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【エッセイ】人生の物語は最初から最期まであらかじめ定められていて自我や自由意志では変更できない

人生の物語は最初から最後まであらかじめ定められていて、自我がそれを認識・解釈することで喜怒哀楽・悲喜こもごもを経験している。

だから、例え望まない結果であっても「そのように決まっていた」と淡々と受け流して歩みを進めることが大事で、勝手な解釈をして運勢や自他の判断を恨み苦しむ必要はない。

心が折れるような望まない結果から本質的な何かを学び得ることも、何も学ばないことも「あらかじめ決まっている」ので、無理に意図して反省や努力をしてみてたところで、人生の物語を変えることはできない。

自我は自由意志を信じて疑わないが、その選択に至る条件付けは、遠い過去から現在に渡って、やはり「あらかじめ決まっている」。

他人とは脚本を忠実に演じる役者であって、舞台上で喜怒哀楽・悲喜こもごもを共演してもいいし、舞台から降りて遠目から観察してもいい。

物語の配役(キャスト)に過ぎない他人と自分とを比較して、優越感で心満意足したり劣等感で不平不満になるのも自由だが、そのような経験は脚本を演じている自我によるものであって真我ではない。

自我による喜怒哀楽・悲喜こもごもの経験は、人生の無意味さをごまかしてくれる定期的なイベントであるために、脆く、儚く、虚しくもある。

いわゆる ”引き寄せの法則” を読み漁ってみたところで、自我による欲望が叶わないことも「あらかじめ決まっている」ものであり、人生の舞台(ステージ)によっては、叶わないことへと真我に導かれているのかも知れない。

真我に導かれることも「あらかじめ決まっている」ことであり、主に「人間関係・お金・健康」への執着心・恐怖心が薄れたときに感覚できる。

自我に埋没して人生の表舞台を刹那に駆け抜けてもいいし、真我に導かれて永遠の至福に触れてもいい。

どちらにせよ、人生の物語は最初から最後まであらかじめ定められている。

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以上 –【エッセイ】人生の物語は最初から最期まであらかじめ定められていて自我や自由意志では変更できない – でした。

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