「僕とマルクス」

紅顔の哲学者を目指して#7

2024年4月27日(土)

最初の日記でこれ以外にも書いている日記があると言った。
その中に哲学日記というものがあって、最後に書いた日の日付を見てみると、「2024.3.2」となっている。2ヶ月も書いていない。しかも、全部で7回しかその日記は書けていない。
その日記は日常における些細なことに疑問を持ち、問いを立て、それに対して自分なりの答えを出すという目的のもと始めたものだった。
でも、最近気づいた。この日記と何が違うのだろうと。
この日記を始めるにあたって、1日目の冒頭でこんなことを書いた。

…この日記では日々どんなことを思索しているとか、どんな文章を書いているとか、はたまたどんな本(主に哲学書)を読んでいるとかその感想とかを書こうと思う。

「紅顔の哲学者を目指して#1」より


哲学日記は1日目を除いてほぼ自分の思索したことだけを書き留めたもので、その日にしたことや行った場所を書いているこの日記とはそういう意味では違うかもしれない。
が、この日記では以前に「言語について」や「さびしさ」についての哲学的考察をしている。これは哲学日記とやっていることが同じで、分ける意味がわからない。
というか、日記を分けすぎだ。
だから続かないんだよ。と自分に言いたいところ。
だから、この際減らそうと思う。
前に書いていた哲学日記はこれと一緒にしてしまおう。だから、この日記では当然僕が生活の中で哲学したことを書き記すし、その日の行動を書き留めたり、読んでいる本の感想なども書いたりする。
改めてまとめると哲学者を目指している人の日記というふうに解釈して欲しい。

今日は、誰かに見せるために書いていた訳ではないので、ここで公開するのも恥ずかしいが、哲学日記の#1をそのまま引用したい。
一人称を「僕」ではなく「俺」にしていたり、本来なら名詞を省略した方が良いはずの所も何回も使ってしまい読むに耐えない文章になっているが許して欲しい。
これは僕とマルクスの初めての出会いと言ってもいいかもしれない。
ここから全てが始まった。



