記事一覧
なぜ手を合わせるのか、織田先生のコラムから
名古屋御坊4月号織田先生の記事が心に残ったので転載させて頂きたい
たしかに、もし、合掌がなかったら、私たちは普段気持ちが揺れ動いていることすらわからない。気持ちがコロコロ動いていることすら自覚できない。合掌というのは、何か本当に大切なものと向き合いたいということを表す姿なのである。それを示すことで相手と向き合おうとする自分を表現できる。またそれによって、以下に自分の心がコロコロしているか知れる。
メモ 20240425 『高校生新聞』2024.04.23
メモ 非常に大切な記事であった
自分自身が人を、特定の枠組みで見てしまうこと。
それは裏返せば自分がある枠組みの中で他人から見られようとし、
ある特定の自分を演じて、がんじがらめになることにも通じている。
自分は、自分を生きるのではなく、手っ取り早くブランドが欲しかったのではないか。
ブランドを手っ取り早く得ようとするあさましさは、反転すれば他人を特定の枠組みに嵌めて見ることである。
読んだ本 頭木弘樹『口の立つやつが勝つってことでいいのか』20240423
頭木弘樹さんの新刊がとても面白い。
エッセイなのだが、どの節を読んでも不思議な感覚がある。この人は何か自分の感覚を本当に大切に生きているのだなと感じる。付箋もすごい量になったが、今日は一分だけ紹介したい。
☞本当にこれに尽きるように思う。自分が経験したことは自分独自のことなのに、それに近い知っていることに当てはめてしまう。
そしてカテゴライズすることに満足してしまって、自分が経験したものはあり
『教行信証』の基本の学習①、難しと易し 化身土文類 三経一致結釈
昨日『教行信証』を読んでいたらどうしても読めないなと思う所があった。それは以下の部分である。
信心の海には、入りがたいのであると。なぜかと言えば、仏力より発起するが故にだと。先ず心理論が分からない。普通、仏の力によるから、入りやすいのではないかと思う。
しかし、仏の力によるから入りにくいのだと。ここは他力=簡単というイメージとは逆のことを親鸞は言っているように思う。ここをどう捉えたらいいのか。と
マインドセットの問題
高村峰生先生がおっしゃっておられることが、今までの自分が授業をしてきて感じていた違和感というか、自分が無意識に目をふさいでいることを言い当ててくれていた。たまにこういう言葉に出会うので、ついついSNSを見てしまうので、それも問題なのだが。
何で自分の話は生徒に全く伝わっていない気がするんだろうと思っていたけど、自分の方が生徒に話しかけている体で、実は避けていた。遠ざけていたからだ。自分の方から生
アイデンティティの問題
今日4月14日の毎日新聞を読んでいたら次のような記事が載っていた。
パンにまつわる思い出を募集し、投稿した人のコラムである。
なんだか、読んでいて涙が出た。こういうきょうだいものに弱い。
そして、こういうことをちゃんと覚えている宮沢さんはすごいし、同時にそこで、この弟の行動に心が動かされた宮沢さんは、当時貧しかったと思うが、心は本当に豊かだと思った。
頭が下がるということ。弟の行動に頭を下げる
読んだ本 20240415 同朋2024.4号
今日、月間同朋四月号を読んでいた。その中で、小学校教員の 星野俊樹さんの話がとてもよかった。その中で以下のような詩が紹介されていた。
それに続いて、星野さんは以下のように言う。
非常に大切な言葉である。自分が矢であり、こどもはその弓から生きた矢として放たれる。放たれた後はもう、弓がどうにかできるものではない。言ってみれば人間の大人は、その矢を追いかけまわしてしまうようなところがある。
また「
今日読んだ本 「真宗学の〈解釈と方法〉をめぐる課題」20240415
杉岡先生の講義録を読んでいたら。目から鱗の文章。教行信証の解釈について。創造的解釈というのは恣意的で、勝手気ままな解釈を許すことではないという。勝手気ままで恣意的な解釈ということではなくて「作品それ自身がもっている可能性としての多様性であるというところが大事」。これはとても身につまされる。自分の場合、まさに勝手気ままで、恣意的な解釈ではないか。一方で、教行信証をもっと、一般の方たちにも開いていかな
もっとみる読んだ本 『共生の大地』20240214
幡谷先生の『共生の大地』を読んでいる。すごく大切なことが沢山書かれている。この本も、何度も読み返したい本である。
ありがたいと言っても、最初からありがたいのではない。本当に有難いとはどういうことか、考えるヒントをいただく。
また広瀬先生は、命というものが四つの規制の下にあるといわれたという。
それは一回性、単独性、無常性、有限性。
これも私たちは当たり前のように思っているが、あらためて考えると
名言:「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.
チャールズ・チャップリン。
►この言葉は非常に普遍性を持つと思う。
化身土の問題で考えてみるべきテーマ
「孤独という罰」
大江憲成先生の本を手がかりに
本当の利益とは~自重存在~
安田理深先生の『存在の故郷 浄土』を読んでいる。難しいが何か本当に大切な問題、人間の根本問題を直接掘っているという事を感じる。教養や知識とは一線を画す鋭い言葉である。
「自分が尊いということは自慢ではない。自重である。威張るのではない。人間の境遇を得たことが、かたじけないということである。」
本当にそうだよな、宗教心に目覚めるということは、もう自慢する必要がなくなるということだ。威張る必要がなく