#7 会食恐怖症 〜パニック障害奮闘記〜
こんばんは!
パニック障害持ち愛媛県に住む22歳男子大学生すこまるです!
昨年2022年の9月にパニック障害を引き起こし、2023年12月現在約1年3か月続いている状況です。パニック障害を乗り越えるべく、日々努力しながら生活を送っています。
会食恐怖症とは
症状
すこまるも会食恐怖症?
小学生の給食
すこまるは、幼稚園生の頃から食べ物の好き嫌いが激しく、ムカついて記憶があります。
小学校に入学後、初めての給食の時です。今ではありえませんが、食べ残し厳禁タイプの先生でした。全然食べきれないまま、給食の時間は終わり、5時間目に突入。5時間目も終わって食べきれないまま、1人で給食センター(給食を作るところ)に食器類を持っていったのを鮮明に覚えています。その後も食べられない場合は、先生になぜ食べられなかったのか理由を言ってから残すという謎ルールが設けられていました。
2年生以降の先生は、そこまで酷いことはなく、減らしたり残したりもOKだったため、そこまで辛い思いは無くなりました。ですが、給食は常に嫌だった記憶はあります。
中学校の給食
中学校も給食でしたが、部活動で体を動かすようになったことや勉強の難易度も上がり脳を使うことでエネルギーを消費するのか、普通の量を食べれるようになっていました。
ですが、おかわりは人生で1回もしないまま、給食は終わります。
高校の弁当
高校から弁当に。自分の苦手なものや量を調節できるようになったので、ものすごく楽でした。
高校には学食もなく、パンの購買がたまにあるぐらいでした。そのため、クラス全員で食べるという機会はなく、教室で友達と会話をしながら好きな席で食べるというスタイルでした。
大学での食事
大学では、2020年入学でコロナが流行り、ほぼオンラインで半年大学に行きませんでした。
そのため、誰かと食事という機会もなく、半年ほどずっと家での食事でした。
そんな中、大学2回生の後期の頃です。コロナ禍も少し落ち着き、マスクは外さないものの黙食ならOKという頃合いでした。
ゼミの所属先が決まり、そろそろゼミのみんなと交流会の意味も込めて、どこかに行こうという流れで、今治市にあるタオル美術館という場所に行きました。昼食でラーメンを頼んだのですが、そのラーメンが全く喉を通らないのです。喉を誰かに締め付けられているような感覚に。うまく食べられず2すすりほどでギブアップ。なぜそうなったのかわからず、この頃から会食が少し怖くなりました。
ですが、居酒屋などではお酒の力なのか普通に食べられます。そのため、普通の食事に誘われるより飲み会の方を好んで行くようになりました。
普通の食事の際は、気分悪くなりながらもなんとか時間をかけて食べていました。友達にも本当のことは伝えず、ちょっと調子が悪い程度に誤魔化していました。
そんな中、所属していたゼミの先生が大学を離れることに。今ある他のゼミに途中参加という形で、移らなければなりませんでした。そうして今のゼミに入ることが決まりました。
そこから、、#1のビアガーデンにつながります。
もしかすると?
パニック障害になるきっかけとして、この会食恐怖のストレスが積もりに積もって爆発したかもしれません。
心の中で眠っていた小さい頃からの食事に対しての恐怖感が、コロナ禍の食事機会がないことで、目覚めてしまったみたいです。
あなたにもきっと恐怖に感じることやものがあると思います。立ち向かわず、逃げてもいいという選択肢を取っていいと僕は思います。お互い気を張らず、なんとなくで生きていきましょう。
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