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【書評】「群れないけれど社交的」なイラン人に憧れる

イランが好きなので、「イラン」と名前のつく本はつい手に取ってしまうのですが、とても面白い本があったので紹介します。

「個人主義」大国イラン 群れない社会の社交的なひとびと』(岩崎葉子・平凡社新書)

著者はイランの経済・商業を研究する学者。子どもを連れてテヘランに住み、フィールドワークしながらこの本を書き上げていったそうです。

そもそも、私がイラン大好きになったのは、ニュージーランド留学中のこと。国そのものがオープンなこともあっていろいろな場所から留学生が集まっていました。

確か、大学の交流イベントでイラン人の学生(といってもドクターを取りに来ていてけっこういいおじさん)と知り合い、すぐに仲良くなった。一緒にご飯を食べるようになり、たまに家やガレージにも招かれるようになり……(ガレージでワインやビール、シーシャを楽しんだりする文化があった)。ただでさえネガティブな私は、留学中に言葉の壁もあって真っ暗闇だったので、日常を楽しむのがうまい彼に、だいぶ助けられました。

彼だけじゃなくて、イラン人(イラニアンという)は、なぜかみんな明るく自分に自信があって、状況に応じて、その時その時を楽しむのがうまい。そしてなぜか艶っぽい。どうやって育つと、そういう風になれるのか、とても興味があります。

※余談ですが、彼は会話の最中にナチュラルにウインクができる激セクシー技術を持ち合わせていた。なんだったんだろうあれ…。

でも、日本に戻ってイランの魅力を力説しようとしてもうまく言えない。彼らのどこが素敵なのか、適切な言葉が見つからない。

そう思っていた時にこの本のサブタイトル「群れない社会の社交的な人々」をみて、まさにその通りだと思った。

著者によると、イラン人は「なんらかの組織の一員」とはほとんど考えずに生きているらしい。

彼らは企業や官庁といった組織に帰属すること自体には、あまり大きな意味を見出さない。むしろ個人がどんどん多角化することでキャリアや生計のリスクを担保する。いくつもの職業をかけもちし、ちょっとでも「自分にできそうなこと」であれば未知の分野にも身軽に参入する(p.14)

「この道一筋」はあまり推奨されず、ときに「図画工作」レベルの修理工が仕事を請け負っていることもある。それでも成立しているらしい。日本の文化に慣れている私は、いざそういう状態に置かれたらイライラするのだと思うけれど、「未知の分野にも気軽に参入」は、とても憧れるメンタリティだ。

そして、組織の強制力も働かない(というか、企業の規模も小さく組織らしい組織がそもそもできづらい)。約束も難しい。

その反面、商売においては人脈・社交性がとても大切になるという。著者によると、仕事上のお付き合いであっても、世間話のような「無目的な」訪問が不可欠。ビジネスの相手であっても、家庭の話もずいぶん深いところまですると信用される。

組織で人の信用を測らない分、個人間のかなりウェットな付き合いが要求されるようだ。イラン人に憧れながらも、組織が守ってくれる良さも感じる。

話は変わって、次はイラン人の言葉の魅力について。

著者の取材相手で、富豪令嬢で生活には困らないのに、いつも力の出し惜しみなく働くファルナーズさんという女性が紹介されている。彼女が亡くなったお父さんからかけられたという言葉がとてもよいので、引用します。

「樹というものは木陰が大きくなければいけない」と、ひとびとのために尽くすように彼女に諭したという(p.153)

イラン人は本当に言葉のセンスがすごい。著者も「日常生活のあちこちに、ちょっと白々しい、しかしじつに文学的で耳当たりの良い常套句が詰まっている(p.25)」と指摘していて、この本のあちらこちらで取り上げられています。だからなんか艶めいて見えるんだろうなぁ……。

300ページ弱の新書で、サクッと読めるけれどかなり新鮮な考え方を取り込める本。著者のライティングも軽快なので、読み物としてもとても面白いです。しばらくは「お勧めの本」を聞かれたら、これを答えるようになりそう!

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