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「泣くな道真 大宰府の詩」 澤田瞳子


「貧者を救うのは、官でも御仏でもない。人だ。」



「泣くな道真 大宰府の詩」 澤田瞳子



クワバラ クワバラ


大きな雷の音が鳴ったとき


あるいは


雷除けのおまじないを唱えるとき


「クワバラ クワバラ」と思わず口からこぼれ出たことはないでしょうか?


漢字では、桑原と書きます。


「なぜこのようなおまじないをするのか?」と言うと、諸説あるようですが、有名なものでは菅原道真の祟り説があります。


930年、平安京の清涼殿 に雷が直撃して、朝廷の多くの人が亡くなりました。


人々は言います。


これは太宰府に左遷されて2年後に亡くなった菅原道真の祟りであると。


それからも、いろんなところで落雷がありました。


しかし


道真の領地であった桑原には雷が落ちませんでした。


そうしたことから「クワバラ、クワバラ」が雷除けのおまじないとして、今でも残っているんですね。


また


良くない悪いことを避けたいときにも、この「クワバラ クワバラ」を呟くようになったということです。


そんな「学問の神様」であり、「怨霊伝説」のある菅原道真。


史実では宇多天皇に重用され、醍醐朝で右大臣になった菅原道真。


しかし


そのときの左大臣・藤原時平の讒言で大宰府へと左遷されます。その2年後に道真は亡くなりました。


この物語は、道真が大宰府に流されてきたところからはじまります。


「おぬしら、甘言を弄して、わしをどこぞで謀殺するつもりじゃな。ええい、その手は食わぬ。放せ、放せ」


「あれっ、この人が学問の神様なの?」


想像していた菅原道真像はあっという間に崩れ去り、とても人間味のある道真が目の前にあらわれました。


陥れられ、嘆き、恨みをもち、悲嘆にくれる道真。


「この状況をどうにかできないものか?」と、道真の世話役に白羽の矢を立てられたのが、「うたたね殿」と渾名をつけられた龍野保積。


やる気がなく、その日暮らしの冷え切った務めを行っていた保積でしたが、道真の傍で仕えるようになってから、しだいに体温を取り戻していきます。


もう一人、道真と大きく関わったのが京都から大宰府に流れてきた小野恬子 (しずこ)。


京の暮らしに厭世感を覚えた恬子もまた、道真と同じ境遇だと感じていました。(物語の最後に恬子の正体がわかります。)


道真の屋敷を訪ねる恬子 。


(これがあの菅原道真公・・・・・・)


恬子は道真の屋敷に行く道中、顔なじみの唐物商に「墨」を強引に手渡されていました。


そして


屋敷でその「墨」を見るなり、道真は非常に希少で高価なものだと見抜くのです。


大宰府に来てから、何もやる気を失せていた道真。


それが、希少品にとても興味を示したので、 恬子は博多津の唐物商のもとへと道真を連れ出します。


恬子の予想通り、唐の書物や骨董品に興味津々の道真。


やがて


唐物商の書物や骨董の目利き役になり、活気を取り戻していきます。と、ここまではよかったのですが、道真の唐物への執着が酷いものになっていくのです。


橘花斎(唐物商)で働き始めて二ヵ月弱、道真はその間に得た給金をすべて唐物や書籍につぎ込んでいる。


そして保積に


「大至急、銭が要るのじゃ。長年大宝で十貫(約百万円)何とか都合してくれぬか」


と、道真は言いました。


「それで今度は、如何なる珍品でございます」


保積は、道真に聞き返します。


それは、入荷したばかりの「阿弥陀如来画像」だと道真は言いました。


その画を明瓊寺(めいけいじ)の住持が見つけて、買っていったのだといいます。その稀覯品を買い戻すために、二人は明瓊寺に押しかけます。


二人は明瓊寺で見たその光景に、驚きました。


なんと


明瓊寺の僧・泰成は、死を前に臥している老人の枕上に「阿弥陀如来像」を掲げていたのです。


家族に捨てられ、叢(くさむら)で死ぬ人はこの時代にはたくさんいました。野犬に襲われ鳥獣の餌となる者も多いのです。


泰成はそのような老人を見捨てることができず、老人の最期を看取っていました。


「だからこそおぬしは、この者に仏画を拝ませようと考えたのか」


と道真は、泰成に言いました。


「ふん、こんな奴らに、御仏のありがたさはわからんさ。だいたい極楽浄土なんてものが、本当にあるかどうかも知れん。

だけどこいつは汚辱と苦しみに塗(まみ)れたこの世で這い廻り、いい事なんか何一つないままくたばってゆく。拙僧はそんな奴に一つだけ、本当に美しいものを見せてやっただけだ」


そして


「貧者を救うのは、官でも御仏でもない。人だ。」


と泰成は言いました。


道真は思います。


「・・・・・・わしはいったい何を見、何のために学識を積んできたのであろう」


邸宅に戻った道真に悲劇が起こります。最愛の息子が不慮の事故にあって亡くなったのです。


道真は塞ぎこみます。


「わしが学んできたことも、努めてきた政も、世の苦しみの前には、何の役にも立たぬではないか」


保積は、大声を張り上げました。


「お言葉、確かにごもっともでございます。ですが━ですが、道真さまのお力をお借りせねばならぬことも、この大宰府にはあるのでございます」


そして


「道真さまのそのお目を、府庫の欠損を埋めるのにお貸しいただけませぬか。


と保積は言いました。


「府庫の欠損だと」


道真は保積を問いただしました。


それはある日、龍野保積が大宰府庁に立ち寄った時のことです。


山のような巻子を抱えた保積の息子・三緒とすれ違いました。なぜか三緒の顔には狼狽の色が滲んでいました。


忙しいからと急いで立ち去った三緒の手にしていた巻子には「昌泰二年大宰府正税帳」と書かれています。


保積は提出期限がひと月を切った今頃、正税帳を何巻も持ち運んでいることに疑問を持ちました。「何かあったのではないか?」と推察します。


そこに両手を縛られた男が、駆け出してきます。


恬子の兄の葛根が追いかけてきて、男を蹴り上げました。


その男は大帳司の豊原清友でした。


理由を聞くと


三年余りも正税帳を改竄して、その差額を自身の懐に入れていたというのです。


道真は保積に言います。

「要はわしに、清友なる算師が使い込んだ銭を補填せよというのじゃな」


道真には、ある秘策がありました。


それは、政敵への復讐だったのです。


その秘策とは!?


道真は怨霊ではなく、祟りでもなく〝人〟として政敵へリベンジします。


「やられたらやり返す!」


雷神のごとく、学問の神のごとく、置かれた場所で咲いた人間・菅原道真の意趣返しとはいかに!



【出典】

「泣くな道真 大宰府の詩」 澤田瞳子 集英社


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