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ドゥルーズ主義

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読み解くのが難しい哲学者、ドゥルーズに挑戦します。回数を重ねるにつれ、平易な言葉で案内できるようになるかと思いますが、当面の間は悪戦苦闘の痕跡としてお付き合い下さい。
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記事一覧

読書感想#34 【ジル・ドゥルーズ】「カントの批判哲学」

諸能力は、表象の対象と主観への関係の仕方に応じて、認識、欲求、感情の能力へと分化すると同時に、表象の起源の観点から、感性、悟性、理性に分かたれます。そしてこれらの諸能力は、それぞれにアプリオリを有しています。 しかしこのアプリオリというのは、決してそれら諸々の能力を人間的有限性から分離することはありません。諸能力が上位の形態に達するのも、また立法的役割を獲得するのも、全ては特殊で有限な能力たる限りにおいてだからです。即ち私たちは立法者ではありますが、それは畢竟私たちが有限性

読書感想#33 【ジル・ドゥルーズ】「カントの批判哲学 (『判断力批判』における諸能力の関係)」

私たちが普段用いる、美という観念は、ある種の客観性や必然性、普遍性を当然のこととして要求しています。しかし元来、美しさとは個別的なものであって、客観的な裏付けを要するものではありません。むしろそれは主観を通じてのみ私たちに作用するのです。それ故、美的判断の客観性には実は概念が伴っておらず、その必然性と普遍性とは、畢竟すれば主観的なものに他ならないといえます。逆にいえば美しさは、規定された概念が介入される毎に、その魅力を失っていくものでもあるのです。換言すれば、美とは概念なき表

読書感想#32 【ジル・ドゥルーズ】「カントの批判哲学 (『実践理性批判』における諸能力の関係)」

欲求能力における最も理想的な形態は、快苦の感情によっては左右されず、ただ道徳法則にのみ従うような純粋形式です。それは決して、一時の感情都合に流されて揺れ動くようなものではありません。万人が何時なんどきも同様に採用するであろうものでなければならないのです。即ちそれは畢竟、普遍的立法的なものと一致するものでなければならないのです。 普遍的立法は、全ての感情や内容、感性的条件から独立なものに属しています。独立なものとは即ち、自己自身からある状態を創始する能力を持つもののことであっ

読書感想#31 【ジル・ドゥルーズ】「カントの批判哲学 (『純粋理性批判』における諸能力の関係)」

認識の事実問題、それは私たちに、アプリオリな諸表象が存在するということです。アプリオリとは何か、それは即ち、経験から独立なものであり、故に必然的並びに普遍的であるということです。 普遍的で必然的なものは、例え如何なるものであっても、経験によっては与えられません。経験によって与えられるものは、個別的で偶然的なものに限られるからです。故にそれは経験に適用されることはあっても、経験から由来して来ることはないのです。アプリオリは経験を超越しています。そして私たちが認識にあたり、この

読書感想#27 【ジル・ドゥルーズ】「スピノザ−実践の哲学−」

 体(例:身体や心など)というのは、普通考えられているように、形や諸々の機能によって規定されるのではありません。全体の形状も、種に固有の形態も、諸々の器官機能も、また形態の成長さえも、全ては微粒子間の速さと遅さとの複合関係より決定されるのです。故に体が無数なる微粒子をもって成立するといわれるのは、かくの如く、微粒子間の運動と静止、速さと遅さとの複合関係という意味に於いてでなければなりません。  また同時に、体というのは、その変様能力によって規定されるのでなければなりません。

読書感想#26 【ジル・ドゥルーズ】「ベルクソン一八九五−一九四一」「差異について」

 これが何故、あれではなくてこれであるのか、またこれでなければならないのか。哲学はその根拠を与えるものでなければなりません。哲学とは、その対象そのものにぴたりと当てはまる概念、即ち唯一無二の概念を見い出すことに他ならないからです。逆にこの努力をしない限り、私たちは一般概念を代用して、その対象を不動で無差異的な何ものか、という枠組みに押し込めて説明するに甘んじなければなりません。ここでは当然、その対象が同じ類の他のものであるよりもむしろこのものである、という事実が見逃されること

読書感想#25 【ジル・ドゥルーズ】「ヒューム」

 哲学が対象とするところは、人間本性の探求です。空想からではなく経験から、想像力に属する諸観念からではなく人間本性の観察から、哲学は生まれるのでなければなりません。畢竟すれば、想像力はいかにして人間本性と化すのか、ここから哲学は始まるのです。  まず前提として、精神はそれ自体では自然の本性ではありません。それは想像力であり、空想であるからです。いわば精神とは特殊な諸観念の寄せ集めであって、これらの観念の運動に他ならないのです。諸観念に役割と絆と力能を授けつつ、精神を自然の本

読書感想#24 【ジル・ドゥルーズ】「ニーチェ」

 哲学の根本は、生が思想を能動化し、また思想が生を肯定するという、いわば生と思想とを統一する力にあります。しかし一般的に哲学といわれる場合、それはむしろ思想が生を裁き、より高い価値という如きを生に対立させようとするものであることが多いのはいうまでもありません。故に生はそれらの価値に応じて測定され、また限界づけられ、そして断罪されるのです。ここでは思想は否定的なものとなり、同時に生の価値は下げられます。そしてもはや私たちは能動的であることをやめるのです。  これはいわゆる、能