若者の書いた新潮45感想文

「日本は古来より同性愛に寛容であった。だから差別が存在しているとは思えない。」


うるせ~~~~~~~~~~~!!!!



すみません、取り乱しました。
なにやら世間では、どこぞの議員さんが「LGBT様が大手を振って歩いてるのが許せない生産性がない。」などとおっしゃて、まぁそれが波紋を呼んでいるとかなんとか。

正直最初にこれを見たとき、「時代遅れだなぁ」と感じました。しかしそれだけでは、これらの主張をする人々と変わらないのではないかと思い、少し色々考えてみました。お時間ある方、少しでもいいので、この一若人の話に付き合ってください。

私は1998年に生まれた。
生きてくる前に、生きているうちにさまざまな変化があった。
それまであった不平をなくそうとする動きが多くあった。いまもそうだ。

特に世界では、「性」によりいやな扱いを受ける人がいなくなるようにしようという動きが、たくさんあるように思える。男性と女性のあいだにあるなにかを取り除き、両者の性質を持つ人々が、ただそこにある''人間''として向き合えるように、

そして、男性や女性という従来二分化されていた、両極にあるとされていた性別に違和感を覚える人、性別に縛られて、「こうあるべき像」にとらわれていた人々が自由になり、ただひとつそこにある一人の''人間''として生きようとする。そんな時代を待ち望む人が多くあり、そんな時代を手に入れようとしている。

私たちの間でもまだ、旧来の風潮にとらわれている人はいる。しかし確実に、昔とはなにか違う感覚で生きている人々が増えてきている。


たとえば、友人に女の子と付き合っている女の子がいたことがあった。周りはそれを面白おかしくはやし立てることなく(もしかしたらいたかも知れないけど……)、「あの子は女の子が好きなんだ」ということをさも当然であるかのように受け入れていた。
それはまるで、昔の雑誌の恋愛などの欄にに「背の高い男性が好き」「優しい女性が好き」と、書かれていたように。

しょうみ、「ふーん」って感じなんだ。
誰が誰を好きだろうと、いいじゃないか。そういう考えをする子たちが確実に増えてきているのだ。



冒頭で書いた
「日本は古来より同性愛に寛容であった。だから差別が存在しているとは思えない。」

という人がいるらしい。

この人は差別とかそういうことについてもう一度勉強し直した方がいい気がする。


同性愛に「寛容」であるという。「寛容」というのは、言わば受け入れる側の懐が広いという意味で使っていると思われる。認めてやっている、というような上から目線みたいなのが感じられて感じ悪い、だいぶいや~~~~~~。

そして、
小川さんという方の意見も読んだ。
LGBTということに対する詳細も知らず、知ろうともせずに批判していて、かなり驚いた。

批判とは、対象をより多く知らないと成り立たないものだと、私は思っている。
個人の持つ偏見と差別意識ガチガチの頭で書かれた記事を、「多様な意見のうちのひとつ」とすることは、どれほど危険なことだろうか。暗に「差別をして良い」と認めているようなものではないか。


ましてや、日本の未来を作る政治家さんたちと密接に繋がるようなお人が、公に「私感情での差別はしても良い」と言ってしまうようなことをするのは、どうだろうか。こんな考えの人ばかりが政治に近いのなら、私は嫌気がさして日本から出て行ってしまいたくなる。(こういう人からしたら、どうぞご勝手にと言われそうだけど)

書きたいことが多く、まとまらない、感想文になってしまい、すみません。
一連の流れを見て、もや~っとしてたことを書き出してみました。
私ももう少し勉強します。

こんな大人にならないために

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