「哲学の効用」

紅顔の哲学者を目指して#10

2024年4月30日(火)

今日も続かずに終わった哲学日記を載せる。
「哲学の効用」という題にしたけれども、そんな大それたことを書いているわけではないので期待して読まないで欲しい。ほぼ、何も書いていないに等しいくらい薄い内容の日記で恥ずかしくなったくらいだ。
過去の自分の文章をみると本当にひどいなという気持ちで居ても立っても居られなくなってしまうのは僕だけだろうか。
この時は上手く書けてるなどと思っていたのだと考えると恐ろしい。


2023.11.23

前回の日記から1日空いてしまった。
この日記を毎日書くということで気合を入れなおして、前回の日記を書いたつもりであったが、やはり続かなかった。
やっぱり日記を続けることは難しい。
どうしたら毎日続けられるものか。
ただ、昨日書けなかったことは許して欲しい。
一昨日は大学の後に本屋でのバイトがあり、かつたまたま仕事量が多かったため、かなり疲れてしまったのだ。
そして、その疲れが次の日まで尾を引いてしまい、昨日は日記を書くことができなかった。
日記が書けなかったことの言い訳をタラタラ書いていても本来のこの日記の主旨からズレてしまうので、言い訳はここまでにとどめておこう。
この日記では、日々浮かび上がった哲学的な問いについて、あくまで日記という形式は守りつつも、それらについて考えていくというのが大きな目的である。
また、現在学んでいる哲学的な知識をアウトプットする場でもある。
前回の日記では哲学とは何かについて考えた。
今回もその延長線上で哲学というものについて根本的に考えていきたい。
特に今回は哲学するという意味について考えることにも繋がるが、哲学することによって得られる効用・効果について考えたい。
哲学したことによってその人に何がもたらされるのか。何が良いのか。どのような変化があるのか。
哲学した途端、その人の人生が劇的に変わるものだろうか。
残念ながら、おそらく哲学にはそんな魔法のような力はないだろう。
ただ、それと同時に哲学の持つ力は偉大である。
矛盾しているかもしれないが、哲学はその人自身を根本から変える力はないが、その人の考え方(道徳感・倫理観)や価値観は変えることができ、そういった意味で変えることはできるのではないかと思っている。
これまで哲学史上の歴代の偉大な哲学者達が疑問に思った世の中にある様々な問いとそれに対する答えは、人間が日々知覚しているはずである(それにすら気づいていない or 意識していない)事柄を、あたりまえの事ではなくさせる。
つまり、例えば朝ベッドから起きて窓を開けたら太陽の光がまぶしい。白い雲が青い空を背景にゆっくり動いている。人に好意を持つこと、自分がここに存在していること、言語を使い会話をすること。労働をしそれにみあった賃金をもらって生活していること。
上げるときりがないが、このような当たり前のことを当たり前でないと分かるだけで、些細なことにも幸せをみいだすことができ、そう分かっている人と分かってない人とでは幸福度が全然違うように思う。
このような混沌とした時代だからこそ、なおさらそのような常識を問いただす哲学的な探究をする価値はあるだろう。
思ったよりも長くなってしまったので、次の日記でも今日の続きとして、自分の経験に即して哲学することの意味について考えたい。


改めて本当にひどい日記だなあと思う。
もっと文章が上手くなりたい。
そう思った。
読む量も増やしたいが、書く量も増やしたい、そうなるといくら時間があっても足りない。もう1人自分がいればな。
とりあえず、読みたい本が山積みだから本を読みまくりたい。

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