目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(24)

<2018年2月>

 妻と子供達は、私の免疫抑制状態による外部からの感染リスクを考慮して、引き続き近距離にある妻の実家にお世話になっていた。とは言え、妻が会社帰りに子供達を迎えに行き、その足で私の待つ自宅に寄って一緒に夕食を食べる、そんな当たり前の日常に、私は有難みを真に感じ入っていた。
 そんな中、 私は一瞬、自分の耳を疑う様な言葉を、キッチンで皿を洗っていた妻と私の母との会話の中から聞き取った。それは、離婚の話だった。私は、まさか自分達の事とは思わなかったが、少し心配になって、こう聞いた。

 「ねぇ離婚って何の事?誰かそんな事考えてる人いるの?」

 二人は、私に聞き耳を立てられていた事に少し動揺しているように見えたが、いや別にそういう事ではないと言って、話をすり替えた。私は、頭の中で、自分の両親や妻の両親、はたまた身近にそんな話が浮上する人間がいたか、頼りない自分の記憶を辿りながらモヤモヤとした気持ちで考えていた。

 この度の病状の悪化で、私の脳には極めて深刻な炎症が起きた訳だが、案の定、退院後もその影響を感じさせる出来事は、少なからず有った。退院して間も無い頃の事だったが、 寝たきり状態を機に解約された私の携帯電話を再開する為に、携帯ショップに出向いた事があった。契約には、私自身の来店が必要との事だったからだ。だが、いざタブレット端末に利用契約のサインをしようとした時、何と私は、自分の名前をカタカナで書く事すら出来なくなっていた。何とか手を貸して貰いながら書いたものの、何度も読み取りエラーで書き直しさせられてしまった。にも関わらず、その事に恥じる気持ちが一切湧かないという、 普通に考えれば、大人として到底有り得ない状態であった。この様な状態なら当然、恥ずかしいから、 情けないから人前に出られないなど、茫然自失の状態になる筈だったが、私は笑いながら、「あれ?どう書くんだっけ」と、何度も書き直し、手を添えられてサインを完了する、そんな光景を店頭で繰り広げた。きっと妻や一緒に同行した義母は、全身から汗をかくほどに赤面していた事だろう。 店員もこんな人にスマホを持たせて大丈夫なのか、そう訝しく思ったに違いない。

 私は、この離婚の話を聞いた時は既に、かろうじて病院でさせられていた程度の書き取りや計算ドリルに着手はしていた。と言っても、ひらがなカタカナの練習や一の位までの足し算や引き算程度だ。それなのに、全く焦りもしなかった私の状態を、ある意味、楽観的に過ぎると捉えられても仕方がないが、当事者の私の感覚はそうではなく、正に純粋に、自分のその状態が、ごく自然な事であるかの様に、私の脳は、その事を受け入れていた。この事が、当時、周囲の人間を不安に感じさせていたのだと言う事は、今となっては当然の事として理解出来るのだが、入院中には小説も沢山読んでいたし、PCの基本的な使い方も病院から自宅までの道順も覚えていたので、能力が落ちているという表現が正しいかは分からないが、そこまで異常な事態に陥っているという自覚は無かった。ただ、いざ文字を書こうとすると、直前まで頭の中に描いていたイメージが、 ふっと消え去って、途中まで書きかけていた手が止まってしまう。 IT機器の使い方や制度や制約の話は基本的に覚えていても、そんな学習の基礎の記憶そのものが、何処か遠くへ行ってしまっていたのだ。 そんな状態に、おかしいなぁという位の気持ちを確かに私も持っていたが、やはり危機感というレベルのものではなく、寧ろPCが使えるのだから仕事だって出来ると言って譲らなかった。そういった自分では気付きにくい記憶障害などが、私の退院時に妻たちが長時間に渡り、医師から伝えられた内容で、それは次の様な話だった。

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〜次章〜自分だけが知らない自身の変化


ありがとうございます!この様な情報を真に必要とされている方に届けて頂ければ幸いです。