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性器割礼✂民族浄化🏹一夫多妻👪 価値観、文化の違い

※初めに
開いていただきありがとうございます。
性的被害の表現を一部必要とします。なんらかのトラウマ、被害に遭われた方、そんなナイーブな部分に抵抗がある方は読まないでください。

ただ、世界各地には深刻な性被害の歴史が刻まれているということを発信したく筆を執りました。

一般てきに報道される範囲では

・こんな風習がある
非人道的
・こういった文化

という、末期的な範囲での発信で留まることが多く「なぜ?」と疑問に思う人はわたしだけでしょうか・・・

なぜそんな「風習が?」
なぜ
そんな「儀式をするの?」
なぜ
そんな「報道の仕方をするの?」

なぜがいっぱいです。

各メディア、情報発信というのは取材元、世間体、情報の潔癖性(コンプライアンス)などがどうしても関係してくると思います。

なのでそこをとやかく言うつもりはありません。
あらゆる柵(しがらみ)があるのも当然ですし大変ですよね。

そういった否定的な意味ではなく、物事とはいろんな過程と因果の結果であり、原因と現実的な残酷性まで伝わってはじめて「理解」といえるのではないかと思った次第であります。


割礼

割礼とは一般的には男性の「包茎手術」のようなものとされています。

割礼の最古、起源とされているのは古代エジプト、紀元前2000年前、王の墓の壁画に「割礼」シーンであるとされる絵があったそうです。
一説には包皮内に砂や虫が入りこまないような予防として行っていたとか。

ここでは

「女性割礼」

現在でもアフリカの30ヵ国でおこなわれている女性器切除について考察を綴らせていただきます。

映画では「グリーン・インフェルノ」
監督 イーライ・ロス
「食人族」のリブート作品で有名です。

この作品を見た人であればみなさんご存じかと思います。

では、なぜこのような「通過儀礼」があるのか。

さすがに無いとは思いますが、もしかするといま現在の部族の人たちもなぜこのような儀式をしているのかも解らずに、だたの習慣、ルールとして無思考で行っている可能性もあります。

そもそもわたしたち日本の儀式、神輿や祭り、定例行事も本当の意味や役割を理解しながら行っている人は、いったいどれほどいるのでしょうか。

現地に取材を行って情報を集めても「そういう文化だ」としか回答がないということも考えられます。
なので、一般的報道も裏がとれずに「このような文化」としか言いようがないという結果が物語っているのかもしれません。

もう一つは「事実を語っていはいけない」という暗黙のルールもある場合があります。それは

『犯されて病気やウイルスに感染してしまう』

Wikipedia引用

病気、ウイルス

世界中の先進国、日本も例外なく医学知識がなかった時代ではナゾの病死、厄災は「呪い」「祟り」とされてきました。

それはまだ近代化が進んでいない現在の奥地、部族でもおなじなのは当然かと推測できます。

現代でも多くのボランティア団体、有名な組織では「国境なき医師団」
などが活動されています。

地域により様々ですが、現地の「シャーマン」の影響が大きすぎていたり、西洋の医者が原住民の信頼を得ることができずに、医学や教育支援ができない地域も存在しているのも事実です。

なかにはうまく融合している部族もいて、基本的にはシャーマンに頼るのですがシャーマンにも治せない病気の場合は、西洋の医学の抗生物質やワクチン、猛毒のヘビや蜘蛛などの解毒剤だけは頼るといった場合もあるそうです。

そんな昔から現代にかけ、細菌やウイルスの認識がない地域で、部族間抗争や侵略、道具としてのあつかいで”性暴力”に遭う現地女性たちの被害者は、HIVエボラマラリアが盛んな地域であるアフリカでは物理的にも深刻で命に係わる一触即発な問題なのです。

我々の現代医学では、例えば「梅毒」に感染したとしても抗生物質にて治療ができます。なんらかの対処が可能な我々の文化と、奥地などでは感染=死を意味する文化では事の重大さが全く違います。

これらの感覚が、特に日本人には深く理解が難しいポイントとなってしまっています。

アメリカや中国、ロシアといった広大な土地な”だけ”ですら、近くの専門病院には車で数日間かけていかなくてはならない地域も存在しているのですから。

コロナ禍の時、海外の一部ではマスク不要論、自己責任論、自己免疫派が多発しているのも、そもそも治療費が高いのもありますが広いというだけのデメリットも関係しています。

