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敢えて多くを物語らない|ソール・ライター展

今年も渋谷ではソール・ライター展が開催されています。今ではすっかりその名前が知られている写真家も、SNSが普及していなければここまで再評価されていなかったかも知れません。ポイントは目を引く表現技法。それは決して一過性のものではなくて、だからこそ語り継がれていくストーリーがあると思うのです。

 2017年、2020年と3年おきに開かれている写真家ソール・ライター(Saul Leiter)の企画展が、今年も渋谷で始まった。とは言え、主催する東急・Bunkamuraが主要施設を長期休館しているために、いつもとは場所を変えての開催だ。今回の会場となるヒカリエの8階、ヒカリエホールはより渋谷駅に近いこともあってか、平日日中にもかかわらず結構混み合っている。回を重ねるごとに人気を高めているようにも感じられる。シリーズも3回目を数え、ソール・ライターの生誕100周年を祝う今年の展示は「原点」回帰がテーマとなっている。

 その一つがファッション雑誌「ハーパーズ・バザー(Harper's BAZAAR)」への掲載を中心とする商業写真だ。会場にずらりと並ぶ1960年代の雑誌誌面を見てみれば、赤色や黄色の淡い発色にいわゆるソール・ライターらしさが感じられるだろう。と同時に、少し上からのアングルが多いことに驚かされる。モデルの頭を主体とする構図は主役となるはずの洋服のシルエットを分かりづらくすることから、今のファッション雑誌では見慣れないものだ。それがソール・ライターの望んだところの「撮影の結果がファッション写真以上の“写真”になること」だったとすると、当時から独自の視点でその場を切り取ろうとするソール・ライターの魅力が十分に表れていたのかも知れない。見る人にインパクトを残す。

 これは記録を主な目的としていたそれ以前のフォトグラファー、例えばロバート・キャパ(Robert Capa)らによる報道写真とは大きく異なるものだろう。ジャーナリズムが宿る写真は表現の美しさに加えて、物語を纏っていた。その後も、アートとしての写真は物語性を大切にしてきた経緯がある。日常を切り取ったスナップであっても、その写真一枚から読み取れるストーリーが人々の心を動かしてきたのだ。だから2006年に写真集『Early Color』(Steidl)が発売されるまで、ソール・ライターの作品が忘れ去られていたのも仕方がないのかも知れない。では、なぜ近年になってこれほどまでに人気を集めるようになったのだろうか。

 インスタグラムの黎明期よりSNSを主戦場として活躍してきた写真家・保井崇志氏はこの度、いよいよ初めての写真集『PERSONAL WORK』を出版された。「「Early Color」のサイズに寄せています」というご本人のコメントからも、ソール・ライターから受けた影響の大きさを窺わせる作品集だ。表紙の赤い傘にはじまって、雨、ガラス、窓越しの構図、白飛びするほどの光など、ソール・ライターが得意とする手法が存分に取り入れられている。そして1960年代当時は表現しきれなかったであろう黒の黒さを生かした陰影が、保井氏の作品を特徴付けている。そう、物語性よりもぱっと見の美しさが優先されているのだ。それはもちろん、今のアテンション・エコノミー時代のSNSに馴染むアプローチであって、保井崇志氏が多くのファンを抱えていることも納得できる。逆説的に、ソール・ライターの作品が再評価されているのも、時代がその表現に追いついたからだと言えるだろう。

 「PERSONAL WORK」を見ていてもう一つ気付かされるのが、日本らしさの写り込みである。それは寺院の瓦や東京スカイツリーのような直接的なものに限らず、都内を走る鉄道であったり、タクシーであったり、警察官であったり、私たちが普段見慣れた些細な日常なのだ。もしかすると海外の読者を意識しているのかも知れないこの演出は、同時に私たちにその場所を思い出させてくれる。そして、こんなにも美しい景色だったのかとハッとさせられる。だからこそ、流れゆくタイムラインの中でも、思わずその写真に目が留まるのだろう。

 今、私たちはソール・ライターのスナップ写真に1940年代、50年代のアメリカを想う。見たことのない70年以上前の街並みに心を踊らせている。保井崇志氏の「PERSONAL WORK」はもしかすると、将来そういう作品集の一つになるのかも知れない。渋谷のBunkamuraは、開業から50年以上が経った東急百貨店本店と一緒に改築されてしまう。良くも悪くも、街の風景はどんどんと変わっていってしまうのだ。それを資料に残しておくことは簡単だけれど、ふとしたタイミングで当時の美しさに触れられる方が面白いだろう。そう思うと、敢えて多くを物語らない写真を手元に置いて、度々眺めるのも悪くない。物語は私たち自身が紡げばよいと思うのだ。

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