頭が潰れながら

(2022年秋頃の手紙)

(前半略)

 「もう二度とやりたくない」ということと、「私はおじいちゃんが大好きである」ということは、私にとっては、両立する。

 わたしたちは、もう二度と、眠っているおじいちゃんのそばに包丁を持って立ちたくないし、伯父の車の助手席で、伯父に殺されて山へ捨てられる前に、伯父の目を刺す準備をしたくない。

 お父さんがお酒ですぐにも死んじゃうんだろうな、と思いながら暮らしたくないし、おばあちゃんが首を吊っていたら119番しよう、と思いながら、小学校の帰路につきたくない。

 生活。
 わたしたちにとって、生活、という言葉と、連結される景色は、そういうものだ。

 一方で、水路を小さな足で走るセグロセキレイ、祖父が指差した先の南十字星、冬の朝の南天の葉についた霜の結晶の形、山に垂れ下がるからすうりの赤、近所で飼われていたゴールデンレトリバーの茶色いまつげ。
 そういうものを、私は、わたしたちの目の中へ、いくつも溜めて持っている。

 祖父が教えてくれた。お尻の拭き方。灰皿で殴る。ひらがなの書き方。草花の名前。火の扱い。掃除の仕方。木刀で殴る。月経が出てくる穴の場所。
 お風呂の入り方。かけ算、わり算。怪我の手当ての仕方。第二次性徴。ナプキンを買いに連れて行ってくれたのも祖父。

 だいたい全部を、おじいちゃんが、してくれる。おじいちゃんが教えてくれる。おじいちゃんが治してくれる。
 頭のおかしい私を、正しい形にしてくれる。

 私は何度か、祖父といる時、死ぬのかな、と思ったことがある。
 いいえ。思ってはいない。
 見た、と言うほうが近い気がする。

 あれを見た。ものが全部ゆっくりになり、すごく細かく深く見える。
 自分の頭の細胞みたいな、何か、かたまりだったものが、潰れるような、砕けるような、破壊、みたいな感じがする。それを見ている。

 祖父が私の上に乗って乳首を噛み切ろうとした時(切る気はなかったのだそうだ。乳首を外に出そうとしたらしい。)、死ぬのかな、と、私は思った。
 が、実際には、死ななかった。
 ということは、私の頭がおかしいのかもしれない。

 けれど、私が死ぬのかなと思うような状態になる時は、だいたい、おじいちゃんが私に
 「おまえは、おかしくない。」と、私がその時一番欲しい言葉をくれて、私を、直してくれる時でもあった。

 「これは第二次性徴といって、おまえくらいの歳の女の子(わたしたちが、女の子、であるかどうかは置いておいて)なら、みんな普通にこうなることで、だから、おまえは、おかしくない。おじいちゃんが治してやる。おいで。」

 私は私から祖父のところへ行ったのだし、明確に、いやだ、と思ったことはないのだし、なんなら、自分が望んで行った。
 わたしたちは、頭がおかしいから。
 

 最近、「頭がおかしい」という言い方よりも、「脳味噌がすごく疲れる」みたいな言い方をしたほうがいいのかもしれない、と思うようになった。

 わたしたちは、人間が何を言っているのか、全くわからない。
 具体的には、音が骨ごと、ばらばらに戻ってしまう。

 文字にすると、たとえば、あなたが喋っている時、わたしたちは、
 「ー、ー、//。、ー。p、! ーー。?k。」
 こんな風に聞こえている。もっと、わかりやすく文字化できたらいいけれど。

 わからない。意味がわからない。何を言っているのかもわからない。
 そこから、私は、あなたの言葉を、人間の単語に翻訳する。
 単語と言葉、言葉と意味、文章と意味とをくっつける。

 私が起きている間、絶えず、その、くっつけ作業が続く。疲れる。
 脳味噌の八割くらい、会話以前のその作業に、容量を持っていかれる。ずっと。

 そんな風に暮らしていると、頭が潰れそうになる。

 小学校の担任の先生が、年度ごとに変わるたび、わたしたちは、自分をべつの学級に入れてくれるよう、お願いした。
 どの先生も、「**ちゃんは、その必要はないのよ。」と、にこやかに断った。
 
 断って、それから、何をしてくれるでもなかった。そうだよね。忙しいものね。
 じゃあおじいちゃんのところに行くね。

 祖父のところへ行くと、祖父が刺激をしてくれる。
 なんでもいい。骨折とか切断とかそういうのは困るけれど、祖父は、死なない程度に、私の頭を硬いもので殴るのが上手。

 そうでなくても、性教育(ではないのだと心理士さんが言っていた)の実地版をしてくれる。
 痛くない。痛いという脳味噌の部位が脱落していて、大丈夫だ。
 たまに死ぬのかなと思う。抱っこしてくれる。そして脳味噌を潰してくれる。私は大丈夫になる。

 わからない。
 何もわからなくなりたい。頭がおかしい。のではないのだと、この時だけは、祖父が言ってくれる。

 私がおかしいのではないのなら、どうして、死ぬのかなと思ったのに、実際には死んでいないのだろう。
 おばあちゃんがあんなに怒っているということは、多分、私が、すごく悪いことを祖母に対してしているのだが、何が悪いのかわからない。
 嫌じゃないなら、いいんじゃないの? 違うらしい。わからない。わかっているような気もする。

 頭が潰れながら、一番大好きな人が、痛いことも、痛くないこともする。だいたい全部をしてくれる。
 おじいちゃんと、もうやった。生活は、もう、したくない。