熱や疲労の中、何日もかけて病院へ行き、注射一本、薬一錠、というのもバカらしく、診てくれるだけでもまだマシで、門前払いや国のルールや病院の都合で診察すらされないなんてことも・・・

なので、比較的に病院を毛嫌いし自分で治すという感覚+自由主義が先行してしまうのです。
これも狭くて便利な日本ではパッとイメージしにくいので、つい「無責任」「自己中」と思ってしまいます。



過疎地域では自分達の命だけでなく、部族全滅もありえるウイルスという「呪い」を未然に防ぎつつ、女性自身の安全と将来、その子孫まで守るための対策ではないでしょうか。

もちろん「検査キット」なんて物はそこらにはありません。なので処女でないと危険なリスクがあり、女性自身も、性の快楽に目覚めさせるわけにもいかないというのが堅実的で、「割礼儀式」が現実的におこなえる対処法だったかと思われます。

必ず、現地取材に行く取材陣に女性がいる場合、夜の外出は絶対禁止です。娯楽などが少ない場所では性行為、大麻、狩りなどが最大の娯楽です。
他部族でなくても、取材している当部族でさえ安全とは言いきれません。高確率で”集団性暴力”されるそうです。
まるで人形遊びのように…

このような「事実」を、情報発信の「潔癖性」な部分を侵してまで報道させるわけにもいかないでしょうし、現地の長老、有識者たちもハッキリとは言えないことかもしれません。

もしかしてですが、現地の女性の大半が割礼を施されていて(自分が属している部族の全女性という意味も含め)男性も結婚するまで性行為ができず、性のフラストレーションが部族の全男性に溜まり、外部の女性なら割礼を施していないのも知っていての犯行かもという懸念もあります。

性暴力、民族浄化

世界中の戦争地、抗争地には必ず「民族浄化」というシステムが存在します。この習慣は、侵略した土地の女性は必ず「性暴力」されるというものです。

これも多くの作品や報道では、まるで男性兵士のうっぷん晴らしや精気を養うような言い方をしていることが多いです。もちろん、そのような一面がないとは言い切りません。楽しんでいるような最低な兵士もきっといるでしょう。

このシステムの表向きな作戦は

侵略した土地、種族の女性に自国の種を撒きその子供を産ませて完全に降伏させる。争い相手側の男性の士気を落とす。種族、部族、民族の結束を揺るがせる。

といった、まさに「民族を浄化する」といった趣旨が目的です。

ただ、それだけではなかったと考察します。
侵略する目的としては、その土地が必要だっただけではありません。
侵略側の自分達”だけが”争いを遠ざける「緩衝地」そしてその前線で戦ってくれる「奴隷という名の兵士」が必要だからです。

なので、「民族消化」ではなく「民族浄化」なのです。
そこで生まれた子や部族はりっぱな「奴隷兵士」にならなくてはいけなくて、お互いの「ウイルス」「菌」でどちらか、もしくは両方が全滅しては意味がありません。

なので、兵士の”ご褒美”という名目で、原住民との「体液交換」を現地で行い、一時的にその場で野営します。原住民および兵士たちに異常がないかどうかを見極めるためです。

そんな趣旨を理解している兵士がいたかどうかもわかりませんが、目が血走りながら、命がけで絶望の表情で現地の女性を性暴力をしているカットがある映画なども多くあります。

もちろん前線での命がけの戦いは精神面でも尋常ではないほどのストレスと絶望感だと思います。そんな自国兵士たちの精神解消要素と、相手側の精神的攻撃、そして武器弾薬や兵士の消耗をさけた効率的な作戦だったこともあり、長きにわたり実用していたのだと思われます。

※補足ですが、日本兵はどのような戦場でもこの「民族浄化」は命令していないのです。個人レベルで欲望のままな人もいたかもしれませんが、そのような勝手なことをした場合は逆にその兵士はきつい罰則もありました。

世界的に開国が遅く、侵略されなかったこともあり民族浄化をしても逆に日本人に免疫がない菌やウイルスをもらうというデメリット面しかなかっただけかもしれませんが、でもこのような効率だけを意識した作戦や非人道的な行為をしていない同じ日本人であることに少し「誇り」に思いませんでしょうか。

