんから、noteの現状について様々なことを学ばせていただきました。

「しちゃおじ」の印象からすると、この先輩noterさんが投稿されている記事は唯一無二でありオシャレとセンスの塊でしかないのですが、『自信を持って投稿した記事には「スキ」がつかずに、どうでもいいような記事ほど「スキ」がつくのでnoteが嫌になることがある...』と漏らしていて、当初は「???」だったのですがやがて理解が追いつきます。

さて、ここでこんな話をして『一体何を伝えたいのか?』と言うと、『noteの「スキ」の数はあなたの投稿した記事の価値を反映するものではない』といった当たり前の事実です。

「しちゃおじ」自身は、「スキ」の数にて読者さんの需要をなんとなく把握しているのですが、間違っても「スキ」の数で記事の価値を推し量るようなことはしません。

むしろ、「スキ」があまりつかない記事の方が、noteに投稿する記事を通して『世の中に価値を提供できているのでは?』とさえ思っています。

なぜなら、毎回大量の「スキ」をなぜかほぼ同数ついているnoteを多々見かけるのですが、そういったnoteを読んでみると『どうでもいいね!』な記事になっているからです。

この先輩noterさんは『noteは江戸時代の五人組制度みたい』とも言っていて面白いのですが、これは「しちゃおじ」が表現するところの『note村の掟』とかなり似ています。

まともな意見を主張してしまうと、note村の五人組制度(相互観察・相互扶助・連帯責任等)を脅かしてしまうので、村の安寧を守るためにも無視か吊し上げの対象になります。

もちろん、こんな極端なことがあるわけないのですが、noteでちょくちょく見聞きするしょーもないトラブルから、こういったことがうっすら存在している事実を垣間見ることができます。

『どうでもいいね!』な記事を書いて自己満足に浸るのも自由ですが、それではクリエイターとしての生命線は途切れてしまいますので、例え「スキ」がつかなくとも、世の中に対して自分の意見・主張を堂々と問いかけ続けることの方がよっぽど価値があると思うのは「しちゃおじ」だけでしょうか?

以上 – 薄々気がついていると思うけどnoteの「スキ」って旧Facebookの「どうでもいいね!」に似てるよね – でした。

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