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内向的な人の社会への関わり方

近所の人達と会えば必ず挨拶をしているし、子供が自転車で曲がり切れずに近所の人のガラスを割って逃げてしまった時に片付けを手伝ったり、猫が脱走した時に一緒に探したり、自然に手助けとか利他的な事はしている。

今年度は自治会町内会が3班まであって1つの班長をお願いされたから務めているし、予測するに来年か近い内に3班全ての会長をとお願いされるのでは?と思っている。
自治会町内会はPTAのように形骸化してもいるから、特に子育て最中の家庭は辞める事も多い。最初から入らない選択をする家庭もある。僕個人もあんまり意味が無いかな?と思って嫌になったらすぐ辞めてしまおうとも思っていたけど、こんなご時世であるから入ったままでもいいかな?と思うようにもなった。そんなにする事はないしね。
ただ行政がやる事を自治会町内会が時に自費でとの流れもある、任意で賛同しなければ流れるけど。

9月にも利用しているお店のコミュニティに新規で入ってみた。基本的に地元重視で、それ以外は保留や随時気になれば、かな?
片道1時間以内でも遠出感覚だったり、時間やお金も掛かり特に参加費が高いと、人混みや電車なども昔のように対人恐怖症とかパニック障害的なものはもう無いけど疲れはするし。

よそ行きモードの時は、膜というかバリアというかを張っている感じで、感受し過ぎないように抑制している事が多いから、大抵の人とはそつなく対話が出来ている。
だから躁鬱のような浮き沈みの感情が出るのはプライベートな自宅のみで(ネット経由の方が悲惨な事件事故が多いからかな)、それがそのままnoteなどに記されている事が結構ある 笑。
元々、吐き出し的に使っていたところが大きいのもあるからかな?ただ同系統な人達が他の人達から誤解を招くような発言もあるように思った、ごめんなさい。
僕としては例えば日本人という分類の中にも様々な人がいるよねと思いつつ、僕が嫌いな全体主義や同調圧力をしてくる人達の中にも様々な人がいるよねとも思った。難しい。


コロナ情勢以前は残りの人生は余生だと思い、老荘や菜根譚の影響もあって減らしていって隠者のように過ごしていこうと思っていた。

妻とは晩婚で自然妊娠は起きず(共に精子卵子に異常は無かった)、負担の少ない不妊治療はしたけど授からず、過度な不妊治療は気負いによって願望が成就されなかった場合の反動を事前に考慮していたのでしなかった。
諦めたら自然妊娠して、でも稽留流産となり、稽留流産の手術や妊娠中の妻の様子が辛そうであり、まだ存在していない子供より既に存在している妻の方が遥かに大事なので子供を完全に諦めた、僕の方が妻より子供を望んでいた事もある。

自分に実子がいない事や生い立ちの影響もあってか、政治社会問題でよく子供達のためにと言われていたが、僕にとってはピンとこないままだった。最近、子供を護るは純粋性を護る?とも思いはした。

コロナ情勢によって全体主義や同調圧力を強く感じるようになり、過去の嫌な思いをぶり返してしまったり、何かをしなくてはいけない強迫観念のような気持ちがあり続けるようにもなった。

また僕は基本的に内向的で少数や単独行動が好きな個人主義で、好奇心探究心が湧くと外向的になるといった傾向だから、社会的に何かというのも億劫に感じているし、社会的に成功したいとも思わないし、コロナ以前は「あるがまま(自由気儘)」も「成功(隠者的平穏、社会的に成功しない事が成功)」も目標が達していたから、私的には世界情勢に邪魔された感じが強い。


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