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ふたつの町

 五月は、通勤が楽しい。

 新緑の中だと、バスを待つのが苦ではない。バスに乗り込んでからも、スマートフォンよりも車窓に夢中になってしまう。

 この町は街路樹が豊かだ。公園も多い。山林を切り開いた住宅地には、所どころ雑木林の気配が残っている。高い建物は少ない。地平線は山に縁取られている。五月の景色は壮観だ。

 生まれたての若葉が、最初はおずおずと木々の枝先を彩り、やがて、勢いをつけて町中に溢れる。その様を、通勤しながら眺める事が出来るのは、贅沢で幸せな事だと、毎年しみじみ思う。

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 木々の多い町で、四十年近くを暮らしている。

 暮らし始めた頃は、好きになれなかったこの町を、故郷、と呼べるようになったのは、いつからだろう?

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 生まれは、首都圏の小さな町だ。

 十一歳まで暮らしたその町は、環状道路の近くだ。車の交通量はそれなりに多いのに、道幅はとても狭かった。

 家々がひしめくその町で、街路樹をほとんど見かけた記憶が無い。アスファルトで舗装されていない地面も。

 家の近くを流れる川は、川底をコンクリートで固められていた。コンクリートの溝の中を、茶色とも緑色とも言えない濁った色の水が流れていた。

 時代的には、昭和四十年代から五十年代にかけての頃だ。当時は、光化学スモッグが発生し、外遊びを禁じられる事もしばしばだった。

 でも、空気も水もあまり綺麗とは言えないその町を、幼い私は何のためらいもなく愛していた。

「車が来たら、塀にぺたっと背中をつけるのよ!」

 そんな母の言いつけを忠実に守りながら、友達の家や、公園へ向かう道のりは、ちょっとした冒険だった。

 ごみごみとした家々が連なる狭い空は、それでも青かった。縦横無尽に電線が走る空を夕焼けが染めると、やはり見とれた。

 野原の無い町でも、アスファルトの隙間には花が咲いた。そんなたくましい花を摘んでは、妹たちとままごとをした。たんぽぽ、ぺんぺん草、姫じょおん、はこべ。

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 親の仕事の関係で、生まれた町を離れたのは、小学六年生になろうとする春だった。

 小学五年生まで通っていた学校は、個性と自発性を重んじる教育方針だった。対して、転校先の学校は、伝統と協調性を大切にしていた。

 ただそれだけの事なのだ、と、理解するのは、私にも同級生にも、多分、まだ難しかったのだろう。

 学校で嫌われ者として過ごすのは、やはりきつい経験だった。 子どもには、学校以外に世界との関わりを持つ場所が、ほとんど無かったから。

 生まれた町に帰りたい、と、言っても仕方が無い事が分かるくらいには、子どもでは無かった。

 それでも、毎日、帰りたかった。ごみごみとした家々の連なる、道幅の狭い、濁った川の流れる、あの小さな町に。

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「ほら、この花、可愛いでしょう。カラスノエンドウっていうの」

 母はよく、娘たちを散歩に誘った。

「お母さん、この花は何?」

「これはアカツメクサ。花びらを抜いて、ちょっと吸ってみてごらん」

「わあ! 甘いね!」

 娘たちが学校でどのように過ごしているか、母はよく把握していた。そして恐らくは、当事者である私や妹たち以上に、胸を痛めていた。

 母自身、子どもの頃に、村から町へと引っ越しをした経験があった。娘たちの様子は、自分の歩んできた道と重なる部分があったのだと思う。

「ああ、これは桜ね」

「桜? 花が咲いてないのに、どうしてこの木が桜って分かるの?」

「枝や葉っぱの形を見れば分かるわよ」

「へえ。そうなんだ」

 母は胸を痛めながらも、娘たちが緑の多い町で暮らし始めた事についてだけは、安堵の思いがあった様だ。

 口にする事は無かったけれど、子どもがアスファルトの隙間の草花としか親しめない環境は、あまり良いものでは無いと、実は思っていたらしい。

 山の中や森の近くで育った母は、陽の光や風を感じながら草木と親しむ事の喜びを、良く知っていたのだろう。

 その喜びを感じる事が、辛い時に、どれだけ人を支えてくれるのかも。

「桜は花もきれいだけど、葉っぱもきれいよ。見てごらん、こんなに青々として。秋になったら、きっと紅葉もきれいよ」

「へえ」

 青々とした桜並木の下を歩きながら、私は、生まれた町に想いを馳せていた。

 この町は美しかった。大きな空も、街路樹も、空き地の草花たちも、地平線を縁取る山並みも。でも、ここは、私の故郷ではなかった。

 帰りたいという想いを飲み込みながら、見上げた青葉は、輝いていた。

 生まれた町では、こんなに身近に見かけることの無かった木々や草花の色が、素直に心に染み込んでくるのを、否定は出来なかった。

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「ご出身はどちらですか?」

 そう聞かれると、今の私は、四十年近くを暮らしているこの町の名前を告げる。

 今まで生きてきた時間の大半を、この町で過ごして来た。高校の教室で、親友と呼べる友人に巡り合い、大学生活の終わり頃、後に夫になる彼に恋をして、青春と呼ばれる時間を過ごして来たのは、この町だ。

 結婚の時に、本籍地も、生まれた町からこの町へと変わった。

 それでも、出身を問われると、この町の名前を告げた後、もう一言、付け加えてしまう。

「生まれたのは、別の町なんですけれどね。でも、小学校の六年生からこちらなので、もう、地元はここですね」

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 昨年、久方ぶりに生まれた町を訪れた。

 記憶の中よりも、更に道幅は狭く、更に家々はごみごみとして、更に空は小さかった。

 街路樹はやはり見当たらないその町を歩きながら、懐かしさに涙が出た。

 ここは、私の生まれた町だ、今でも私の故郷だと、強く思わされた。

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 その日、帰りの新幹線で、見慣れた山の稜線を見た時に、ああ、帰ってきたな、と、思った。

 何のためらいもなく、素直に。

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 木々の多いこの町もまた、私の故郷なのだ。

 いつの間にか、ためらいなくそう言えるようになっている。

 暮らし始めた頃は、好きになれなかったこの町で、空や木々や草花の色を、心に染み込ませる内に。

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 五月は、通勤が楽しい。

 きっと、この先、どれだけ季節を繰り返しても、生まれたての若葉がこの町に溢れる様を、見飽きる事は無いだろう。

 ふと、足元に目を落とすと、この町でも、アスファルトの隙間には、幼い日々に親しんだ、たくましい花が咲いている。たんぽぽ、ぺんぺん草、姫じょおん、はこべ。




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