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【閑話】巨大な峰々と案内人F

遠くに巨大な峰々が立ち並んでいる。

「あの右前方に聳えている山の名前はなんですか」
わたしは隣に並んで歩いている案内人に尋ねる。

「はい、あれはソポクレスと言います」
「ではその横に連なる山の名前はなんですか」
「はい、あれは手前から順にソクラテス、プラトン、アリストテレスです」

わたしはそれを聞きながら、顔を左の峰々に向ける。
「ではあちら側に見える、ひときわ大きな山は?」
案内人が答える。
「あれはショーペンハウアーです」
「ではその奥から頭を出している山は?」
「はい、あれはもちろんゲーテです」

そのときわたしは足元の小石につまづきそうになる。だがとっさに案内人がわたしの腕を支えてくれる。

「すみません」
「いえいえ」

しばらく沈黙のなか歩を進める。

「ではあの正面に見える険しい峰々の名前を教えてください」
案内人は即座に答える。
「はい、右からモリエール、D. H. ロレンス、ドストエフスキーです」

「そうですか。ではあれらの奥に聳えて見える頂上が雲に隠れてしまっている山は?」

案内人は微笑みながら答える。
「あれはシェイクスピアです」

それからわたしたち二人は数週間歩き続けた。
もしかしたら数ヶ月、いや数年だったかもしれない。

ようやく、かつて遠くに見た山々の麓辺りまで辿り着いた。
だがそこに山は一つもなかった。
あったのは無数の墓石だけであった。

当惑したわたしに気がついた案内人は言った。
「もしかするとあなたが見た山は幻かもしれませんね。でもそこに山を見なかったなら、あなたはここまで歩いて来ることはできなかったでしょう」

そのときわたしは初めて、案内人の胸に掛かった名札に目を遣った。

そこには「福田恆存」と書かれていた。

つづく


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