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信用とはなにか。

先日、後輩に「信用って何だと思いますか?」と問われた。

私は「社会システムの一つだ」と答えた。

「人は皆知らず知らずのうちに人を信用しているものだ。駅に行けば電車に乗れるだろう、ダイヤの時刻通りに電車は到着するだろう、各駅停車は各駅に停まるだろう、青信号で横断歩道を渡れば車は突っ込んでこないだろう、前から歩いて来る人は自分を避けて通るだろう、など。そして、自分の予測通りに物事が進まなければ、”何で電車が来ないんだ!”だの、”何で赤なのに進んで来るんだ!”だの不満を述べる。しかし、他人が自分の信用に答えてくれる絶対的保証が一体どこにあるというのか。

他人の信用を裏切ることなど簡単なのだ。運転者は腕一本、脚一本で信号無視ができるのだ。前から歩いて来る人にぶつかることもできるのだ。多くの人がこれを実行しないのは、これもまた何かを信用しているからだ。赤信号の次は青信号だから待っていればいいだろう、信号無視をした場合は警察に捕まるだろう、仕事を辞めさせられるだろう、人に迷惑をかけた場合は自分にも悪いことが降りかかるだろう、と。

私には、信用が社会を成り立たせているように見える。そしてまた同時に、信用による被害も一部では発生していると考えている。

2分後に大地震が起きるかもしれない、突然刃物を持った人が襲いかかって来るかもしれない、駅のホームで後ろの人に突き飛ばされるかもしれない、便器の蓋を開けたら人の頭が入っているかもしれない。こうしたことは起こり得ないと、誰が断言できようか。

過去の出来事の蓄積から他人を信用するのであれば、同じように過去の出来事の蓄積から他人を信用しないことも学ぶべきではなかろうか。」

私がこの記事で書きたいことは、盲目的に信じるのは良くないということではない。己の五感をしっかり使い、人や物事を見極める術を養うことが肝要であるということだ。

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