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どんな形でも”一歩”を踏み出すために


泣き面に蜂 踏んだり蹴ったり 弱り目に祟り目 

一難去ってまた一難、ぶっちゃけありえない(プリキュア)

そのようなことで心のキャパシティーを超えてしまった時、あなたはどのような手段を取ろうとするだろうか。


①もう何もかも諦めてしまう

②許せない、許せない、許せない、変わってやる

③ただただ泣いてしまう



どんな形でも踏み出すためには、どの手段を選んでも構わないと思う。

ただ変わるための”一歩”はしんどすぎるものである。

でも、思っているほど難しくないこともたくさんある。
それを見つけ出すのは、強さかもしれないけれど。



苦しみの後には、苦しみがやってくる。
その事実を何度も繰り返したところで「心」は慣れてはくれない。

手を変え品を変えて、絶望的なことはやってくる。

人間は、悲しみで溢れてしまう毎日だとしても生きなければならない。そして、真っ暗な世界にもかかわらず、笑いながら歩く方法を模索しなくてはならない。

理不尽すぎて、不条理すぎて笑えてしまう。

自分以外の人間なんて皆、自分の幸せしか考えていない。
誰かが苦しめば、「自分じゃなくてよかった」と安堵するものである。

全てを失った人が、近くで立ち止まっていたら「己の幸福」を見せつけたくなって、中途半端な友情と揺らぎある幸福を引き換えにして、確固たる幸福にしようとする。

離れていく友の背中を見送りながら流す涙は、自分の苦しみなのか、友の裏切りでなのか分からなくなってしまう。


もう少し笑えていたらよかったのか、もう少しうまくいく人生ならよかったのか、もう少し嘘でも笑っていたらよかったのか、もう少しもう少しだけ強くいられたらよかったのか


その後悔は、自分自身が100%じゃなくても、全てを受け入れなければならなくなってしまう。寝ても覚めても、悲しみで溢れてしまう日々に、何もすることができなってしまう。

僕の場合、あまりにも理不尽さと不条理さで溢れてしまうと、行動せずにいられなくなる特性がある。今回の溢れたことで思ったことは、「これまでできなかったことをしよう、そして受け入れよう」という方向に行ったのだ。

自分がコンプレックスに思っていることを、どうやったらコストをかけずに変わることができるのか、コストをかけるならどの程度必要になるのか。

模索し、実行し、試してみると思いのほかできている自分に気が付く。


これぐらいの予算で解消できたのか、なんでこれを早く試さなかったのだろう、もっと初めからしっかりと計画していたらよかったのか。


そんなことで悲しみを受け取らなければならかったのか。
でも多分、その悲しみを受け取らなければならなかったのだろう。

変わることにも限界がある。なりたい自分になれるとは限らない。

もちろん、人は、その限界なんか知らずに詰め寄ってくる。
ただ自分の限界がわかると、人の言葉の無意味さに気が付く。

杓子定規的な視点でしか語れない人は限界を知らないということに。全体化すればいいと思って、みんなはそう思うと押し付けてくる人も同じである。

限界を知ることはネガティブな意味ではない。


限界を知るということは「自分の良さの最大を知れること」にもなる。


これ以上、綺麗になれないのではなく、これ以上は綺麗にならなくていい。

これ以上、痩せないではなく、これ以上、痩せなくていい。

そんな感じに思えばいいのだと思えてくる。


自分はこれぐらいでいいんだ。これ以上を求めてくる人は、その人自身の限界を知らない人で苦しい人なんだと見えてくる。


もちろん、できることを少しずつやっていくから時間はかかる。

長い間、一人ぼっちかもしれない。

けれど、それも力にすることができたら、誰にも負けない人になれる。

本当にできることは、たくさん、たくさん、たくさん、ある。

限界を知れば、新しいところに目が行って、新しい魅力を作ることもできる。

ポジティブに考えるのではない。自分に寄り添うことができて、他者の頑張りや苦しみを見れる人が、本当のポジティブなのである。

愚痴をいうから、自信がないから、つまらないから

という「誰かの作り上げた歪んだネガティブ像」に惑わされてはいけない。

確かに、踏む出すための一歩が大変だよね。


でも、どんな形であっても”一歩”を踏み出すことができるのなら試してみればいい。それが、一般的に負の感情であっても。僕のように。


許せない


そのエネルギーで変わることができたら丸儲けである。

自分なりの力の出し方で、自分の人生を変えていけばいいのだと。

少しづつ少しづつ。

それでも怖い、苦しい、痛い、悲しい、諦めたい

その心さえも力になる。その感情は、変わるためには必要なのだから。


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