賽の河原


痛めつける語彙力を、何故安全な個人にばかり向けるのか?
それがようやくわかってきたよ。
そう、

「楽」だからだ。


自分は何もしなくていい、無能でいい、成長しなくていいと。
全てが相手、気に食わない「この弱者のせい」だと。

今なら判る。
あいつら全員こうやって生きて来たんだな。
足を引っ張り見下して、そうやってずっと言い訳を繰り返してきた。
だからあんなにブクブクと肉づきがいい、声もでかい。
3歳児のまま、誰かに取り入る口実だ。
しょうもない綱引きをしたいなら、今はこっちにだって出来る。
本来だったら意味が無い、成果に繋がる訳じゃない。
出来るがやらない、やりたくはなかった、が。

永久に終わらないんだろ??


それでいつだって勝ち誇る、優位を誇示して力学操作、利益誘導。
相手を弱体化させ、相対的に自分がマシだと抜かす。

俺が一体お前らに何をしたんだ??


こちらが前向きに生きようとすればするほど消耗する、失ってゆく。
狂人共に一方的に噂され、でっちあげ、妄想に巻き込まれるだけだ。
それが無限に続く。
結局は力学にならざるを得ない、安全だと思われれば食われると。
最初から最後までリアルなんて関係ない、生産性も何も無い。
惨めな言い訳に付き合うしかない、終わらない。

出会った瞬間、紐づけられて終わらないならそういう事だ。
我慢しても逃げても終わらない、執着される、デマを流され恨まれる。
逃げようが無視しようが終わらない。
終わらない、終わらない。

損害を被ったのはこっちだけ、お前らは何一つ損してない。
自業自得、最初からスタート地点に居るだけだ。
永久に自己肯定の繰り返し、その全てが弱者の責任なのだろう。
いつだって強い相手には逆らわないんだから。

賽の河原の鬼。

石を積んでは崩される、その為の人生ならなんて無価値なのか。
いつも「蜘蛛の糸」を思い出す。
這い上がろうにも、亡者に見つかった瞬間糸は切れる運命だ。
奴等は現実を観ず、俺だけを観る、執着する。

奴等はそれで満足なのだろう。
全てが気休めなのだろう。
最初から満たされていて、また飢えている。
きっと変わりたくないのだろう。
呪いはそろそろ彼等に返った頃だろう。

我慢していた頃よりも気は楽になった。
しかしまた、こうして俺も三歳児のまま生きるのだ。


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