このような習慣、風習が太古から定着していて、近代や現代では有識者たちの「黙認」若者のあいだでは「当然」という振る舞い文化が陸続きの国、土地では定着および、先進国での常識の感覚では人間性の欠如と思われる事態になっているのではないでしょうか。

それらからの脅威、保身、そして、その娘の将来のためにも必要儀礼なのかもしれません。

現地で処女しか嫁入りできないというのも、ウイルスという呪いにかかるリスクを回避するためであり、けっしてロリコンだとか、元カレへの嫉妬心だといった低俗的な意味合いではないと思われます。

一夫多妻

上記のいきさつを踏まえた上で、現地や昔というのは女性一人身で生活していくということ自体が困難であり、いかに危険かというのが分かったと思います。

狩りや収穫といった遠征ができず、部族内、室内での生活を余儀なくされています。

現地の案内人も、部族の女性や子供にはけっして話しかけないように、と口を酸っぱく指示されます。この理由も、上記を考えれば当然であり、女性と接触する=侵略の証となるからです。

そこでこの「一夫多妻制」
先進国では考えられない文化だと感じている方も多いのではないでしょうか。
我々のいまの文化、感覚ではそうでしょう。

しかし、同じように現地の環境、状況を考えてみると一夫多妻であればあるほど素晴らしいのです。昔の日本も世界各国でも同じです。

部族の権力者であろうが、現代社会に馴染み先進国との貿易にて成功をしている現地のお金持ちであろうが、一人でも多くの女性と子供を安心、安全に守っているという証拠なのです。

すぐに性暴力が行われ、治療が不可能なウイルスの感染、薬剤さえあれば治療が可能な細菌でさえ治療できない現地で、女性の自由と権利を主張することの方が残酷であり、無責任な思考と発言になり得ます。

人食い民族

アマゾン、アフリカ奥地、北センチネル島といった孤島など、好戦的で外部との接触をいっさい許さない民族がまだいます。

先住民の保護に取り組むNGOサバイバルインターナショナルでは100以上の孤立民族がいるとしています。
確認できていない部族もいたとすると、もうすこし多いかもしれません。

彼らの多くは攻撃しているのではなく、身を守っていると言っていいです。どのような民族、人種でも攻撃意思よりも防御意思の方が積極的、暴力的、正義意思にて活動的になります。

なので好戦民族ではなく保守的民族です。

サルやナマケモノといった哺乳類も捕食しているのもありますが、彼らの「人食い」も、ただの捕食目的でしょうか。

ヘビなどの毒の免疫には「血清療法」という抗血清が用いられている時期がありました。
※現代では血清病と呼ばれる副作用があるためあまり使用されていない。

毒類であれば昔から部族にも比較的、身近でありシャーマンにも対処法が確立されている可能性が高いでしょう。

細菌やウイルスもおなじ感覚で血肉から「口内接種」にて抗体を作る意味もあるのではないでしょうか。
近代社会での「サイコパス」「カニバリズム」の感性と全く異なる属性ではないかと感じます。

まとめ

昔、太古を想像するのと同じように、田舎、部族、未開拓地を想定するのも同じ感覚です。
いま現代の常識、感覚、基準でけっして図ってはいけないこと、裁いてはいけないことを一人でも多くに伝えたいと思います。

割礼、一夫多妻とは、彼らの状況で可能な最大限の保身と保障、身の守りかたであって、決して我々がイメージしている「野蛮」「無秩序」「動物的」「原始的」「荒い宗教観」などではないのです。

ただ我々の価値観、宗教観を押し付けたところで、現地の問題、ウイルスの根絶、女性の保護、治療、食糧問題が解決するのだろうか。
非常に難しいと思います。

これらをふまえ、現代に渦巻くさまざまな争いの私怨、怨念、復讐心、征服感、侵略の意図に系譜の意義を問いたいとも思います。
どの民族、部族でも、やってきたことはなにも変わらず同じである。

自分達の過去を無かったことにし、いまの都合と自己都合だけ当てはめて、加害者、被害者へ意義申し立てをする感性に疑問を感じ、お互いに気付きあえ思いやりあえる社会が理想的ではないかと思います。

個人であれ国であれ、相手の状況や都合を意識してあげれる。そんな文化を築き上げたいなと感じさせることが、本当の情報発信のイデオロギーでもあるのではないでしょうか。


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