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あなたに探してほしいもの。


こんにちは、今日もお疲れ様です。結城りんねです。


最近、巷で話題の「会食恐怖症」。
僕はこの言葉を知った時、長年の苦しみが報われたような気持ちになりました。

僕が抱えていた地獄に名前が与えられ、やっとその存在が認められた気分になったんです。

僕はいつからか、人との食事となると、到底無視できないほどの緊張感を持つようになりました。

誰かと食事をともにすると、自分でも信じられないほど食べることができなくなるからです。

その日のコンディションにもよるんですが、基本的に友達以上の距離感がある相手との食事はうまくいかないことが多いです。

実際僕の身にどんなことが起きているのでしょうか。説明していきます。

まず、前提として胃の中は空っぽの状態です。でも、人との食事であると認識した時点で空腹は感じなくなります。

その状態で料理が目の前に運ばれ、口に入れて咀嚼を始めます。ここで第一にして最大とも言える問題が設定されています。

唾液が出ない

噛んでも噛んでも口の中の食べ物は、嚥下に適した形態を取ってくれません。

噛み砕くことである程度細かくすることはできますが、いかんせん水分が足りていません。パッサパサです。

これが食べ物の嚥下の難しさに大きく寄与します。

なんとか飲み込もうと試みるわけですが、なにか食道の下部あたりにそれが留まってしまっているような、つっかえ感のようなものを感じます。

これを繰り返していくと、どんどんこの食道の下部あたりに食べ物が溜まっていくような感覚があり、それが一向に胃に下りていってくれません。

これが結局、耐え難い吐き気を引き起こしていくわけです。

吐き気がし始めたら試合終了です。

実際に吐いてしまうか、かなり時間を置かなければこの吐き気は消えることはありません。

そして、この吐き気はおそらくみなさんが想像するより壮絶なものです。満腹の状態で逆さ吊りにされぐるぐると回されているような感覚です。

大体2割ほど食べ進めた辺りでこの状態になります。
なお、かなり無理して2割まで食べ進めています。

ここまでお話しした通り、明らかに身体が食事を拒んでいます。

唾液は一向に供給されず極端に水分不足な食べ物を胃まで運ぶことに、食道はあまりにも消極的です。

これがおそらく「会食恐怖症」である僕の身に起こっていることの全貌です。


では、なぜこんなことが起こるのでしょうか。次はその原因について考えていきます。

これについてですが、実はある程度見当はついています。

平たく言えば「不安」、厳かに言えば「恐怖」からくるものです。

具体的にどういう不安かというと、時間内に食べ切れるか(みんなと同じようなペースで食べ切れるか)、残さず食べ切れるか。この2つです。

これらの不安がある意味、トラウマレベルで僕の脳裏に焼き付いているため、さっき言ったような弊害が起こってしまうわけですね。

では、このトラウマのきっかけについて見ていきましょう。

僕は小学校の頃、給食を食べるのがとても遅い子供でした。毎日昼休みを給食の完食を目指すことに費やし、結局完食できないことも多かったんです。

それもかなり辛かったですが、修学旅行や宿泊学習などの場でもその遅食いは遺憾無く発揮され、そういう場では(遠慮なくネガティブに捉えれば)学年での晒し者のような気分を味わうことになりました。

これが自分の想像以上に根深い傷となって残っているようで、今でもそれに悩まされています。

成長期に入ると、この壊滅的な遅食いはある程度落ち着き、時間内に給食を食べ切ることもできるようになりました。

それで安心していたんですが、少し緊張感のある場での食事では小学生時代のトラウマが呼び起こされ、全く食べられないようなことが起こるようになりました。

そんな僕は今、ソロ食、または家族か気の置けない彼女との食事以外ではうまく食事を取れない状況になっています。

どうでしょう。

まあこれはあくまでも僕の個人的なケースであることは間違いありません。

「会食恐怖症」といってもそのきっかけや症状は様々で、容易に一般化できるようなものではないでしょう。

ただ、僕が言いたいのは、とにかくこの「会食恐怖症」という言葉の存在にすごく救われたということです。

こういう症状なんて絶対自分だけにあるものだし、口で説明しづらいし、ずっと1人で抱えていくべきものなんだろうと思っていました。

でも、具体的な症状は違えど同じような悩みを持つ人はたくさんいて、それが社会的に輪郭を持ち、言及可能な事象になったことがとても僕の心を軽くしてくれました。

SNSの発達によって、どうしても言葉にしづらかった、外に出せなかった地獄を、かなり自分に近い感覚を持つ人同士で共有できるというのは本当にありがたいことだし、自分の中のいろんなモヤモヤに形を与えて取り出すことができる。これは本当に大切なことだと思うんです。

僕は思うんですが、自分の中にある揺るぎない思い(ポジティブなものでもネガティブなものでも)はなるべく外に出していって、真剣に仲間を探していかないといけない気がします。

仲間を探すことに手を抜いてはいけない。絶対に。それがあえて大きく言えば、生きる意味なのではないかと思うんです。

あなたの中にあるどんな喜びもどんな苦しみもあなただけのものにする必要はないはずです。

あなたらしくいるために、必ずしも1人にならなくていいです。あなたらしくいられる仲間がいれば、あなたらしくいられる力がより大きくなると思いませんか。

そう熱く訴えかけて終わろうと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます!


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