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ウクライナ人の目の前で「戦争は絶対悪」を説く違和感

先日、NHKの報道特集において、ある高校生が主催した「ウクライナの学生と戦争を無くすための議論をしようぜ」的な趣旨のイベントが紹介された。
特集の中で紹介されていたのはそのごく一部であったため、全体としてどのような議論が交わされたのかは分からないものの、その切り出された質疑の一部分がひどく違和感を覚えるものだった。

Q.日本人学生:ウクライナに物資を供給して欲しいという話で、物資の中でも、特に武器を供給したら、いつまで経っても戦争は終わらないと思うのですが…?
A.ウクライナ人学生:武器の供給は必要。装備がないとウクライナの民間人は死んでしまう。
Q.最初の質問者:…何て言ったらいいか分からないんですが………戦争って一筋縄ではいかないんだなと…

動画内の質疑より

質問者は、どういう神経で同世代のウクライナ人を目の前にしてその質問をぶつけたのかは分からないが、質問に答えたウクライナ人学生は内心「何言ってんだコイツ」と思ったことだろう。
自分の祖国が今リアルタイムに攻撃され、連行され、暴行され、強姦され、拷問され、虐殺されている現実に直面している人を目の前にして、「あなたたちに武器を供給しなければ戦争は終わる」という支離滅裂な理論をぶつけるのは、非礼極まりないというか、そのような状況に直面しているウクライナ人を踏みにじる言葉だということが彼女には想像できなかったのだろうか?

ナレーター:様々な意見が出ましたが、戦争を無くすための答えは導き出せませんでした。

主催者:「戦争を繰り返さないようにしよう」と皆同じことを言っているが、結局繰り返してしまう…

この主催者の学生は、誰に対して言っているのだろうか?

ウクライナは、決して戦争を望んでいたのではない。
彼らも私たちと同様に恒久的な平和を望んでいたが、そこに隣の大国が武力を行使して侵略してきたため、愛する故郷、家族、子供、友人、隣人を守るため、そして失われた平和を取り戻し、破壊された村や街を復興させるためにも、今は武器を取って立ち上がらなければならないのだ。
そんな現実に今まさに対処しているウクライナ人に対して、長いこと戦争というものを知らない国の学生たちから上から目線で「ぼくたち、わたしたちのかんがえるへいわろん」という実態と乖離した理想論をぶつけたところで、議論の着地点など見いだせる筈がないのだ。

で、そのカンファレンスの後彼らはウクライナ人を引率して広島の原爆ドームに行き、広島の学生たちとともに原爆の恐ろしさを説いて聞かせたというが…そんなの今まさに戦火の最中にいるウクライナ人が一番分かっているのではないだろうか?
広島・長崎と違い核は落とされていないものの、ロシアの焼夷弾やミサイルによって多くの人が生きたまま焼かれ、崩れたビルやショッピングモールの下敷きになって亡くなっている。
実際にロシアの戦術核の脅威にも晒されている。
わざわざ広島まで連れて行かれてまでそんなこと教えられなくても、自分たちが一番よく分かっているのだ。

この企画、根本的な趣旨から誤っていると言わざるを得ない。
結局のところ彼らは「唯一の被爆国であり、平和憲法を持つ日本が戦争廃絶を訴える」というメッセージを、ロシア侵攻の被害者であるウクライナ人を利用して発信したいという意図に終始しており、端っから「戦争は絶対悪」というスタンスで既に答えも決まっている故に、今まさに戦火に晒されているウクライナ人に対しても上から目線で「不戦的平和論」というレトリックを平気でぶつけてしまうのだ。

むしろ自分たちがウクライナから学ばないといけないのではないだろうか?
我が国は長らく戦争というものを経験していない、その世代が二世代、三世代まで及んでいる中、中国・ロシアという侵略国家の脅威に晒され、北朝鮮からはミサイルで脅迫されている。
現実的な侵攻に対する備え、なぜ戦わざるを得ないのか、有事に際して必要なリソースは何か、どんな人材が国に残って何に対処しなければならないのか、など。
ウクライナの人々から学ばないといけないことは山ほどあるはずなのだ。

我が国は防衛費も乏しい上に、中国の侵攻に際して使用可能な弾薬の備蓄も著しく不足しているという。
正直言って、現実的な脅威に対する備えが不足していることは認めざるを得ないのだ。
いい加減現実から乖離した理想論から脱却し、実情に即した備えと、実践的な対処方法を議論しないと、いずれ我が国にとって取り返しのつかないことになってしまう。

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