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望まない1人だけの世界は「汚らしい」ものなのか


孤独であることを「受け入れる」というのは至難の業である。

しかし、今僕はどうにか受け入れようとしている。誰もが「孤独」を受け入れているとは言い難いなかで。

声をかけてくれる人がいれば、頻繁でなくても連絡をくれる人がいれば違う。僕の場合は、自分から連絡する、誘う、計画するなどが100%なため「本当の孤独」といってもいい。

僕は、孤独が一番怖い。今でも誰の心にもいない。誰かの心にいれば、今頃僕は、この文章を書いていることもない。鳴らない携帯電話の前で、苦しむこともない。

そして、自分だけが一人である事実を受け入れてしまえば行動に支障がでてしまう。誰もが「孤独」でないにもかかわらず、自分だけが「ひとりぼっち」であることは理解できないことだから。それでも、僕が受け入れようと思うのだ。そうしたら一人ではなくなるかもしれないから。ここまで来たら耐久レースである。僕が耐えらえず壊れるか、友人や恋人に囲まれて笑顔になれるかという究極のサバイバルゲームということだ。


ただ、いまのところ僕は敗北の可能性が高い。


僕は、いくつかSNSを使っている。そこでは、常に一人な僕だから投稿するものも全て”一人だけ”のものである。食事も、お酒も、景色も、全てが「一人だけ」である。しかし、SNSは「恵まれた人」が構築していることが多い。そのため、孤独な人は非難の対象になったり、異物なものに映る。

それが例え、本人が望んだことでなくても、本人が引き起こしたことでなくても同じことである。いうならば、店員さんが一目見ただけでは、ベテランなのか新人なのかわからないぐらいのレベルかもしれない。

ふと、僕が一人で呑んでいる写真を投稿したところ、一通のメッセージが届いた。


あの、シンノスケさんは、いつもネガティブなんですね。
どうして、いつも1人なんですか?


え?自分何か変なことを言っただろうか。
そんなに絡んだこともない人からのメッセージに驚いてしまった。

好きで一人なわけじゃない、いくら声をかけても僕は誘うわれないし、仲間に入れてもらえないだけ。理由も、経験のなさや異質、容姿という努力だけでは解決できないところにあるものなのに。


「こんにちは、いや、どうしてそう思ったんですか?」


「えっと、いつも一人の投稿ばかりなので、基本的にネガティブな方なのかなと思いました・・・」


「あ、そうでしか。自分は基本的に一匹狼なので、すみません汗」


思考がこんがらがってしまっているのもあるが、僕が進んで一人になろうとしているわけでもない。できることをたくさんしても、僕の孤独が変わらなかっただけで、それを表に出すことなく、ただ日々の出来事を投稿しているだけなのに・・・

そして、なぜ謝ってしまったのだろう。

確かに、全員が楽しい毎日かもね。
簡単に、認めてもらえて、愛されて、孤独じゃない。

でも僕は、たまたま違っただけなんだよ。至らないこともあっただろうけど、毎日一人になってしまうことも、自分だけ愛されないことも、僕がどこにも存在していないことにまでなるなんて思いもしなかった。


みんなが経験するようなことを経験していないだけで?

誰も愛されたことがないだけで?

現状を変えたいと闘っただけで?


それを隠して笑って、自分から行動して、何もかも自分からしているのに、隠し切れていないということ?

え・・・。いや、だから一人なのかもしれない。どんなに望んでも、どんなに至らないところを改善しても駄目なのか。


人の思考や視点は、それぞれで異なる。しかし、もしかすると僕が改善しよう、努力しよう、できることから。という思い自体がすでにおかしいことなのかもしれない。

みんなが、しなくてもいいことをしなくてはならない。

その現実が、より孤独を深めてしまうのだとしたら、僕はどうするべきだったの?

動かなければ地獄、動いても地獄。

社会的な立場でもそうなのに、人間関係においてもそうだとしたら、もう何がなんだかわからない。

普通のイベントを普通に経験できなかった。ちゃんと愛されたことが生まれて一度も経験できなかった。確かにそうだけど、僕はそれでもできることをして得られる信じて行動してきた。

でも、生きてきた僕の道そのものが「悲観・忌避」されるものだったら、どうやって得たかったのものを得ればいいのだろうか。


僕は汚らしいということなのだろうか。


でも僕は、この事実も一つずつ受け入れていくことを決めた。もっともっと耐えて乗り越えて封じ込めば、きっと一人ではなくなると信じているから。誰よりも耐えれば一人じゃなくなる。そう自分を信じている。


「あ、でも一人は一人で得られることもあるから、楽しくしてますよ!」


心にもないことを言わなければ、よりスティグマは深まってしまう。

僕は、友達が周りにいて、愛してくれる人がいて、週末は友達と遊んだり学んだり、平日の夜は仕事帰りに恋人と会う。そんな当たり前すぎて、誰もが通り過ぎてしまいそうな日々を夢に描いている。

例え、望まない一人の世界が「汚らしく」思われても

僕が努力し続けるし、耐え抜いて見せる。望まない一人を強制されたからこそ、人の愛がないと人は消えてしまうことに気が付けたから。


夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。