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徳育とは真善美の探究

1)徳育の取り組み


「人として本来あるべき正しい姿」は「真善美」という言葉が最もふさわしいと思います。

早いもので徳育という時間をはじめて今年で17年になります。

最初は数人の生徒とはじめた徳育の時間もトライアルアンドエラーを繰り返し、さまざまな角度から徳目を学ぶ時間をコツコツと積み上げてきました。

本校が母校である私は、高校時代に創立者自ら講義する「実践倫理」の時間を受けることができました。
その学びをベースとして「徳育」という探求をこれからも続けていきたいと思います。

徳育とは、道徳とも道念(道徳を重んじる心、道義心)とも表現され、人として本来あるべき正しい姿を探求し、その意識を養っていく学びと捉えています。

文部科学省のHPでは徳育を次のように説明しています。

徳育「社会(その国、その時代)が理想とする人間像を目指して行われる人格形成」の営みであり、幅広い知識と教養、豊かな情操と道徳心、健やかな身体をはぐくむという、知・徳・体の調和ある人格の完成を目指す教育根幹を担うものである。

文部科学省HP(徳育の目的)より

遠い祖先の時代から家族や集団、社会において、他者を思いやる利他に満ちた美しい「真善美」の姿が、さまざまな習慣や儀礼を通して共通認識として醸成されてきました。その生き方を次世代に繋いでいくことが徳育の役割だと思います。


2)真善美とは

「真善美」とは、人が生きていく上で最も理想的な姿を3つの言葉でシンプルに具現化した表現と言われています。

①「真」(Truth)―

嘘偽りのない真実。本物(偽物ではない)。純粋で混じりけがない。純真。
反対は「偽」。

②「善」(Goodness)―

道理にそった正しいこと。徳目良心のある善良なふるまい。最善。
反対は「悪」。

③「美」(Beauty)―

姿・形・色彩が美しいこと。非常に立派で人を感動させること。優美。
反対は「醜」。

一昨日、訃報がもたらされた稲盛和夫先生「真善美」の大切さについて次のように説明されています。

「人間は真・善・美にあこがれずにはいられない存在ですが、それは、心のまん中にその真・善・美そのものを備えた、すばらしい真我があるからにほかなりません。あらかじめ心の中に備えられているものであるから、私たちはそれを求めてやまないのです」

稲盛和夫『生き方』より

人は「偽」「悪」「醜」というものに不快感を抱きます。
稲盛先生がおっしゃるように、人には本質的に心の奥にある深層意識の中に「真善美」が内在していると信じます。
だから「真善美」に触れると共鳴を起こし感動が生まれるのでしょう。

偽りのない「真」、道理に基づいた「善」、感動するような「美」の調和した生き方が、徳育の目指す理想の姿、人格の完成に向かうことだと思います。


3)人は人の姿から学ぶ


小学生の時、よく「偉人伝」を図書室で借りて読んでいました。
そのストーリーに触れて「立派な人がいるなぁ」と感動したことを覚えています。

偉人のエピソード芸術家、アスリートの姿や言葉にインスピレーションを感じる人は多いと思います。

話を聞いた時、本を読んだ時、さまざまな人に接した時に学びが生まれます。
「人は人の姿からしか学べない」とも言われます。

書物に触れるのも良いでしょう。
興味のある偉人芸術家、アスリートについてインターネットで調べるのもいいでしょう。その際は、溢れるビッグデータの中から、自分が美しいと感じる情報を選ぶことがポイントです。

自分が取り組むスポーツ芸術、趣味などの分野で活躍する人のから学ぶのも良いと思います。

大切なことは自分が美しいと感じる真善美を実践する人の姿に触れることです。
その積み重ねが人格形成に大きな影響を与えます。


まとめ


気持ちの良い挨拶を交わすこと。
誰も見ていないところで落ちているゴミを拾うこと。
困っている人に手を差し伸べること。
心をこめて「ありがとう」と感謝の言葉をおくること。

何気ない日常の中からも、ささやかな「感動」が生まれます。
その感動が心に潤いをもたらし、自分の中の「真善美」を育んでくれるでしょう。

大人の責務として、子どもたちの中に「真善美」が芽吹くように、多くの人に共感される美しい行動美しい言動を心掛けたいと思います。

そして「徳育」探求が、心を揺り動かされる「美徳」探求へと進化を遂げることができるようにがんばっていきたいと思います。


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