2023.10.7

今日、池袋のジュンク堂でカール・マルクスの「資本論」の1巻を買った。
とてもウキウキした気分で、マルクス関連の本があるコーナーへ行き、買うものは既に決まっているはずなのに何故か迷い、「資本論」の1巻を手に取り、さらに佐藤優の資本論の解説本を初めて見て「これはいいぞ!」となり、それも棚から取った。
買うものが決まっているのに、目当ての本がある棚やその周辺をじっくりと見てしまい、さらには全く関係のない棚を見、そしてさらには別の階にまで行ってしまうのは何故か。
目当ての本をレジに持って行き、会計を済ませて、ブックカバーのかかった本を受け取るまでの、その高揚感をできるだけ長く持続させたいが故に、そうやって買うのを焦らすのかもしれない。
買いたい本があって本屋に行く時、このような自分の行動の心理のようなものが分かっていても寄り道をついしてしまう。
でも、それがショッピングをする上での醍醐味であり楽しみなのだとも思う。
そんな訳でジュンク堂5階のマルクス経済学の棚からその2冊を手に取り、少年のようなワクワクした気持ちを抱えて、エスカレーターでレジのある1階まで向かった。
買った後もウキウキ、ワクワクしながら電車に乗り家へ帰った。
なぜ、「資本論」を買ったのか。
この本がいわゆる名著であることはうっすらと知ってはいたかも知れない。
でも、ほぼ何も知らなかったに等しい。
世の中では、大人の教養として、社会人の教養として読んだ方が良いものという認識になっているのかもしれない。
でも、自分の場合、教養としてとか勉強としてなどの理由や読まなければいけない、読んだ方がいいと言った一種の「資本論」を学問としてみる(確かに学問なのだけれども)側面からではなく、純粋に音楽やアート、文学に興味を持つのと同じような形で関心を持ち、ただ単に読んでみたい、マルクスを、「資本論」を理解してみたいと思い、「資本論」を実際に読んでみようという行動に繋がった。
つまり単純に読みたいと思った。
ただ、普通の大学生がいきなり、いかにも難しそうな「資本論」を読みたいとはおもはないだろう。
なんて言ったって、文庫版で9冊もある上に、文学作品と比べてはいけないのは承知の上だが、例えばよく難しいと言われる村上春樹の作品やかなり長くて難しいイメージのあるプルーストの『失われた時を求めて』などとは訳が違う。
つまり、今まで俺が読んできた、いわゆる小説とか文学作品と違ってとてつもなく難解な本だということだ。
もちろん、そんな難解な本に興味を持った過程というものがちゃんとある。
あるとは言ったものの正確には覚えていないが、ある日、大学の図書館にいた時にふと哲学関連の本が置いてある棚をみて見たくなった。
今通っている大学の図書館は3階と4階に本があって、3階にある小説や雑誌を借りたり読んだりすることはあったが、4階の本棚を授業関連の本を探したりする以外にはしっかり見るということはなかった。
4階にある本は、政治や経済に哲学といったわりと難しめのものが多かったからか行かなかったのかもしれない。
でも、自分でもなぜだかわからないが、急に哲学の本が読みたくなって4階の哲学、東洋思想、西洋哲学などと書いてある棚に向かった。
そして、棚を眺めて目に留まった本を手に取りパラパラとページをめくった。その中でも興味がありそうな本を手に取り、それらを図書館の机へ持っていき読み始めた。
これが、哲学にはまったきっかけだ。
これをきっかけに、自分の哲学に対する好奇心は尋常じゃないほど高まってしまった。
その日に哲学の本を読み始めてから、図書館に行くたびに面白そうな哲学の本はないかと物色して、良いのがあれば借りて読むというのを繰り返した。
そして、狂ったようにほぼ毎日借りた本のことばかり考えていた。
そんな中、図書館で本を物色している時に見つけた本が、佐藤優の『いま生きる「資本論」』だ。この本を読んだらマルクスの『資本論』の魅力に取り憑かれてしまった。
そしてこれが『資本論』を読もうと思う動機につながり、今日それを買った。佐藤優の解説本を買ったのは図書館で借りた彼の本の影響だ。
今まで、音楽、アート、映画、文学、に興味を持ち接してきたが、ついに「哲学」に興味を持ってしまった。
別に待ち望んでいた訳ではないが“ついに”と言うのが適切な気がする。まさか自分が「哲学」に手を出すとは思っても見なかった。
また、わりと自分が好きなサブカルとも親和性は高いような気もする。
ただ、一つ自分でもわからないのが、なぜ図書館で急に哲学の本を読みたくなったのかだ。
これの答えが哲学にハマった本当の理由なのではないかと思う。
だが、いくら考えてみても哲学の本を読みたくなるようなきっかけとなる出来事は思い出せない。日々、いろいろな人に周りの環境に影響を受けているだろうから、きっかけを辿るのは自分でも難しいのかもしれない。
まあ、当の本人がわからないのだから、わからないままでもいいのかもしれない。
うん、わからないままにしておこう。
とにかく、今日からマルクスの『資本論』を少しずつ読む生活が始まる。
来年までには読み切りたいな。遅くても大学を卒業するまでには。
これを全て読み切った後には、自分がどんなふうに成長しているか楽しみだ。
最後に、この日記では大学生の僕が日々思っていることを哲学するような形で書いていきたいと思う。それに加えて、『資本論』などの今読んでいる哲学の本についても書こうと思う。
できるだけ、毎日この哲学日記を書いて哲学的な思考ができるようにトレーニングしていきたい。あわよくば、どの哲学者もまだ定義したことのないような新しい概念を生み出せたりしたらいいな。
なんてことはありえないのだろうけど。


この日に買った「資本論」は結局読まずに放置されたままだ。
9巻くらいまで出ているから、買うのは諦めて図書館で借りて読むことにした。今は2巻まで読み終わっていて、早く3巻を図書館まで借りにいきたい。
明日以降も哲学日記を載せていこうと思う。
じゃあなー。

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